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オーバークロックプロジェクト-YESTERDAY   作者: W06
第四章 『Chapter:Venus』
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第二十五話 『朝方』

 あの後、私を含めた生徒八人と仮暮先生は辛うじて難を逃れることに成功した。仮暮先生は床下(下の階の天井裏)を通って避難できることを以前から知っていたのか、一つ一つの行動に迷いを見せることなく私を含めた生徒たちを誘導してくれた。


 狭い道を這い蹲るようにゆっくりと進み、数分後にようやく辿り着いた先は学校奥にあるゴミ処理装置などがある場所だった。私はここなら天王野さんに見つかることもないだろうと確信し、案の定その後も天王野さんが私たちを見つけることはなかった。


 それからというもの、私たちは初めの五分程度の間はそこにあった物陰に隠れて身を潜め、学校全体で何が起きているのかを伺っていた。そして、爆発音が聞こえなくなった頃に再び校舎内に入ってみると、そこにはものの三十分程度の間に起きたことをまるで理解できていない他のクラスの生徒や仮暮先生以外の先生たちの姿があった。


 そんな中、私のクラスの教室とその手前の廊下だけは、他と比べて特に異質な雰囲気を漂わせていた。


 私のクラスメイトで生き残ったのは、私を含めて八人。そして、海鉾さんと地曳さんと冥加さんはそれよりも前に殺されており、天王野さんは学校を欠席していたから、それ以外のクラスメイトは十八人のはず。しかし、今となっては彼らの姿はどこにもなく、代わりに教室の中とその手前の廊下は一面真っ赤に染まっており、辺りには大量の肉片や骨の破片が散乱している光景が広がっていた。


 騒ぎを聞いて駆けつけた先生たちによって自分の教室に帰されるまでいた生徒たちのうち、その光景を見てあまりの悲惨さとむごさで思わず吐いてしまったり、軽く悲鳴を上げる生徒もいた。でも、自分たちのすぐ目の前でこの惨状以上の恐怖を味わい、拷問に等しい経験をした私を含めた八人は何も声を上げることはできなかった。


 教室に異変が起きて爆発が起き始めた頃から突然行方が分からなくなった土館さんも未だに発見されていないことから、おそらくあの肉片と骨の破片の中には土館さんのものも含まれているのだろう。土館さんは遷杜様たち三人の一件で何らかの報いを受けるべきだと思っていたけど、私としてもまさかこんな形でその報いを受けるとは思ってもいなかった。


 昨日の生徒大量虐殺事件による死亡者は十八人。そのうちのほとんどの生徒は本来あるべき人体構造の原型を留めておらず、まさに言葉通り木っ端微塵になっていた。また、そのことも含めて、教室の中と廊下が一面血の海になっていたことや、幾度となく繰り返し起こされた爆発の衝撃で透明な強化ガラスの一部にヒビが入ったことから、しばらくの間はその周辺には立ち入ることができなくなるらしい。


 一応先生たちはすぐに警察と救急車を呼んでいたけど、もうどちらも必要ないだろう。警察なんて存在しないのだから学校に来るのは情報操作をするFSPの人間だし、無傷の生存者か死亡した犠牲者しかいないのだから救急車なんていてもいなくても同じことだ。


 何でこんなことになってしまったんだろう。何で、どうして、天王野さんはここまでする必要があったのだろう。友人である海鉾さんや地曳さんについては、以前から何らかの恨みがあったとか口封じのためとか、そういう理由で殺さなければならなかったと考えれば説明がつかないこともない。でも、クラスメイト全員を無差別に虐殺しようとするなんて、その動機など分かるわけがない。


 これはもはや、正気の沙汰ではない。狂気――そう。狂気そのものだ。


 もう、天王野さんは元の平和で平凡な世界に引き返せないところにまで来てしまっている。どう偽ることもできないまま、私はそう感じていた。


 昨日あんなことがあったということで、今日からは別のフロアにある空き教室で授業が行われることになる。私としては、生徒大量虐殺事件なんてことがあったのだから本来なら学校そのものを閉鎖するべきだと思うけど、閉鎖したら閉鎖したで学校側にも何か問題が発生するらしく、現在では自由登校という決定をされている。


