第十話 『的中』
私たち五人(ディオネも含めるなら六人か)が着いた先は、私も何度か来たことがある、地曳ちゃんが住んでいるマンションの前だった。そういえば、さっき冥加君が地曳ちゃんの家に行こうとかそういうことを言っていた気もする。だけど、地曳ちゃんに何の用事があってここまで来たんだろう。
マンションの前に着くなり早々に、四人は迷うことなくそのまま中へと入っていった。そして、金泉ちゃんがマンションの出入り口のドアの手前で何やらごそごそし始めたかと思えば、次の瞬間にはそのドアは開いていた。
本来なら、マンションの住人にロックを解除してもらわないと入れないはずだけど、あらかじめ地曳ちゃんから解除方法を教えてもらっていたのだろうか。まあ、何はともあれ、私たち五人とディオネはマンションのホールに入り、エレベーターに乗った。
それから地曳ちゃんが住んでいる部屋に着くまで、誰一人として口を開かなかった。私はこれから何をしに行くのかを知らなかったし、ディオネはそんな私の気持ちを察して気を遣ってくれていた。しかし、他の四人はそんな私やディオネとは違い、何かに対して心底焦っているために言葉が出なかったように見えた。
奇妙な緊張感が走る中、薄暗い廊下を小走りで駆ける。いつか見覚えがある地曳ちゃんが住んでいる部屋に着いた後、またしても金泉ちゃんがその玄関ドアの手前で何やらごそごそし始めた。たぶん、ドアを開けようとしているんだろうけど、さすがの地曳ちゃんも自宅の玄関ドアの暗証番号を教えるとは――、
不意に、ガチャッという音が聞こえた。
「……やはり、開いてますわ」
「そうか」
玄関ドアが開くと、四人は何のためらいもなく家の中に入っていった。さっき海鉾ちゃんが地曳ちゃんに電話が繋がらなかったとか言っていたから連絡は取れていないはずだけど、勝手に入っちゃっていいんだろうか。いくら仲の良い友だちとはいっても、やっぱり親しき仲にも礼儀ありという言葉もあるわけで。
とか考えつつも、私は自分の歩みを止めることはできなかった。その理由はもはや説明するまでもないだろう。私の前を歩いている四人についていくように、私も同様にして、狭くて薄暗い廊下を抜けていく。
「お姉ちゃん」
「……何?」
玄関から数メートル歩いたとき、ふとディオネの声が聞こえてきた。振り返ってみると、ディオネはやけに深刻そうな表情で続けて言ってきた。
「後悔したくないなら、もう帰ったほうがいいよ」
「それ、どういう意味?」
「気づかない? この、異様な雰囲気」
「ディオネに言われるまでもなく気づいてるけど、それがどうしたっていうの?」
「さすがに、もう手遅れか。まあ、何かを知ろうとするのは悪くないって言ったのはボクだし、ここまで来たらもう引き返せないもんね」
「……?」
私には、ディオネが何を言いたいのかが分からなかった。もちろん、私如きが心配するまでもないとは思うけど、みんなの様子がおかしいことや、地曳ちゃんの家に入ってからの異様な雰囲気にはとっくに気づいている。
だけど、それなのに、今さら『引き返せ』と言われてもそう簡単に従えるわけがない。せっかくここまで来たわけだし、このまま家に帰ったら、たぶんずっと心がモヤモヤしたままになってしまう。だから、私はこのまま、この先で何が起きるのかを見届ける。
「ねぇ、みんな。何か、変な臭いしない?」
「確かに、嫌な臭いがしますわね」
海鉾ちゃんと金泉ちゃんがそんな会話をしているのが聞こえてきた。そういえば、地曳ちゃんの家に入ったときは特に気づかなかったけど、今になってはよく分かる。何というか、酸っぱいような、薬品のような、そんな臭いが廊下に充満している。いや、もしかすると、廊下だけじゃなくて、この地曳ちゃんの家中になのかもしれない。
その直後、私たちの目に信じられない光景が飛び込んできた。最初、私はそこに『横たわっている二人』が誰なのか分からず、何がどうしてこうなったのかを理解できなかった。同様にして、ある程度状況を認識できていたはずの四人も、心底驚いているように見えた。
「地曳に、天王野……!」
「くそっ……やはり、手遅れだったか……」
「……え……? 何、これ……?」
そこには、地曳ちゃんと天王野ちゃんが床の上に横たわっていた。二人の周りにはコップくらいの大きさの瓶が空っぽになって数本転がっており、また、ラムネ菓子のような白い固形状の塊が無数に散乱していた。二人の目蓋は硬く閉ざされており、口元からは黄色っぽい色の粘着性のある液体が溢れ出ていた。
私はその場に立ち竦むしかなかった。そうしているうちに、四人は床の上に横たわっている二人に駆け寄っていた。金泉ちゃんは天王野ちゃんの小さな胸に手を当てながら、木全君は空っぽになった瓶と白い固形状の塊を拾いながら、独り言のように言った。
「もう、心臓が止まっていますわ……息は……してるわけないですか……」
「調べれば何の薬品かは分かると思うが、これは間違いなく劇薬だな。おそらく、天王野の家から持ってきたものだろう。天王野の家なら、こういうものもあったはずだからな」
つまり、どういうこと……?
