第九話 『胸騒』
あれからしばらく経ち、私はみんなと一緒に下校していた。その『みんな』というのは、冥加君と海鉾ちゃんと金泉ちゃんと木全君、そしてディオネのことだ。
今朝一時間目の授業中にディオネと話したことで、私の気持ちが軽くなっていた。ディオネと相談して肩の荷が下りたということもあるけど、やはりディオネの言う通り、心配し過ぎもよくない。そう考えることができたからだ。
こうしてみんなと一緒に下校していても、今朝は気になっていたことはもう気にならない。昨日みんなにはどこか違和感があったけど、今はそんなことはなくそこにいるのは私がよく知るみんなだ。そして、そのことも含めて、私は楽しい気持ちでみんなと接することができている。
歩き始めてから約五分。前列には冥加君と木全君が、後列には私と海鉾ちゃんと金泉ちゃんがいる。また、ディオネは私の左斜め上で、退屈そうに宙に浮きながらタブレットを触っている。
あと少し歩けば分かれ道に突き当たり、私はみんなと分かれなければならない。グループの中で学校からおそらく一番近い家に住んでいる以上仕方のないことだけど、ただ何となく私はそうしたくなかった。この状態をいつまでも続けていたい。もっとみんなとたくさん話がしたい。
この機会を逃せば二度とこんな幸せな時間を過ごすことはできなくなる――そんな、どうしようもない、嫌な予感がしていた。いや、どちらかといえば、『嫌な予感』というよりは『胸騒ぎ』といったほうがいいのかもしれない。
と、私が一人で考え事をしていたとき、私の隣で金泉ちゃんと話していた海鉾ちゃんが何かを思い出した様子で話しかけてきた。海鉾ちゃんのほうを見てみると、金泉ちゃんも揃って私のほうを見ていることが分かった。
「ねぇねぇ、誓許ちゃん」
「……ん? どうかしたの?」
「今、霰華ちゃんと相談してたんだけど、また今度、三人だけでどこかに遊びに行かない?」
「いいけど……何でそんな急に?」
「友人と遊びに行くことに理由が必要ですか? まあ、あえて言うなら、たまには女子三人だけで気分転換でもと思ったのですわ」
「そうそう。今のうちにこの平和な世界を満喫しておかないとね! せっかく何かに怯える必要もなくなって、何不自由なく生きていられるんだから……だから、『そのとき』が来るまでは楽しんでいたいな……って」
「うん、そういうことならいいよ。私は基本的にいつでも大丈夫だけど……って、あ。ちょっと待って」
私は『二人はいつなら都合がいい?』と聞こうとしたとき、ふとディオネのことを思い出した。もしかすると、ディオネにもディオネなりに予定があって、私とどこかに遊びに行きたいと思っているかもしれない。ディオネはありきたりなこの街の光景にすら驚いていたくらいだから、他のエリアの探検をしたいと言い出してもおかしくない。
私は海鉾ちゃんと金泉ちゃんに待ってもらうように言った後、私の左斜め上で宙に浮いているディオネに小さな声で話しかけた。
「ディオネ。ディオネはどこかに行きたいとか、そういう要望はある? 今言ってくれたら、二人にその日は遊べないって言えるけど」
「……別にないよ。ボクはどちらかといえばインドア派だから、お姉ちゃんの好きなように遊んでくればいいよ。あー、このゲーム面白いなー」
「あ、そう……? それならいいんだけど」
予想外の答えが返ってきたことに、私は少し驚いた。あれだけ好奇心旺盛だったディオネが、ただ『インドア派だから』という理由で、どこかに行きたいという要望がないなんてことがあるだろうか。いや、本人が『ない』と言っているんだからそれはそれで構わないわけだけど、何でだろう。どうも、しっくりこない。
私は軽く首を傾げながら、そのまましばらくディオネのほうを見ていた。しかし、ディオネは私の視線に気づいているはずなのにこちらを向こうとはせず、黙々とタブレットを弄っているばかりだった。
「どうしたの? 誓許ちゃん」
「え? あ、いや、その、何でもないよ。私は基本的にいつでも大丈夫だから、二人はいつなら都合がいい?」
「まー、やっぱり、遊びに行くなら一日中遊んでいたいよねー。ということは必然的に、今度の土曜日か日曜日ってことになるね」
「そうですわね。私たちは平日から放課後という時間を持て余しているわけですが、せっかく三人だけで遊びに行くのでしたら、その日を最高に満喫したいというのもまた本心ですわ。それはもう、他のことを何もかも全て忘れられるくらいに」
「じゃあ、第六地区のS-4エリアがたぶん一番楽しめるよね。あ、でも、あそこは日曜日はかなり混むだろうから、行くなら土曜日かな。それでいい? 二人とも――」
私がそう言いかけた寸前、場の空気が一変した。思わず声が出なくなり、私は隣を歩いている海鉾ちゃんと金泉ちゃんのほうから、前列にいる二人のほうを見た。
「……あぅ……うああああああああ!!」
「みょ、冥加!? どうした!?」
