第二十八話 『真相』
それから約三十分後。場所は例の人工樹林の目の前。
私の予想通り、天王野さんは私を殺すべく、あとで一人で人工樹林に来てほしいと言ってきた。しかし、私は計画を遂行するためにその申し出を断り、代わりに遷杜様に声をかけてみたらどうかと言っておいた。案の定、天王野さんはそのまま遷杜様に声をかけに行き、遷杜様に了解を得るとすぐに教室を飛び出していった。
遷杜様にはすでに計画の概要は説明してあるし、天王野さんに盗み聞きされるリスクを考えると、計画が最後まで達成されるまでもう直接話はしないほうがいいだろう。そう考えた私は遷杜様と別行動で、人工樹林へと向かった。
そして、天王野さんのPICの現在位置が人工樹林にある状態で、遷杜様が人工樹林に入っていったのがつい数十秒前のこと。今すぐにでも、人工樹林の中で大きな動きがあってもおかしくはない。大雨に打たれながら一度だけ大きな深呼吸をした後、意を決した私は人工樹林の中へと入っていった。ゆっくりと周囲に気を配りながら歩くのではなく、やや焦りながら小走りで二人を探す。
天王野さんはOverclocking Booster以外にも様々な凶器を持っていたと思うけど、それらはOverclocking Boosterには遠く及ばないほど殺傷能力が低く、何が来るのか分かっていれば回避しやすい。だから、Overclocking Boosterさえ無力化できれば、あとは遷杜様の高い身体能力で天王野さんを完封できるはずだ。
私はそう信じているし、昨晩から脳内シュミレーションを何度繰り返してもその通りにしかならなかった。だから、計画が失敗したり、遷杜様が殺される可能性は皆無のはずだ。心の底では少々心配しつつ、嫌な胸騒ぎを必死に抑えながら、私はそんなことを考えていた。
すると、不意にバンッという大きな音が人工樹林内に響き渡った。その音の方向を見てみると、そこには木っ端微塵になって中にある機械が外界に露出されている人工樹木と、そのすぐ近くで体を傾けて何かを避けたらしい遷杜様の姿があった。遷杜様はそれまで歩いていた方向とは別の方向を睨みつけており、PICのアプリを確認してみると、その視線の先には天王野さんが隠れていることが分かった。
遷杜様はPICのアプリで隠れている天王野さんの位置を改めて確認すると、肉眼では見えていないはずの天王野さんのことを怒りの感情を顕にして睨みつけていた。その直後、ズボンのポケットからあらかじめ用意してあった一本のナイフを右手に握り締め、迷うことなく一直線に人工樹木に隠れている天王野さんがいる方向へと走っていく。私も、そんな遷杜様の姿を見ると同時に駆け足で追いかけた。
さすがの天王野さんも今回ばかりは自らの身の危険を感じたのか、何度も何度も遷杜様に照準を合わせては特殊拳銃の引き金を引いた。しかし、遷杜様は私が渡した『特殊拳銃の弾道予測線が分かるアプリ』の指示を受け、紙一重のところで特殊拳銃の弾を避ける。
まさか遷杜様にここまでの高度な適応能力があって、これほどの高い身体能力があるとは知らなかった。以前から遷杜様のことを慕っていた私だけど、その感情が新たに生まれた尊敬などによってさらに膨れ上がっていくのがよく分かった。
天王野さんが遷杜様を照準にしていくら引き金を引いても、遷杜様はそれを避け続ける。また、天王野さんが遷杜様目がけていくらナイフやカッターなどの刃物を投げつけても、遷杜様はそれを右手に持っているナイフでいとも簡単に振り払う。
天王野さんは遷杜様を迎撃するために、遷杜様は天王野さんを拘束するために、ただひたすらに人工樹林の中を走り続けた。お互いに一瞬の気の緩みが死に直結しかねない状況で、その行動は一向に衰えを見せることはない。
そして、最初に天王野さんが遷杜様に向けて特殊拳銃を向けてから数分後、ついに遷杜様は天王野さんの動きを拘束することに成功した。天王野さんは遷杜様によって大雨が降り続ける人工樹林の地面に叩きつけられ、両手の身動きが取れない状態になっている。
