第二十六話 『夕方』
「……おかしい……」
放課後、帰る仕度をしていた私は不意にそんなことを呟いた。
教室の中には、私を含めて六人の生徒がいる。それは、私と遷杜様と他の生き残っているクラスメイトたち四人のことだ。天王野さんについてはつい先ほど鞄を持って廊下に出て行くのを見かけた。天王野さんは昼休みに他の生き残っているクラスメイトたち四人と少々揉め事があったみたいだけど、本人はそれほど気にしていないようにも見えた。
さて、今日の授業は昨日あんな事件があったということで普段よりも一時間早く終わることになり、まだ空の色が夕焼け色に染まり始めていない頃、私はある二つの違和感を覚えていた。
一つ目の違和感は、仮暮先生が失踪したということだ。
私が最後に仮暮先生の姿を見たのは、昨日、爆発が起きている教室から一時的に学校奥に避難して、再び教室に戻ってきたときが最後だ。その後は生徒や先生たちの波に押されてろくな行動ができなかったし、学校では色々と事情聴取みたいなことをされていたから、そのときに仮暮先生が何をしていたのかを気にしている余裕はなかった。
そして今日、仮暮先生担当の授業の時間になっても、仮暮先生はこの教室にその姿を現さなかった。しばらく待ってみても来る気配はなく、異変を感じ取った私が第二職員室(何かあったのか本来の職員室は立ち入り禁止になっている)に行ったとき、そこにいた先生たちはようやく仮暮先生が行方不明になっていることに気がついたらしい。
仮暮先生のPICに直接電話をかけてみても繋がらず、校内にある数台の監視カメラの映像を見てみても、仮暮先生らしき人物は映っていなかった。結局、昨日の事件のこともあって膨大な量の情報整理に追われて教職員の人数が不足していることから、仮暮先生担当の授業はそのまま自習となった。
それ以降、仮暮先生の行方は未だに分かっていない。今朝、第二職員室で天王野さんと話している仮暮先生の姿を見たという先生もいたけど、その後仮暮先生がどこに行ったのかは分からないという。
仮暮先生は一見気弱で物静かな先生のようにも見える。でも、昨日の事件当時のことからも分かるように、非常に適切な状況判断能力に長けていて、何よりもどんな場面でも生徒のことを一番に考えてくれている。教職に就く前はどこかの研究所の研究員だったという噂もあるけど、教職員になっている今ではその責務を果たし、私を含めた生徒たちからは厚い信頼を寄せられている。
ただ一つ唯一の欠点を言うとすれば、太陽楼仮暮という長い上に言いにくい名前をしていることくらいのものだ。一々『太陽楼先生』とは言っていられないので、私を含めた生徒たちは基本的に『先生』や『仮暮先生』などと呼んでいる。そういえば、天王野さんは『タイヨウロウ』と呼び捨てにしていたような気もする。ちなみに、仮暮先生は四字熟語とかことわざが好きなのか、口癖は『一石二鳥』だ。
そんな仮暮先生が私たちを置いてどこかに逃げるはずがない。そんなことは分かっているけど、音信不通で行方不明になっているとなると、どうしてもそんな心配もしてしまう。それに、もし私たちの担任教師であり、命の恩人でもある仮暮先生の身に何かあったら……そんな嫌な予感さえ過ぎってしまう。
仮暮先生の心配をこれ以上しても仕方がないだろう。話を次に移すとしよう。
二つ目の違和感は、火狭さんと水科さんの姿が見当たらないということだ。
仮暮先生が失踪したことで頭が一杯で放課後になるまで特に気にしていなかったけど、そういえば二人の姿が見当たらない。思い返してみれば、午後からの授業が始まった頃にはすでにいなかったような気もする。
もしかすると水科さんが火狭さんに謝って仲直りをして、そのまま二人だけの世界を作り出して早退した、なんてことはないだろうか。あの二人なら現実にそうなっていてもおかしくないのが少々気持ち悪いけど、今回に限ってそんなことになったとは思えない。
水科さんはどうしても火狭さんのことを心の底からは許せないと言っていたし、火狭さんも今朝のように誰かから声をかけられてもまともに返事ができるような状態にはないように思える。そんな二人がどうやってお互いを許し合えて、仲直りができるというのか。
火狭さんと水科さんが早退したという連絡もないし、そんな噂もない。そして、今日私はあの二人が話しているところを一度も見ていないし、仲直りした雰囲気すらない。
そうなると、火狭さんと水科さんはいったいどこに……?
