第二十話 『衝撃』
数回の呼び出し音の後、PICの立体映像の画面上に土館さんの顔が映し出された。私は普段通りの土館さんの顔を見ると同時に、思わず安堵の溜め息を漏らしてしまった。すると、私が台詞を発するよりも前に土館さんが先に話しかけてきた。
『はいはーい。金泉ちゃん、こんな時間からどうしたのー?』
「あ、土館さん! よかった……土館さんにも電話が繋がらなかったらどうしようかと……」
『そろそろ金泉ちゃんが電話してくると思ったからね。待機しておいて正解だったよ』
「え……?」
それはいったい、どういう意味――、
『そんなことよりも、電話繋がってよかったね。それで、何かあったの?』
「……え、あ、そうでしたわ。実は、私から土館さんに、一つだけ忠告させていただきたいことがあるのですわ。それと、私も少々急いでおりますので、一度しか言えないのですが、よろしいですか?」
『それは別に構わないんだけど、金泉ちゃんが私に何を忠告するの? 私、何か悪いことしたっけ?』
「いえ、今回は土館さんは何も悪くありません。このことは私にもよく分からないのですが……とにかく、土館さんは今日一日中、ご自分の身の回りにお気をつけ下さい」
『……う、うん? 自分の身の回りに気をつけろって、具体的には何に気をつければいいの?』
「そこまでは私にも分からないのですわ。ですが、これで一応お伝えはしましたので、あとは土館さんの身を守るのは土館さん自身ですわ」
『それはもちろん、自分の身は自分で守らないといけないのは分かっているけど……金泉ちゃん、何かあったの? 急にそんなことで電話してくるなんて変だよ?』
「……っ」
ここで土館さんに、殺されたはずの海鉾さんからメールが送られてきたことや、そのメールの文面に天王野さんや土館さんが危ないと書かれていたことを言うべきだろうか。いや、もしここで私が余計なことを言ってしまったばかりに、さらに土館さんに危険が及んでは意味がない。
だから、ここではあえてそのことは伏せておき、土館さんには自分の身だけを守るように言って置こう。あと、土館さんから天王野さんに連絡がついたら天王野さんにも同様のことを言っておくように頼んでおいたほうがいいかもしれない。
「いえ、私には何もありませんわ。まあ、最近は何かと物騒ですから、それで念のためと思い、土館さんに忠告しておくことにしたのですわ。あと、天王野さんに連絡がついたら、土館さんから同様のことをお伝えしていただいてもよろしいですか?」
『うん、分かった。まあ、よく分からないけど、心配してくれてありがとね。それじゃあ、あとで天王野ちゃんに伝えておくから』
「よろしくお願いしますわ」
ひとまず、これで天王野さんと土館さんへの忠告は済んだ。あとは、遷杜様と火狭さんがどこで話をしているのかを探す必要がありそうだ。二人のことを探し出せと、メールの文面にも書かれていたし。まずは、土館さんとの電話を切って――、
『あ、ちょっと待って』
「はい?」
『もしかして金泉ちゃん、火狭ちゃんと木全君がどこで話をしているのか知りたいんじゃないの?』
「え? ええ、まあ。ちょうど、これから調べようと思っていたところですけど……」
『本当? それなら、せっかくだから私から教えてあげるよ。金泉ちゃんは知らないかもしれないけど、実は二人の連絡を中継したのも私だから二人がどこで話をするのかも知っているんだよ』
「そのことなら昨日遷杜様から聞き――」
『二人は第二地区多種研究施設密集区域V-5エリアの隅のほうにある、今は使われていない工場の中にいるよ。あ、そうそう。今日は日曜日でその工場の周りにある研究施設のほとんどは活動していないから、他には誰もいないはずだね』
「……はぁ。それにしても、二人はなぜそんなところに?」
『さあね。私はあくまで二人の連絡を「中継」しただけだから分からないよ。まあ、何にしても、私としては早く二人のところに行ったほうがいいと思うね』
「何でですか?」
そして次の瞬間、土館さんはそれまでの『正常な土館さん』の表情から一変し、ニヤッと悪魔のような笑みを浮かべながら言った。
『手遅れになっても、知らないよ。ふふっ』
