第八話 『改心』
ディオネからあんなことを言われて、私の心拍数は平常時よりも跳ね上がっていた。それからしばらく経った頃、ようやく私の中でも気持ちの整理がついてきた。
結局のところ、私の考えは全てディオネに見抜かれていた。それどころか、ディオネはそんな私の考えを改めるように教えてくれた上で、私のことを心配してくれていた。つまりは、そういうことだったのだろう。
まったく、私としたことがどうしてディオネのことを信用できていなかったのだろうか。確かに、ディオネは私に殺人を犯させようとしていたし、天王野ちゃんの具合を悪くさせたのかもしれない。
だけど、それはあくまで『させようとしていた』と『かもしれない』に過ぎない。つまり、ディオネは、前者のことをまだ実行に移していないし、後者のことをしたという証拠がない。それなのに、私は勝手にディオネのことを恐れて、結果的にディオネにその考えを見抜かれてしまった。
そうだ。ディオネは前にいた場所が嫌になって、私のところに来た、ただの一人の女の子なのだ。私が想像しているような変なことはしていないし、これから先もしない。それどころか、私のことを姉的存在として慕ってくれている。
ただ、それだけでいいじゃないか。そう考えれば、ディオネは私にとって唯一心置きなく相談ができる人物ということになる。だったら、今すぐにでもそうしたほうがいい。それこそが、私の肩の重荷を退けることに繋がって、ディオネに余計な心配をかけずに済むのであれば。
一時間目の授業も残り半分を切った頃、私はディオネにしか聞こえない小さな声で話しかけた。
「ディオネ」
「どうしたの? お姉ちゃん」
「さっきはごめんね。私、ディオネの言う通り、ディオネのことを信用できなくなっていた」
「ううん。いいんだよ、別に。よくあることだから」
「だからね、その……それで、私も考えを変えてみたの」
「考えを?」
「うん。これからは何があってもディオネのことは疑わないで、ずっと信用していよう。そう決めたの」
「本当!? わー、お姉ちゃんにそう言ってもらえるなんて嬉しいなー。今までそんなこと、誰にも言われたことないからー」
「喜んでもらえてよかったよ。それで、冥加君たち六人のことだけど、今日は特におかしな様子じゃないみたいだし、しばらくの間は忘れていようと思う。もし、その六人のうちの誰かが関係していることが起きたらそうはいかないと思うけど、せめてそれまではね」
「そうそう。分からない問題があったときは、それを解決できるヒントが出てくるまで忘れているのが一番だよ。そして、その待ち時間に他の問題を片付けることが最優先だと思うね。お姉ちゃんもその辺のことを分かってくれたみたいでよかったよ」
「これ以上ディオネに心配をかけるわけにもいかないからね。これくらいは当然だよ」
「それじゃあ、『お姉ちゃんはボクのことを信頼し続ける』、『あの人たち六人の違和感を忘れる』ってことでいいんだね?」
「う、うん? それで合っているけど、何でまた聞き直したの?」
「まあ、いいじゃんいいじゃん。やったー」
何はともあれ、ようやくディオネは機嫌を直してくれたらしい。やっぱり、無闇に人を疑うよりも、信用することのほうが清々しい。それに、一昨日の晩に初めてディオネと会ったときから思っていたけど、ディオネの笑顔は可愛らしくて元気が出る気がする。
これからは、この笑顔を崩さないようにして、できる限り平穏を保っていることにしよう。それが、私とディオネのこの絶妙な関係を維持することに繋がるのであればよし、私や私のことを心配する人の重荷がなくなるのであればよし。
私は、機嫌が直ってやけに嬉しそうなディオネに続けて話しかけた。
「そういえば、ふと思ったんだけど、ディオネの願い事を叶えられる能力っていうのは、どうやってその存在が分かったの?」
「うーん、いきなりそんな質問をされてもちょっと困るなー」
「そうなの? 言いにくいこと?」
「いや、『言いにくいこと』ってわけじゃないんだけど、えっと、その……」
前に似たようなことを聞いたときは『以前から自分にその能力があるって分かっていた』みたいな簡潔な返答をされたのに、今はやけに歯切れが悪い。ディオネは少し困ったような表情をしており、そんなディオネの様子は何か後ろめたいことでもあるように見えた。
私はそのままディオネの次の台詞を待った。するとその十数秒後、どう説明するのかが決まったのか、ようやくディオネが口を開いた。
「ボクのこの能力はね、ボクがこの世に生を受けたときからあったみたいなんだよ。まあ、そのときはまだボクも赤ちゃん同様の存在だったし、他にも色々とトラブルがあったりして、そのことには気づかなかったけどね」
「うんうん」