「つまり、地曳さんと天王野さんは、天王野さんの家から持ってきた劇薬を飲めるだけ飲んで、自殺した。さっきから臭ってた臭いは、二人が口から吐き出した嘔吐物。連絡がつかなかったのも、勝手に家の中に入ったのも、二人がすでに死んでいたから。そして、それが分かっていたから……だとボクは思うけど、お姉ちゃんはどう思う?」
「……ぁ」
地曳ちゃんと天王野ちゃんが死んだ? 何で? 薬品を飲んで自殺した? 何で? 四人は二人が死んでいたことを知っていた? 何で? 四人はどうしてこんなに落ち着いている? 何で?
私は、言葉を発することができなくなった。
「み、みんな! 地曳ちゃんはまだ生きてるよ! まだ、心臓も動いてるし、かすかだけど息もしてる!」
「何!? 本当か!?」
「地曳さんが!?」
「おい! 地曳! 生きてるなら目を開けてくれ!」
「……ん……ぁ……」
海鉾ちゃんの声で、その場の空気が変わった。みんながみんな、地曳ちゃんの名前を呼んでいる。そんな中、私は一人どうすることもできないまま、唖然としながらその様子を見守ることしかできなかった。
「……え……? あれ、私……」
「よかった……! まだ生きてる!」
「え……? 何で、みんながここにいるの……? ここは……」
「ここは地曳さんの家ですわ。冥加さんが地曳さんのことを『予知』できたお陰で異変に気づき、連絡がつかなかったから心配してここまで来たというわけですわ」
「私の家……? 對の予知……? 異変……? あ、そうだ! きーたんは!?」
「……天王野は、死んだ」
「う……そ……じゃあ、私は何でまだ生きてるの!? ちゃんと致死量を超えるように飲んだはずなのに! 行かなきゃ……私がいないと、きーたんは……早く、私も死なないと……」
「地曳! いい加減にしろ!」
地曳ちゃんが床に散乱している薬品に手を伸ばしたとき、冥加君がその手を叩いた。そして、そのまま地曳ちゃんの手を掴み、珍しく怒りを顕にした表情で怒鳴りつけた。
「お前と天王野の間で何があったのかは知らない! だが、ここで死んでも何も変わらないんだ! 目の前のことから逃げてどうするんだ! お前はそういう奴じゃないだろ!」
「いい加減にするのは……對のほうだよ! 對は、みんなは、きーたんがこっちに来てからどれだけ苦しんでいたのか知ってるの!? ここでは戦争で死んだはずの、きーたんを虐めてた両親や兄弟が生きていて、誰から送られてきたのかも分からない、きーたんの精神を不安定にさせるメールが何度も届いて! どうせここでは何もできないんだ! だから、きーたんはその苦痛から逃れようとしただけじゃない! そして、私はきーたんが安心していけるように、一緒に死のうとしただけじゃない! それなのに、何で今さら止めるのよ!」
「他にもやり方はいくらでもあっただろ! 何で死ぬ必要があるんだ! 俺たちは、九人でいて初めて友だちグループなんだろ!? それなのに、天王野が死んで、地曳まで死んだら、そうじゃなくなるだろ!」
「最初から私はこうなる予感がしていて、それでプロジェクトには反対だった! 結果、きーたんは死ななければならないほど心身ともに疲弊してしまった! やっぱり、こんなプロジェクトはする意味なんてなかったんだ! 離してよ!」
地曳ちゃんはそう言うと、冥加君の手を振り払った。冥加君は再び地曳ちゃんの手を掴もうとしたけど、今度は腹部にまともに蹴りを食らい、冥加君はその場に倒れ込んだ。
冥加君が追って来ないことを確認すると、地曳ちゃんは同じ部屋の側面にあった台所へと向かい、そこに置いてあった包丁を一本手に持った。