そこには、両手を頭で抱えて苦しそうな表情を浮かべている冥加君と、そんな冥加君を心配している木全君の姿があった。私を含めて後列を歩いていた三人は何が起きたのかを理解できていないまま、立ち止まっている前列の二人に駆け寄った。
「冥加くん!? 大丈夫!? 木全くん、冥加くんに何があったの!?」
「俺に分かるわけないだろ! 冥加と話していたら急に冥加がこうなり始めて……」
「まさか、冥加さん……」
何? 何が起きたの? 私は三人よりも遥かに状況の理解が遅く、未だに何が起きたのかを理解できていなかった。ディオネのほうを見てみても、ディオネは興味なしといった様子で未だにタブレットを弄っているだけ。そして、緊迫した雰囲気の冥加君や三人には話しかけづらい。
すると、不意に冥加君の呻き声が聞こえなくなった。と思った矢先、冥加君は真っ青になった顔を上げて三人のほうを向き、声を発した。
「なあ、あの二人はどこに行った……?」
「あの二人? ああ、沙祈ちゃんと水科くんなら、わたしたちよりも早くに帰って――」
「違う! 逸弛と火狭のほうじゃなくて、地曳と天王野のほうだ!」
「そういえば、あの二人の姿は今朝以来見ていないな。確か、一時間目あたりで天王野の体調が悪くなって、地曳が保健室に連れて行って、それから――」
「まずい……! まずいまずいまずいまずい!」
「冥加さん。もしかして、あの二人の身に何かが起きてしまう、その光景が『見えた』のですか?」
「ああ。時間は……クソッ! もう手遅れかもしれない!」
「えっと……冥加君……? 私には何があったのかよく分からないんだけど……何があったの?」
私は、冥加君を含めた四人にそんな素朴な質問をした。しかし、四人は一瞬だけ私のほうを見た後、哀れむような目をしながら顔を俯けてしまった。
「とにかく、今はあの二人を探すことが先決だ! 金泉は天王野に、海鉾は地曳に電話をかけてみてくれ! 俺と遷杜は二人の家を調べた後、これからどうするべきか考える!」
「分かりましたわ」
「できるだけのことはしてみるよ」
いったい、この四人は何に対してそんなにも焦っているんだろうか。いや、何がこの四人のことをそこまで焦らせているのだろうか。冥加君が呻き声を発し始めたのはつい数分前で、それから今までこの四人は私が聞こえる範囲内で話をしていた。でも、その会話の中でここまで焦る必要が出そうなものはなかった。
それなのに――、
「すっかり仲間外れになっちゃったね」
「ディオネ……」
ふと聞こえてきた声はディオネだった。電話をかけている海鉾ちゃんと金泉ちゃん、そして何かを相談している冥加君と木全君。その手前で、私は隠すことなくディオネに返答した。
「今がどういう状況なのか、ディオネには分かる……? もしかして、私の理解が遅いだけで、これはみんなには簡単に分かることなの……?」
「そういうことなら安心した。ボクにも何が何やらさっぱり分かってないから。ってか、ついさっきまでボクはゲームしてたし、話なんかこれっぽっちも聞いてなかったから、これで分かったらむしろ勘が良過ぎるよね」
「そういえばそうだったわね……」
「まあ、何はともあれ、またしてもお姉ちゃんは仲間外れにされてしまった。だけど、今朝も言った通り、気にする必要はないよ。これはこういうものなんだ、この人たちのことを心配しても何も変わらない。そう考えれば、何もかも全て丸く収まるんだよ」
「そういう、ものなのかな……」
「まごうことなく、そういうものなんだよ。考え過ぎ、考え過ぎ。もっと気楽にいよう」
「それも、そうね……」
やっぱり、私の考え過ぎなのかもしれない。いや、そうに決まってる。だって、四人は、昨日はどうであれ今朝は何ともなかった。それなのに、急にまた戻ってしまうだなんて、あるはずが……あれ? でも、これって、ディオネに色々と言われたからそう考えただけで、私自身の本心からの気持ちじゃない。だったら、私の気持ちは……どこにあるの……?
「ダメ! 何度かけてみても、赴稀ちゃんに連絡がつかない!」
「こちらも同様に、天王野さんに電話が繋がりませんわ。PICは左手首に常時装着されているというのに」
「とりあえず二人の家の場所は分かったが、どうする、冥加」
「ここからなら天王野の家よりも地曳の家のほうが近い! とりあえず、まずは地曳の家に行こう!」
冥加君のその呼びかけに三人が頷く。そして、私がその場にいることを忘れたかのように、四人はそれまで歩いていた方向とは少し違う方向に向かって、走り始めた。
一方で、私は一瞬だけディオネのほうを見ると、その四人の後に続いて走り始めた。どこに、何をしに行くのかは分からないけど、私はこの四人についていく義務がある。ただ何となく、しかしどうしようもなく、そんな気がした。
そういえば、さっきも似たような感じた。もしかすると、この嫌な予感こそが後々の展開に大きく影響する胸騒ぎだったのかもしれない。しかし、このときの私はまだその嫌な予感しか感じ取ることができていなかった。