「それからしばらく経って、人間としてのごくごく当たり前の感情や思考能力が身につき始めた頃、ボクにどうしても叶えたい願い事ができた。だけど、ボクは誰かの手足になれるような状態ではなかったし、そもそもボクにそんな力はなかった。でも、ボクは必死に祈った。その願いが叶ってほしいって」
「その願い事って?」
「簡単に言えば、ボクにとって大事な人を救いたいっていう願いだよ。その二人にとって、ボクは重荷になっていたことは分かっていたし、だからボクは自殺しようとしたこともあった」
「え……? 何で、そんなことを……」
「だけど、その二人はボクがしようとしていた自殺を止めて、ボクのことが大切だと言ってくれた。ボクは何の返事もすることはできなかったけど、本当に、心の底からその台詞が嬉しかった。だからボクは、ボクのことを大切に思ってくれている二人のことをどうしても救いたいって思って、祈り続けた」
「そのときに、願い事を叶える能力に気がついたってこと?」
「そうなるね」
つまり、ディオネはディオネのことを大切に思っていたその二人を救いたいという一身で奇跡を起こしたということになる。どうしても叶えたい願いというものは持っている人も多いと思うけど、そのまま本当に叶えられた人はそう多くはないだろう。
ディオネの場合は、ディオネの強い意志とその力があったからこそ、実現できたのだと思う。
そういえば、ディオネが言っている『ディオネのことを大切に思ってくれていた二人』というのは両親のことだろうか。いや、ディオネがそのことを進んで言わないということは、もしかするとその二人はもう……。そう考えると、私は何の考えもなしにそのことを聞くことができなかった。
「正直なところ、ボク自身もまさか自分にそんな力があっただなんて思っていなかったから、そのときは本当に驚いたよ。まあ、どちらかといえば、この能力は俗に言う『魔術』のように非科学的で非現実的な現象を引き起こすというよりは、確率論的にわずかでも起こる可能性がある事象を発生させやすくするってことになるのかな。まあ、一部例外もあるみたいだけど」
「それで、ディオネはそれを何回か繰り返して、色々試したってことになるの?」
「うん。ボクは自分の自分の能力に気づいてから、何度も何度も実験を繰り返した。時にはその二人以外の人に対して使ったこともあるし、自分自身に使おうとしたこともあった。それで、百五十九回の試行実験の末、ボクの能力の制約がおおよそ分かってきた。それについては前に説明した通りだから、説明は省くね」
「百五十九回……何だか、想像するだけで途方もない数字のように思えるね」
「実際にその実験をしているときはそれなりに楽しかったから、言うほど時間はかからなかったよ。それに、ボクはその実験をするか情報収集をするか、それしかできなかったからね」
「でも、充分に凄い努力だと思うし、それは誰にも真似できないよね」
「まあ、ボクはボクなりにハンデを負っていたわけだし、そう簡単に真似されたら困るよ。あと、このときに分かったことで、まだお姉ちゃんに説明していなかったことがあったのを思い出したよ」
「あ、他にもあったんだ」
「ボクはこのことも含めて、ボクの能力について二人には何一つとして言ってはいないんだよ。言っても信じてもらえないだろうし、もし信じてもらえても余計な心配をかけるだけかもしれないからね。それで、ボクの能力でおそらく一番イレギュラーだったのは……まさに、言葉通りの意味で『奇跡』と呼べることが時々起きるってことだった」
「それって、つまり……」
「非科学的で非現実的な事象が起きてしまったこともあったってことだね。ただ、これらについては何の裏づけも取れていない上に、それをするとボク自身かなり疲れるからあまり試行実験ができなかった。正直なところ、今からする気にすらなれないよ」
ディオネからの説明を一通り聞き終わった後、私は改めてディオネがどういう女の子なのか分からなくなった。ただ、それと同時に、少し尊敬したり羨ましいと思ってしまった。
本名は不明、どこから来たのかは分からない、私以外の人には姿は見えず声も聞こえない、動力源を必要とせずに宙に浮いていられる、そして、ありとあらゆる願い事を制約つきで叶えることができる。私と出会う前から私のことを知っていて、しかもなぜか私のことを姉的存在として慕ってくれている。
これだけのことがあって、尊敬したり羨ましいと思ったりしないわけがない。まだ明かされていない(というよりはディオネが言いたくない)ことも多々あるけど、それ以上に願い事を叶えられる能力を自分で発掘してしまうなんて凄いという一言では表せないほど凄い。
……と、私がディオネのことを賞賛しているとき、不意に地曳ちゃんの声が聞こえてきた。
「か、仮暮先生! きーたんが体調悪そうなので、保健室に連れて行ってきます!」
非常に焦っている様子の地曳ちゃんの台詞の後、少しだけざわついた教室の中、地曳ちゃんが明らかに具合が悪そうな天王野ちゃんの手を引いて、駆けるように教室から出て行った。