そんなことを考えていると、仮暮先生のことも心配だけど火狭さんと水科さんのことも心配になってきた。誰か三人の行方を知っている人がいればこんな心配をする必要もなく天王野さんと話をできる時間が作れるというのに。
……いや、一人だけいた。三人の行方は知らないと思うけど、少なくとも確実に、私の話し相手になってくれる人物が。
私はタブレットなどを鞄に詰め込んだ後、肩から鞄の紐を提げながら席を立った。そして、そのまま迷うことなく一直線に教室の後ろ隅にある席に座っている遷杜様のもとへと歩いた。遷杜様は私がすぐ近くに来ていることに気がついていないのか、透明な強化ガラスの窓越しに見える外の景色を眺めていた。
「せ、遷杜様。今、少しよろしいでしょうか?」
「……ん? ああ、金泉か。何だ?」
遷杜様は火狭さんや水科さんのように特に変わった様子もなく、私が知っている遷杜様の状態で私に返答した。ただそれと同時に、寝不足なのか少しだけ目の下に隈ができているのも分かった。やはり、遷杜様も昨日のことで心身ともに疲労困憊なのだろう。無理もない。
それでも、できる限りその様子を感じさせないように返答してくれたということに、私は深い喜びを感じた。どれだけ疲れていても、火狭さんと取り返しのつかない過ちを犯していたとしても、遷杜様はやはり遷杜様なのだと実感できたから。
たとえ遷杜様が私ではなく火狭さんのことを好いていたとしても、私はどうしても遷杜様のことが諦めきれない。この想いが一生伝わることがなくても、その可能性が皆無だったとしても、私は最初から片想いでも構わないと思っていたのだから。
「遷杜様もご存知かと思いますが、仮暮先生の行方が分かりませんわ。そして、おそらく昼過ぎ頃からだと思うのですが、火狭さんと水科さんの姿も見当たらないのですわ。三人のことについて何か知っていることがあれば教えて頂けませんか?」
「仮暮先生が失踪したというのは知っているが……火狭と水科もだと? ……言われてみれば、午後から二人の姿を見ていないような気もするが……」
「何でも構わないのですわ。何か、三人の行方を知る手がかりをご存知ありませんか?」
「手がかり、か……あ、そういえば――」
「何か思い出したのですか?」
「ああ。金泉、昼休みに天王野がクラスの連中と揉めていたのを覚えているか?」
「え? ええ、覚えていますわ。あのときは何事かと思いましたけど、結局ただの言い争いで終わったんでしたよね?」
「いや、違う。金泉はあのときのことを見ていなかったのか?」
「どういう意味ですか?」
「あのとき、天王野とクラスの連中は何が原因かは分からないが、言い争っていた。そして、無口な天王野がそんな言い争いに勝てるわけもなく気圧されていたとき、火狭が天王野の手を引いてどこかに連れて行ったんじゃないか」
「そう……でしたか……?」
あのときのことについて、私はあまり細かいことは思い出せない。ただ私には、天王野さんとクラスメイト三人(四人だったかもしれない)が何かについて揉めて言い争っていた、ということしか分からない。仮暮先生の心配をしながら軽く流すように見ていたから記憶が飛び飛びになっているのかもしれない。
遷杜様はやけに深刻そうな表情をしながら、続けて言った。
「火狭が天王野をどこかに連れて行ったのは昼休みのことだ。また、火狭と水科の行方が分からなくなったのは午後からのこと。そして、天王野は午後の授業には参加していた。ということはつまり……」
「まさか、天王野さんが火狭さんを……?」
「ああ。そんなことなんてないと思いたいのは山々だが、最悪のことを考えると、それ以外には思い当たらない。何か、取り返しのつかないことにはなっていなければいいのだが……」
「もし火狭さんが天王野さんに何かをされていたとして、そうなると水科さんは?」
「分からない。だが、いくら火狭を許せていない水科でも、その火狭が突然姿を消したら探しにいかないことはないだろう。もし火狭の身に何かがあって、PICで連絡を取ることもできないような状態にあったのならなおさらだ」
遷杜様が言ったことが正しければ、天王野さんは今度は火狭さんと水科さんを次のターゲットにしたということになる。でも、何で天王野さんはあの二人のことを次のターゲットにしたのだろうか。あの二人は天王野さんとそこまで親交が深かったわけではないはずだし、恨みや妬みを買うこともなかったはずだ。
水科さんは天王野さんのことを一人の友人として接していたはずだし、火狭さんも天王野さんだけには突っかかったりはしていなかったはずだ。それに、以前天王野さんと恋愛関係の話になったときに天王野さんは『男に興味はない』と言っていたような気がするから、あの二人の親密過ぎる恋仲に嫉妬するなんてこともないと思われる。
だったら、どうして……? ……いや、そう考えれば、これまでに起きたいくつもの事件の全ての辻褄が合うんじゃないだろうか。
もし、天王野さんが無差別に殺人を犯したいと思っていたり、海鉾さんや地曳さんのような友人グループの五人に個人的な恨みがあって殺そうと思っていたのではなく――、そもそも私たち友人グループそのものに対して殺意を抱いていたとすれば、どうなる?