 それに、殺された生徒の遺族や同じ学校に通う生徒の保護者たちをはじめとして、学校関係者と知り合いにある人たちにはすでに昨日の事件のことは広まっているらしく、それはもはやFSPの情報操作能力を遥かに超えているものだった。あと、今朝のニュースを見た限りでは、テレビ局や出版社などにはすでに情報規制が行われているらしく、私が住んでいるこの街のみに事件のことは広まっているようだ。


 加えて、私の両親は昨日の事件のことについては何一つとして私に聞いてこない。二人はFSPのトップだから事件のことなんてとっくに知っているはずなのに、私に気を遣うなんてことはないはずなのに、なぜか私の身を心配したり質問攻めをしたりしてこない。まあ、私としても昨日の事件については思い出したくないので、聞かれなくてよかったという思いもある。


 今朝学校側から私のPICに届いた『一時的な教室変更の連絡』の文面を見ながら、その空き教室へと向かう。普段ならこんなところ来る機会なんてないし、こう見てもそれなりに広くて結構複雑な構造をしている校舎なので、こんな場所に使用できる教室があることすら知らなかった。でも、言われてみれば、生徒や先生たちの人数と明らかに不釣合いな大きさの校舎なのだから、空き教室くらいいくらでもありそうな気がしてくる。


 その空き教室の前に立つと、何を驚く必要もなくごく当たり前のように適切な速度で自働ドアが開いた。教室の中を見てみると、どうやら私の友人で生き残っていた三人とその他のクラスメイト二人はすでに登校していたらしい。


 しかし、その五人は全員黙ったまま顔を俯けており、遠くから見てもよく分かるくらい重苦しい雰囲気を発していた。しかも、それぞれ教室の四隅と中央に一人ずつ座っており、顔を俯けているせいで会話を交わすどころか視線を交わらせる気配すらない。


 ああ、この沈みきった重苦しい雰囲気に呑まれては駄目だ。私には……私たちにはこれからするべきことがある。昨日友人間での揉め事があったけど、生徒大量虐殺事件があったけど、いつまでもそんなことは言っていられない。


 おそらく、今日もしくは明日しかチャンスはない。天王野さんに自分がこれまでの事件の犯人だと自白させ、もう二度とあんなことはしないと誓わせるチャンスは。


 教室の出入り口のドアの手前で意を決した私は教室前方部分にある電子式の黒板に表示されている通りに自分の席に向かい、そこの机に少々乱暴にバッグを置いて、教室の隅にある席に座っている水科さんに近づいた。水科さんは私がすぐ近くに来ているというのに俯けた顔を上げようとはせず、未だに重苦しい雰囲気を発している。


「お、おはようございます、水科さん。少しお話があるのですが――」

「……ごめん、霰華ちゃん……今は無理だ」

「え……?」


 私が話しかけると、水科さんは何かを察したかのようにそんなことを言ってきた。私はまだ『話がある』としか言っていないというのに、水科さんは何を察したというのか。数秒間の沈黙の中、私は水科さんの次の台詞を待ちながらそんなことを考えていた。


「霰華ちゃんが僕に何の話をしようとしているのかくらい、僕にだって分かるよ。それは、昨日の朝に起きた僕たち三人の揉め事のことか、その後に起きた大量殺人事件のことだよね?」

「ええ……まあ……」

「やっぱり、そんな気がしてたんだ。だったらなおさら、僕から言えることは何もないよ」

「……どうして、そう言い切れるのですか?」

「別に、言い切るとか言い切らないとか、そういうことじゃないんだ。僕はもう、何もかもどうでもいいって思ってしまっている。誓許ちゃんの悪巧みとはいえ、僕は大切な恋人である沙祈とかけがえのない友だちである遷杜君に暴力を振るってしまった。そして、そのことを酷く後悔して謝りたいと思っているにも関わらず、未だに二人のことを心の底からは許せていない」