また、その際に特殊拳銃は天王野さんの手からすっぽ抜けて人工樹林の草むらの中へと消えていった。それに加えて、ここまで来るまで天王野さんは十数本の刃物を遷杜様に投げ続けていたため、持ち合わせの刃物はもうほとんどないことだろう。つまり、これで天王野さんからほぼ全ての武力を排除できたということになる。
簡単に周囲を見回して、人工樹林に私たち三人以外の人がいないことを再度確認する。とはいっても、人工樹林は人工樹木や草むらのせいで遠くを見通せないようになっているし、今日は雨が降っているから余計に視界が悪い。だから、大して意味のない行動だったかもしれないけど、念には念を押しておくに限る。
私は、緊迫した状況で、何かを話している遷杜様と天王野さんの元へと歩いていく。雨の音で二人が何を話しているのかは分からないけど、それももうすぐ分かることだ。数十秒後、私が二人がいる場所のすぐ近くまで辿りつき、ようやくその会話が聞こえるようになった。でも、二人は私が近くに来ていることには気がついていないらしい。
「――俺はもっと早くに手を打つべきだった。冥加や海鉾が殺されたときに気がつくべきだった。そのときに手を打っていれば、仮暮先生、クラスメイトのみんな、水科、土館そして火狭を救えたかもしれない」
「……、」
「俺はお前を許すことはできない。俺の……俺の友だちを、親友を、火狭を殺したお前を……!」
「遷杜様。少しお待ち下さい」
遷杜様は今にも天王野さんのことを殺そうかという勢いで、その右手に持っていたナイフを天王野さんの小さな胸に突き刺す寸前だった。でも、私の計画では天王野さんは殺したりせず、その武力を完全に排除するだけのはずだ。
だから、私は遷杜様の行動を止めるために声をかけた。もちろん、遷杜様もそのことは分かっていたはずだけど、私が二人の会話を聞いていないときに何かあったのか、妙に怒り心頭しているように思えた。遷杜様は天王野さんの体を拘束しながら、あと一センチを手を下ろせば天王野さんの胸にナイフを突き刺すことができる状態のまま私に返答する。
「金泉。俺はもう無理だ。金泉が立ててくれた計画があったからこそ俺はこうして天王野の動きを止めることができているが、だからといって、この殺人鬼を許すわけにはいかない。こいつは、みんなの……火狭の仇なんだ」
「もちろん、そのことは存じ上げておりますわ。ですが、天王野さんにはこの一週間程度に行ってきた自らの罪の数々を認めさせ、償わせる必要がありますわ。そのための計画のはずでしょう?」
「確かに、金泉が言っていることは正しいことなんだとは思う。だが、天王野がどれだけ自らの罪を認めたところで、罪を償ったところで、みんなが帰ってこない事実には変わりはない。それくらいのこと、金泉にも分かっているだろ?」
「ええ、もちろんですわ。ですが、遷杜様。その台詞は遷杜様自身にも返っているというのを理解していらっしゃいますか? 遷杜様がしようとしているのはまさにそれと同義のことですわ。天王野さんをみなさんの仇として殺したところで、みなさんは帰ってこない。だったら、仮にも友人である天王野さんを生かしておく、というのはどうでしょうか?」
「……俺だって、自分の手で誰かを殺したいだなんて、みんなの仇とはいえ友だちの一人である天王野を殺したいだなんて、思ってはいない……」
「遷杜様……?」
そのとき、遷杜様は泣いていた。今だに天王野さんの体を拘束し、天王野さんの動向を常時監視していながらも、私に顔を向けていなかったにも関わらず、そのことがよく分かった。私はそんな遷杜様の後ろで心配そうに、天王野さんはそんな遷杜様の真下で怯えながら、様子を伺っている。
大雨が降り続ける中、遷杜様はボロボロと涙を零しながら、これまでの遷杜様の人生で自身が抱えていたその胸中を話し始めた。
「幼い頃から、俺は無意識のうちに親しい人たちを不幸な出来事に巻き込んでしまっていた。理由も原因も分からないが、俺の親戚や友だちは頻繁に命の危険に脅かされ、実際に何人も大怪我をしたり死んだりした。それは時と場所と相手を選ぶことなく唐突に起き、しだいにエスカレートしていった。そのせいで、両親は他人に不幸を運んでくる俺のことを嫌い、少しずつ友だちは減っていった。最終的に、両親との仲は険悪になり、まともな会話を交わすことはなくなった。また、俺の同級生たちは俺に寄り付かなくなり、ついに友だちはいなくなった」