「薬で死なせてくれないなら、これで首をかき切って死ぬだけよ! あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!!!」
「地曳ちゃん! もうやめて!」
「うるさい! きーたんが待ってるんだから、私は早く行かないといけないのよ!」
「きゃあっ!」
海鉾ちゃんは地曳ちゃんの行動を止めるために、その体に抱きついた。しかし、地曳ちゃんはそんな海鉾ちゃんのことを力づくで振り払った。その際、地曳ちゃんが持っていたナイフが海鉾ちゃんの体に触れたらしく、海鉾ちゃんの左肩には切り傷があり、真っ赤な雫が数滴宙を舞った。
「地曳!」
「地曳さん!」
「うるさい! うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいいいいいいいいいぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!」
「地曳ちゃん!」
地曳ちゃんの行動を止めるために、金泉ちゃんと木全君が地曳ちゃんに歩み寄る。地曳ちゃんは金泉ちゃんのことを突き飛ばすと、そのまま廊下のほうに走っていった。
何が起きているのか理解が追いついていない私は、そのまま元いた場所に立ち竦んでいるしかなかった。海鉾ちゃんと金泉ちゃんは地曳ちゃんに突き飛ばされたまま、身動きが取れなくなっていた。冥加君はようやく蹴られた腹部の痛みがなくなったのか、木全君と一緒に地曳ちゃんを追いかけに行った。
と、そのときだった。
「あ」
走っていた地曳ちゃんが廊下でこけたのか、バタバタと大きな音が立ち、軽く床が響いた。これで、冥加君と木全君が地曳ちゃんからナイフを取り上げれば、地曳ちゃんは自殺せずに済む。そんな希望を持ちながら、私は廊下のほうへと歩いていった。
しかし、その直前、冥加君の大声で私は足を止めざるを得なくなった。
「来るな!」
「え……?」
「土館! こっちに来ちゃだめだ!」
「な、何が……」
何が起きたのか、私は気になった。そして、なぜか廊下の中央部分で立ち止まっている冥加君と木全君の間を半ば強引に抜け、その先を見た。
そこには、うつ伏せのまま首にナイフが突き刺さって貫通している、地曳ちゃんの姿があった。何が起きたのかは、一目瞭然だった。地曳ちゃんは廊下を走っている際にこけ、手から飛んだナイフが運悪く首に突き刺さる位置と方向に落ちた。そう推測するのは簡単だった。
しかし――、
「ひっ……」
ナイフが貫通している地曳ちゃんの首からは、止まることなく勢いよく真っ赤な血が吹き出している。しかも、地曳ちゃんはまだ生きているのか、痛みから逃れるように手足を動かしてもがき苦しんでいる。傷口から大量の血が吹き出し、口からは血の塊を吐き出し、必死にナイフを首から抜こうとしている。
しかし、玄関が辺り一面真っ赤に染まり、もはや血の海といっても差し支えないほどまでになったとき、地曳ちゃんの手足の動きが完全に止まった。
地曳ちゃんが手足をもがき動かしたことで、その場にいた私の顔や制服には飛び散った血が付着している。ようやく、地曳ちゃんが死んだことを認識できたとき、私の中でどうしようもない感覚が目まぐるしく回り始めた。嘔吐物と血の臭いを嗅いだこと、二つの死体と大量の血を見たことによってもたらされた、眩暈や吐き気。
それとは別の、友だちを二人も失ってしまったことに対しての悲しみ。
「いやああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
私は、地曳ちゃんの家中に響き渡るように、大きな叫び声を上げた。