「でしたら――」

「それに、その後に起きたあの大量殺人事件のことのほうがどう考えても重要な出来事のはずなのに、どうすることもできないまま目の前で何人ものクラスメイトが殺されていったというのに、僕はそのことを忘れかけてしまっている。あの地獄のような光景を思い出して気分が悪くなるのを避けて、その代わりに沙祈と遷杜君のことを考えようとしている」

「……水科さん。誰だってあんな悲惨な光景を見たら忘れたいと思うでしょうし、私も水科さん同様に、事件当時のことはできる限り思い出さないようにしていますわ。それに、遷杜様や火狭さんとの一件のほうが水科さんにとって重要度が高いのであれば、それはそれで構わないのではないですか?」

「それじゃ駄目なんだ!」

「ど、どうしたんですか……? 水科さん……?」


 私が何か水科さんの気に障ることを言ってしまったのか、水科さんは突然大きな声を出して私にそう言った。それと同時に、水科さんはそれまで俯けていた顔を私のほうに向けており、そのときの水科さんの表情は今にも泣きそうになっていて、誰かに助けを求めているようにすら思えた。


 私としては水科さんの思考におかしな点はないように思える。しかし、一方で水科さん自身はそんな自分の思考に何らかの不満を抱いているのは明らかだった。私が少々驚きながら聞き返すと、水科さんは続けて言う。


「確かに、僕にとっては沙祈と遷杜君との一件は人生の分岐点と言っても過言ではないほどの重要な出来事だ。でも、その後すぐに僕の目の前で何人ものクラスメイトが殺されたんだよ? 爆発音と地響きの中、腕や足が宙を舞い、内臓や骨の破片が辺りに散乱する、血の海と化したあの地獄のような光景が現実として僕たちの目の前であったんだよ? こんなこと、人生の分岐点どころか、こうして生き残っていることのほうが不思議じゃないか。それなのに、僕は今ここで生きていられる喜びや、何人ものクラスメイトが殺されたことの悲しみを考えもせず忘れかけてしまっている。その上、沙祈と遷杜君のことを何よりも先に考えている」

「水科さん……」

「僕は……僕はこんな自分のことが大嫌いだ。今を喜べず、死者を弔えず、過去に固執している。もう終わったことだというのは分かっているのに、もう起きたことはやり直せないというのに、いつまでもそんなことを考えている」

「……、」

「霰華ちゃんはこれから何か、この世界の分岐点とも呼べるようなことをしようとしているんだよね? だから、こんな僕に話しかけてきた。だったら、それは僕抜きでしてくれないかい? 過去に固執することしかできない僕には、未来を目指そうとしている霰華ちゃんを手助けすることなんてできない。悪いけど……他を当たってほしい」

「……分かりましたわ」


 正直なところ、ただただ無駄に自分の理論を展開されて余計に話がややこしくなってしまいそうだったけど、要約するとどうやら水科さんは今は私と話したくないらしい。まあ、水科さんの言ったように昨日起きた二つの大きな出来事はどうしようもないくらい悲惨なことだったけど、私としてはだからこそ行動するべきとも思える。


 ……こんなところで時間を使ってなんかいられない。もしかすると、今日は天王野さんも登校してくるかもしれないし、そうなるとこれからどうなってしまうかなんてことは検討もつかない。水科さんが駄目なら、他の二人の友人に話をしに行けばいいだけのことだ。


 私は半ば水科さんに呆れながらもその場所から離れ、今度は水科さんの対角線上にある席に座っている火狭さんのもとへと歩いていった。そして、膝を抱えるような姿勢で椅子に座っている火狭さんの背後から声をかける。


「火狭さ――」

「……ひっ!? ご、ごごごご、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいぃぃぃぃ……」

「あの――」


 私が声をかけると、それまで黙って俯いていた火狭さんの様子が豹変してしまった。火狭さんは私の顔を見ると同時に顔を真っ青にして、両手で頭を抱えてぶるぶると体を震わせ始めた。そんな火狭さんの様子は、暗がりに怯える幼い子どものようにも見えた。


 それからというもの、どうにかして火狭さんと話をしようと試してみても、一向にまともな台詞は返ってこない。肩に手をかけて揺さぶってみたら弱々しく振り払われ、声をかけてみてもただただ『ごめんなさい』と言われるだけ。