「……、」
「そんなときだった。ただそこにいるだけで他人を不幸にしてしまう俺に手を差し伸べて、唯一仲良くなってくれた女の子がいた。本人に直接聞いていないから、何で俺なんかと仲良くしてくれたのかは分からないし、今では名前も顔も思い出せないが、俺はたぶんその女の子のことが好きだったんだと思う。俺は、俺にとって唯一の心の支えとなってくれたその女の子と毎日のように遊び、少しずつお互いの距離は近くなっていった。しかし、あるとき、またしても俺のせいで不幸な出来事が起きてしまった」
「……、」
「何気なく二人で歩道を歩いていたとき、突然車道からトラックが飛び出してきた。歩道と車道の間には透明な強化ガラスがあって、交通事故なんて時代遅れと言われ始めた頃だったにも関わらず、よりにもよって俺たちが歩いていたときに限って透明な強化ガラスの強度に不具合が生じ、システムトラブルが起きたトラックが歩道に乗り出してきたらしい。あまりに突然のことだったこともあり、俺は何もできなかった。次に目を開けたとき、その女の子の姿はなく、辺り一面は血で真っ赤に染まっていた」
「……ん?」
あれ? その話、どこかで聞いたことがあるような気が――、
「その後、その女の子がどうなったのかは言うまでもないだろう。トラックに正面衝突されて、あれだけの血が出ていたんだ。現代医学の技術があっても到底治るとは思えない。そうして、俺は俺の人生において一人目の唯一の心の支えを失った。それからというもの、俺はできる限り他人に干渉しないように生きてきた。だが、高校生になってすぐの頃、火狭と水科に声をかけられて、幼かった頃のことを思い出した。あのとき守れなかった女の子の代わりに、火狭を影ながら守ってやりたいと思ったんだ」
「……、」
「しかし、どうしても事は俺の思い通りに進んでくれない。俺に声をかけてきた時点ですでに火狭は水科の恋人で、そもそも俺が守る必要はなかった。しかも、この前の日曜日にようやく火狭に認められたかと思えば、今度は天王野に殺されてしまった。今回は――あのときとは違って今回こそは守りきれると思っていたのに、それをこいつは……!」
「せ、遷杜様。いくつか質問をしてもよろしいでしょうか……?」
「何だ、こんなときに」
今の遷杜様の話、私は聞き覚えがある。いや、私の予想が正しければ、それはいつかどこかで私が誰かに聞いた物語上の作り話などではない。厳密に言えば、それは実際に起きたことに他ならない。
「遷杜様は、幼い頃に仲がよかったその女の子とどうやって知り合ってんですか?」
「教えても構わないが、なぜそんなことを聞くんだ?」
「いいから、教えて下さい」
「別に、そんな大げさなことじゃない。確か、俺にもまだ誰かを幸せにできると思っていた時期があったんだ。そんなときに、まだお互いの顔も名前も知らないその女の子が落ち込んでいるのを見かけて、声をかけて慰めたのがきっかけだったような気がするが」
「……っ! そ、それでは、遷杜様はその女の子が亡くなったのを直接見たのですか?」
「いや、事故後すぐに大人たちによって事故現場から遠ざけられたから、死体そのものは見ていないな。だが、さっきも言ったが現代医学の技術があっても到底治るとは思えない――」
「まさか……そんなことが……」
「金泉……?」
そのとき、私の中で何か新しいものが開花しようとしているのがよく分かった。これまでは途切れ途切れになっていて、断片的なものでしかなかったいくつもの記憶のパーツが少しずつ揃っていくのがよく分かった。
私が遷杜様のことを好きになったのは、何もかも全てのことに絶望して自殺しようといたのを遷杜様に止められ、革新的な台詞を言ってくれたからに他ならない。でも、私はこれまで、その出来事が高校生になってからの話だとばかり思っていた。しかし、もしそれが高校生になってからの話ではなく、それよりも何年も前に起きていたことだったら?