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
何かよく分からない、嫌な予感がした。遷杜様と火狭さんに、取り返しのつかないことが起きてしまうのではないか。そんな、気分の悪くなりそうな嫌な予感だった。
土館さんに一方的に電話を切られた後、私は何の用意もせずに、すぐに家を飛び出した。目的地は当然、遷杜様と火狭さんがいるという第二地区多種研究施設密集区域V-5エリアにある廃工場。遷杜様と火狭さんがなぜこんな場所を選んだのかは分からないけど、一刻も早く行かなければならない。私の直感がそう囁いていた。
「遷杜様! 火狭さん!」
例の廃工場は汚い外見とは反対に、明かりがついていなくて薄暗いことを除けば思いのほか綺麗な内装だった。私はそこに入るなり早々に、入り口で二人の名前を大声で呼んだ。しかし、二人は声を返さない。
廃工場の中にはまだ片付けられていないダンボールなどの箱が多数あり、このせいで音が反響しにくくなっており、視界が悪くなっていることが分かる。入る前に外見を確認したときはそこまで大きな建物ではないように思えたから、地道に足を進めていけばそのうち二人を探し出すことができるだろう。
私は内心焦りながら、やや早歩きで廃工場の中を歩き進んでいった。薄暗くて、ほこりだらけの廃工場の中を歩き進むこと約二分。ようやく、私は遷杜様と火狭さんの姿を見つけた。
『無事でよかった』。そう思うことは簡単だった。しかし、よく見てみると、何やら二人の様子がおかしい。私はこそこそと隠れながら物音を立てないようにして少しずつ二人に接近し、二人が何を話しているのか盗み聞くことにした。
「火狭。最近お前、水科に避けられているだろ? もしかして、今までずっと過ごしてきたという水科が近くにいなくて、毎日寂しいんじゃないか?」
「……っ!? べ、別にそんなこと……ないし……それに、逸弛はあたしのことを避けてなんていない!」
「違うな。水科は明らかに火狭のことを避けている。この前の金曜日あたりくらいからだよな、水科が火狭を避け始めたのは」
「……、」
「それに、どうやら、昨日も水科は火狭を置いてどこかに行っていたそうじゃないか。しかも、夕方に帰ってきた後も、そのことについて火狭には一切何も話さなかった」
「な、何でそんなことを知っているのよ!」
「さあな。この情報元からは『自分が言ったとは言わないでほしい』と言われているから、言えないな。さて、金曜日と土曜日、水科はどこで何をしていたと思う?」
「そ、そんなこと、知るわけないでしょ? もしかして、木全は何か知っているの?」
「水科が何をしていたなんてことは俺の知るところではないが……あいつは色んな女子からモテるからな。クラスメイトなどの同級生に限らず、年下から年上まで色んな女の目を引いているのは見ていてよく分かる」
「なっ……まさか、逸弛が……そんなわけないでしょ……!」
「いや、それは分からないぞ? 男というのはそういうものだ。それに、もし水科が今火狭が想像しているようなことをしたとすれば、最近火狭に対する態度が冷たい理由にもなるんじゃないか?」
「……そんな……逸弛はそんな、あたし以外の女とだなんて……あるはずないし……あたしと逸弛はもう何年も二人きりで生きてきたのよ……? それなのに、そんなこと……あたしは逸弛のことを信じ――」
「いい加減にしろ!」
次の瞬間、遷杜様が火狭さんの両肩をがっしりと掴み、火狭さんの背後にあった壁に火狭さんの背中を打ちつけた。火狭さんは遷杜様の勢いに圧倒され、震えながら自分の胸の前に両手を出していた。
「いいか、火狭。お前は自分の気持ちに嘘をついているんだ。それくらい、お前だってもう分かっているだろ?」
「嘘……嘘よ! 嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘っ!! 逸弛はあたしの……あたしだけのものなの! そんな逸弛があたしのことを裏切って他の女のところに行くなんて考えられない! 離してよ!」
「駄目だ、俺はこの手を離さない。お前が自分の本当の気持ちに気がつくまでは」