 私が知っている火狭さんはこんなおどおどした人格をしていなかったはずだ。もっとこう、四六時中水科さんにべったりとくっ付いていて、水科さん以外の人に対しては少々きつい振る舞いをするような人だったはずだ。それなのに、今の火狭さんは私にそんな面影すら感じさせない。何が火狭さんのことをここまで変えてしまったのか。私にはその理由がよく分かっていた。それは、昨日の朝に起きた出来事が主な原因だろう。


 火狭さんは、遷杜様と取り返しのつかない過ちを犯してしまったために恋人である水科さんに暴力を振るわれ、土館さん本人から自身が黒幕だったという裏切りの告白をされ、挙句の果てに目の前でクラスメイトが次々と無残に殺されていったのだ。これだけのことがあって、まともな精神状態を保てるわけがない。私でもそんな経験をすれば今の火狭さんのようになっていたかもしれないし、心の傷というだけあって完治まではまだまだ時間がかかりそうだ。


「はぁ……」


 私は大きな溜め息を吐き、水科さんのとき以上に呆れながら火狭さんのもとから離れた。水科さんも火狭さんもそれぞれ理由があるとはいえ、少しくらいは問題の解決に力を貸してくれてもいいのに。そう思うことは簡単だった。


 さて、使えない二人のことはさておきとして、次は遷杜様に話を聞きにいくとしよう。遷杜様ならきっと私の話を聞いてくれるはずだし、水科さんのように異常なほどの自己嫌悪をしたり、火狭さんのように周囲に恐怖を覚えたりはしていないはずだ。


 そう考えながら、私は教室の中を見回して遷杜様を探した。しかし、遷杜様の姿は見つからない。つい先ほど、私がこの教室に来たときにはいたはずなのに、いったいどこに行ってしまったのだろうか。そんなことを思っていると、不意に教室の出入り口のドアが開いた。


「……っ!」


 そこには、天王野さんの姿があった。なぜか左目に大きな眼帯を付け、妙におどおどと周囲を見回している天王野さんの姿が。せめて遷杜様に話をしてから登校してくれればよかったのに、なんとタイミングが悪い。私は一度だけ軽く舌打ちをし、その後、そのまま自分の席に座った天王野さんのもとへと近づいて声をかけた。


「あ、天王野さん……!」

「……ど、どうしたの? カナイズミ……」

「い、いえ……左目にある眼帯についてもゆっくりとお話を聞きたいところなのですが……まず、私は天王野さんにいくつか質問しなければならないことがあるのですわ。いえ、そもそも、あなたに黙秘権なんてものはありませんし、真実を答えることしか許されていないのですわ。何があっても、どう抵抗しても、全ての質問に答えて頂きますわ」

「……す、好きにしたら?」


 このとき、私は妙な違和感を感じ取っていた。生徒大量虐殺なんて真似をしておいてのうのうと登校できることについても違和感があるといえば間違いないけど、それ以上に、どこか天王野さんの様子がおかしいような気がした。


 いや、生徒大量虐殺なんて真似をして多少の罪悪感を感じていたり、その罪を誰かに言及されることを恐れているためにこんな状態になっているのならまだ納得はできるかもしれない。でも、私が感じた違和感はそんなものではなく、何というか、誰か特定の人物を恐れているように思えた。


 もしかして、私? まさか、そんなことは――、


「昨日、学校で何が起きたのかについては、すでに仮暮先生から聞いていることでしょう。そうでないと、本来の教室ではないこの教室に来ることはできませんからね。そこで、最初の質問ですわ。天王野さん、あなた、昨日はどこで何をしていたのかしら?」

「……気分が悪くて、頭痛もしていたから欠席しただけ。……家にあったはずの薬は切れていたし、あまり病院にも行きたくなかったから、完治まで時間がかかった」

「まあ、そういうことにしておいてあげますわ。それでは、次の質問ですわ。もしかして、天王野さんは昨日起きたいくつかのテロ行為について心当たりがあるのではないかしら? もしくは、その犯人を見たとか、心当たりがあるとか」