元々、天王野さんは私によって半ば強引に友人グループに入らされた。最初は天王野さんも嫌がっていたけど、少しずつ友人たちに打ち解けていって、時々可愛らしい笑みを見せることもあった。中学生の頃までは頻繁にあったらしいクラスメイトからの虐めもほとんど見ていないし、楽しい学校生活を送れているようにも見えていた。
しかし、その裏で(厳密には私が見ていないところで)天王野さんが私たち友人グループに殺意を持つきっかけとなる出来事が起きていたなら? いくら友人が増えたところで、天王野さんのことを陰で虐める腐った連中はいなくなったわけではないし、天王野さんの義理の家族は毎日のように天王野さんのことを虐めている。
そんな日常が続いていくにつれて、天王野さんは無駄に仲良くなっただけで無力極まりない私たちに嫌気が差していて、その上八人それぞれに個別の恨みがあった。そう考えれば、これまでに四人もの友人が殺され(土館さんも数に含める)、二人が行方不明になっているのも頷ける。それに、教室に毒ガスや爆弾を投げ込んだのだって、クラスメイトを無差別に殺すためではなく、私たち友人グループのメンバー全員をまとめて殺そうとしてしたことなのだと解釈すれば、合点がいく。
もしかすると、もう手遅れかもしれないけど、間に合うのであればできる限り急いだほうがいい。
「遷杜様。昼休みに天王野さんと火狭さんがどこに行ったかは分かりますか? 場所まで分からなくても、せめてその方向だけでも」
「いや、まさか俺もこんなことになるとは思ってもいなかったからな。さすがに、火狭の後ろ姿を目で追うなんてことはしなかった」
「そうですか……まあ、それもそうですわね。それでは、昼休みに天王野さんと火狭さんはどこに行って、現在火狭さんと水科さんはどこに閉じ込められているのかを考えましょう」
「何? 火狭と水科は天王野によって閉じ込められているのか?」
「いえ、それはあくまで私の仮説ですわ。実際にはどうなっているのかは分かりません」
「さすがの金泉でもそこまでは分からないか」
「私は超能力者でもなければ、異常なほど勘に優れているわけでもありませんから。遷杜様にそう言ってもらえるのは嬉しい限りですが、いくらなんでもそれは過剰評価というものですわ」
「それもそうか」
ただ、火狭さんと水科さんがどこかに閉じ込められているのなら、PICを使って私たちに何らかのアクションを取るはずだ。しかし、今のところ私や遷杜様に火狭さんや水科さんから連絡は入っていない。つまり、火狭さんと水科さんは『どこかに閉じ込められた』ではなく『どこかで殺された』という可能性のほうが高いことになる。
でも、ここで遷杜様にそのことを言ってしまうと、遷杜様の捜索意欲を削ぎ落としてしまうかもしれないので、あえて『閉じ込められた』と言っておくことにした。それに、私は今日天王野さんに殺されたのは何も火狭さんと水科さんだけではないのだろうということも察していた。最悪の場合、行方不明となっている仮暮先生も天王野さんの手によって殺されている可能性がある。
私はこれから自分たちがどんな惨状に向かおうとしているのか、そのことをよく理解しながら遷杜様と話し合った。
行き道を誰にも目撃されることなく、火狭さんと水科さんを長時間閉じ込められる(死体を隠せる)場所。そして、人通りが限りなく少なく、学校の敷地内に数台しかない監視カメラに映らず、私たちに今の今までそのことを気がつかせなかった場所。
天王野さんは午後からの授業には参加していたことから、学校の敷地外で犯行をして誰にも見つからずに再び教室に戻ってくることは困難で、犯行は学校の敷地内で行われたということになる。そして、学校の敷地内に数台しかない監視カメラの大半は校舎内に設置されており、校舎内には生徒や先生たちだけでなくFSPの人間も行き来していることから、校舎内での犯行も困難だろう。言うまでもなく、それと同時に学校の敷地外や校舎内に二人を閉じ込める(死体を隠す)ことなんてできるわけがない。
これらの条件に全て当てはまる場所。いくら学校の敷地内とはいえ、そんな場所はいくらでもある。でも、天王野さんがこれまで知らなかった場所、つまり『それほどまでに学校関係者にすら思い出されない場所』が一つだけあった。
それは――、昨日仮暮先生が私を含めた生徒八人を生徒大量虐殺事件の事件当時の現場から避難させた先にあった、学校奥にあるゴミ処理装置などがある場所だった。あそこなら、校舎に隣接していないから人通りは限りなく少なく、大声を出しても校舎まで聞こえないはずだ。
加えて、校門や校舎から離れた位置にあるにも関わらず、それらに背を向けるような形でその場所は存在しており、体育倉庫やゴミ処理装置などが壁のようになっているためにそこで何が起きているのかを遠くから判断することは困難だ。
決まりだろう。
ようやく、火狭さんや水科さんが閉じ込められている場所として最も確立が高いと思われる場所は学校奥だろうという結論が出た。私と遷杜様は少々焦りながら、すぐさま学校奥へと向かった。
その先で私たちが見た光景は悲惨極まりないものだった。