「……う……ううううぅぅぅぅ……! ……どうしろっていうのよ……幼い頃からあたしの傍にはいつも逸弛がいた……逸弛はいつでもどこでも笑顔で、優しくて、ただ一人だけ、あたしのことを認めてくれた……あたしはそんな逸弛が傍にいてくれること、この幸せがいつまでも続くことに感謝していた……それなのに――」
そのとき、火狭さんは泣いていた。言葉通り、ぼろぼろと大粒の涙を流していた。そして、涙で目元を真っ赤に腫らしながら、自分の肩を掴んでいる遷杜様に言い放つ。
「あたしは寂しかった! たった二日だけでも、それまでずっとあたしの傍にいてくれた逸弛がいないことがつらくてつらくて仕方なかった! いつもなら一緒に過ごすはずの時間も逸弛はどこかに行っていて、帰ってきてからもろくに話をしてくれない! 何で逸弛はあたしのことを避けるの!? 何で!? 知ってるなら教えてよ!」
「なぜ水科が火狭のことを避けているのかは分からない。でも、もしかしたら、何かの原因で水科が火狭のことを嫌いになったかもしれないということは分かる」
「そんな……それじゃあ、あたしはこれからどうすれば……逸弛に見放された……捨てられたあたしは……」
「火狭。何も、火狭の傍にいてやれるのは水科だけじゃないんだぞ?」
「……え……?」
遷杜様はそう言った後、目の前にいる火狭さんの体を抱き寄せた。
「俺は火狭のことが好きだ」
「……木全……?」
「俺なら、火狭のことを捨ててどこかに行くようなやつとは違って、いつまでも火狭の近くにいてやることができる。いつまでも、何があっても、だ」
「でも……それだと、あたしが逸弛を裏切ったってことになるんじゃ……」
「いいか、火狭。これは水科に対する裏切りなどではない。先に火狭のことを裏切ったのはあいつのほうなんだ。だから、火狭が自分の思った通りにしても何の問題もない。俺は火狭のことが好きで、いつまでも傍にいてやれる。お前に寂しい思いなんてさせないし、お前のことを真に認められるのは俺だけだと思っている」
「木全……」
「それにな、俺だって火狭に慰めてほしいんだ。俺には両親がいるが、昔から仲が悪くてな。しかも兄弟もいない俺は、家ではいつも一人だった。でも、高校生になってお前に友だちグループに入らないかと誘われたときに思い出したんだ。この子なら守ってあげることができるかもしれないってな」
「う……ぅぅぅぅ……」
二人は物陰から私が見ているとは知らずに、自分たちだけの世界を作り出していく。そして、遷杜様に抱きしめられた火狭さんが再び泣き始めたとき、遷杜様は火狭さんのことを廃工場の床に押し倒し、その上に跨った。
「俺たちは二人とも同じ境遇にあるんだ。俺は両親に、お前は水科に捨てられた。だから、お互いにお互いのつらさが分かるし、傷ついた心を慰め合うことができる。違うか?」
「……あたし、木全のことを……ううん、遷杜のことを信じてみる。やっぱりあたしは逸弛のことが好き……だけど、こんなときでもあたしのことを考えてくれていて、こんなあたしのことを好きでいてくれている遷杜のことも好きになれるように頑張ろうと思う」
「ああ、今はそれでいい。俺はいつまでも、お前の傍から離れることはないからな」
「……うん」
それから約一時間、私は遷杜様と火狭さんの行為の音や声を物陰に隠れながら聞いていた。
遷杜様の火狭さんへの想いがそれほどのものだったなんて知らなかった。火狭さんがそこまで水科さんに不満を抱いていただなんて知らなかった。でも、その結果がこれだ。あの二人は男女という形で繋がり、私の遷杜様への想いはもう二度と叶うことはなくなってしまった。
私はなぜか溢れ出てくる涙を拭きながら、大きな声を出さないように必死に堪えながら、しばらくの間物陰で泣いていた。私の涙は、二人がお互いを認め合う行為を終えて仲良くどこかへと歩いていった後もおさまることはなかった。
土館さんが言っていた『取り返しのつかないこと』とは、私が感じていた嫌な予感とは、このことだったんだ。そのとき、私は初めてそのことに気がついた。しかし、それに気がついたときはすでに手遅れだった。