「……ワタシは、今朝タイヨウロウから初めてそのことを聞かされた。……それまでは、まさか学校でそこまで大変なことが起きているなんて知らなかった。……そんなワタシが、テロ行為や犯人についての心当たりがあるわけがない」

「そうですか。ここまでの答えは、まあ、『表向きの』答えとしてはいいでしょう。こういってはおかしな話ですが、私も最初から天王野さんの言葉を信じるつもりはありませんでしたし。それでは、時間も押してきていますし、とりあえず、最後の質問ですわ。その眼帯、どうしたのかしら?」

「……家の階段から落ちて、そのときに打ち所が悪くてこうなった。……治療はしているけど、治りそうもない。……見せろというのなら見せるけど、結構グロいから、後悔してもワタシは知らない」

「いえ、結構ですわ。わざわざ何の理由もなく眼帯をつけるのはリスクばかりでメリットが薄いですから、おそらくその台詞『は』真実でしょう。それに、言ったでしょう? 最初から、あなたの言葉を信じるつもりはないのですわ」


 淡々と会話が進む。一見会話の受け答えが成立しているように見えて、実はそんなことはない。これはただの状況確認……というよりは情報交換のようなもの。最初から、お互いに相手に余計な情報を与えないようにしながら、相手から情報を探ろうとする。そんな、もはや友人とは呼べないような悲しくてつらい会話、もとい情報収集合戦だ。


 まだ一時間目の授業までは数十秒だけだけど時間がある。だから、私はあと少しだけでも天王野さんと話しておく必要がある。天王野さんがなぜあんなことをしてしまったのか、その理由の断片だけでも探るために。そして、もう二度とあんなことをしないように誓わせ、もう手遅れかもしれないけど、ぎりぎり今なら引き返せるかもしれないということを伝える必要がある。


「天王野さん。あなたの周辺で……いえ、あなたの身に何が起きたのかは知りませんし、聞こうとも思いません。ですが、謝ったり、手を引くなら今のうちですわ。これから先、私だけでなく、多くの人たちがあなたの敵になることでしょう。もっとも、私たちの推理が間違っていて、まったくの検討違いならそれで構いませんし、こちらから謝罪させて頂きます。ただ、その可能性は薄いでしょう。だから――むぐぅ!?」


 突如として、私の口が柔らかい何かによって塞がれた。気がついたとき、私のすぐ目の前には天王野さんの顔があり、私の唇には天王野の唇が押し付けられていた。さらに、何が起きたのか理解が追いつかないまま私が動揺していると、天王野さんは自分の舌を私の口の中に絡ませ始めた。


 さすがにそこまでのことをされると私の体は反射的に反応し、天王野さんを両手で軽く突き飛ばした。その際、私たちの間には光輝く糸のようなものが垂れ、私は思わず制服の袖で自分の口元を拭った。


 見てみると、天王野さんの顔は真っ赤に染まっていた。それはまるで、風邪でもひいて熱でもあるかのように、熱く火照っているようにも見えた。


「な、何をするんですか! わ、私のファーストキスを……!」

「……カ、カナイズミ。……ありがとう。……少し、落ち着いた……」

「天王野さん……あなた、何だか最近は特に様子が変ですわ。一回、精神医学専門の病院に診てもらいにいくことをお勧めしますわ。必要なら、私から有名で信頼できるところをご紹介致しますが?」

「……確かに、そうしたほうがいいかもね。……いや、ほんとに、できることならそうしていたい……」

「え……?」


 私は冗談半分な気持ちで天王野さんにそんなことを言ったけど、どうやら天王野さんは真に受けてしまったらしい。結局、登校してから一時間目が始まるまでの間、私は遷杜様と火狭さんと水科さんとまともな会話をすることができず、天王野さんにも伝えたいことを伝えられなかった。


 ただ、今日の天王野さんの様子は大量殺人犯のそれではなく、むしろその恐怖に怯えているだけのようにも見えた。まあ、おそらく私の勘違いか何かなのだと思うし、それほど深く考える必要もないかもしれない。何にしても、これから私がすることはもう決まっている。


 そして、一時間目開始のチャイムが鳴った。

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