私が現代で起こるはずのない交通事故に巻き込まれて大怪我をしたことと、当時の私には友人なんていなかったはずなのに、事故の寸前に私のすぐ傍にいた人物が――幼い頃の遷杜様だったとしたら?
「せ、遷杜様……もしかして、その女の子というのはわたく――」
そうだ。そうに違いない。
自殺しようとしていた私の命を救い、私に生きる意味を与えてくれた遷杜様。私は高校生になるよりも前から、幼い頃から遷杜様とすでに出会っていた。だから、遷杜様のことがこんなにも好きだったんだ。そして、遷杜様にとって大切な存在で、遷杜様のことを知らず知らずのうちに助けていたのはこの私に違いない。
私は、今こそこの想いを遷杜様に伝える必要がある。そして、ようやく繋がった二つの大きな出来事の関係を伝え、遷杜様に私のことを思い出してもらう必要がある。こんなこと、忘れてはいけないことのはずなのに、事故のショックで忘れてしまっていた自分のことが恨めしい。
でも、もう過去のことを悔いても仕方がない。私は前に進むために、遷杜様と真の意味で一つになるために、事の真相を話す必要がある。
私はそのことを遷杜様に言おうとしていた。しかし、その直前、私のそんな台詞を遮るかのように、天王野さんの大声が聞こえてくる。
「……カナイズミ、キマタ! ……危ない!」
「え……?」
直後、パァンッという大きな銃声音が人工樹林内に響き渡った。その音はOverclocking Boosterのものではなく、旧式の鉛玉を弾丸とするタイプの拳銃の音だとすぐに分かった。
「ぐっ……ぐああああああああああああああああ!!!!」
「せ、遷杜様!? だ、大丈夫ですか!?」
遷杜様の悲痛な大声が聞こえると同時に、私は遷杜様の視線を落として人工樹林の地面の上で転がっている遷杜様の姿を見た。すると、遷杜様の両足には制服のズボン越しでも分かるほどの真っ赤な穴が空いており、そこからドボドボと血が流れ出ていた。
まさか天王野さんが何か策を講じてきたのだろうか。まず最初に私はその可能性を疑って、遷杜様の拘束を逃れた天王野さんのほうを見た。しかし、天王野さんは頭を抱えて小さくうずくまって震えているだけで、特に何かをした様子はなかった。
遷杜様の足に穴を空けたのが天王野さんじゃないとすれば、いったい誰がこんなことをできるというのか。それに、先ほど天王野さんが放った、自分が私たち二人に追い詰められているというのに、そんな私たちの身を案じるような台詞。これらのことには、何の関係性があるというのか。
私は遷杜様に寄り添いながらどうにかして止血しようと考えを巡らせながら、そのすぐ近くで震えている天王野さんの姿を横目で監視していた。
そのときだった。
「はーい。二人の感動秘話はそこまでー」
「……!?」
不意に、何者かの声が聞こえた。その声が聞こえると同時に、震えていた天王野さんの肩が一瞬だけぶるっと震えたのが分かった。私はそんな天王野さんの様子に違和感を感じながら、その声がした方向を見ていた。
すると、その十数秒後、一昨日の時点ですでに死んだはずの人物がそこにはいた。
「……つ……土館……さん……!?」
「久し振りー、金泉ちゃん。それと、木全君も。あ、天王野ちゃんとは今朝もあったよね? まあ、もう何でもいいや。それはそうと、三人とも、喜んでね?」
土館さんの姿形をした人物は続けて言う。
「この私が、殺しに来てあげたから」