第十九話 『介入』
昨日の昼頃、遷杜様のもとに送られてきたという一通のメール。そのメールは、この前の木曜日に天王野さんに殺されたはずの海鉾さんの名義で送られてきたものだった。
確かに、海鉾さんは冥加さんとは異なり、死体そのものは見つかっていない。今のところ発見されているのは海鉾さんの片腕だけだ。だからといって、あの状況下で現場に痕跡を一切残すことなく天王野さんから逃げ延び、私たちに見つかることなく教室を離脱する……片腕を失った状態でこれらの行動をするなんてことはまず不可能だ。
事件現場の教室で悲惨な光景を目撃したときに土館さんが言っていた通り、そんなことをしてしまえば途中で出血多量で死んでしまうことだろう。いや、もし仮に死ななかったとしても、片腕を失って全身血まみれの女子高校生の姿を街中で見かければ、誰だってまずは声をかけて、警察に通報したり病院へ連れて行ったりするはずだ。しかし、今のところ、そんな事件は起きていない。
冥加さんは天王野さんが持っているOverclocking Boosterに胴体を真っ二つにされて殺された。そして、海鉾さんは片腕だけを残して、他の部分の体を消し飛ばされて殺された。こう考えるのが妥当であり、これが可能性として最も確率の高い推理のはずだ。
それなのに、なぜ今さら海鉾さんの名義でメールが届いたのか。
あの後、遷杜様にそのメールを確認させてもらうと、そこには『明日、みんなにとってよくないことが二つ起きる』という一文だけが書かれており、他には何も書かれていなかった。このことについて遷杜様に聞いてみても、まったく心当たりはないという。
『明日、みんなにとってよくないことが二つ起きる』とはどういう意味なのだろうか。
『明日』と日にちを限定されていること、『みんな(おそらく友人グループの生存者)』と関係者が限定されていること、そして『よくないこと』という至極曖昧な表現に加えて、なぜかそれが起こるのは『二つ』と断定されている。
海鉾さんは……いや、海鉾さんの名前を借りて遷杜様にメールを送った人物は、何を目的としてどういう意図でそうしたのかまったく検討もつかない。
それに、まだ起こっておらずこれから起こるかもしれない出来事について書かれていることから、送り主は何かを察知したのだということが分かる。それも、ただの当てずっぽうの勘などではなく、何らかの確証があったからわざわざメールという形でそれを伝えようとしたのだ。
それにしても、これではまるで、その送り主は未来を予知しているみたいじゃないか。いや、未来から送られてきたメールといっても過言ではないのかもしれない。まあ、どちらにしてもそんなことは現代の科学技術の観点から考えてもありえないし、可能性としても省いて構わない程度のものだろう。
さて、今日これから私がするべきことはもう決まっている。それは、地曳さんの家に行くことと、殺されたはずの海鉾さんの捜索だ。
昨日、海鉾さんと冥加さんのご家族が殺されたということを知った私はあの二人の家に行き、何が起きたのかを調べた。そして、天王野さんのもとに派遣したFSPの人間五人から送られてきたメールの通り、あの二人の家族全員が殺されていたのを確認した。
このとき、私は一つだけ忘れていた。あの二人のご家族は殺されていたにも関わらず、なぜ地曳さんには何もなかったのか。確かに、地曳さんはご両親を戦争で失い、頼りになる親族もいなかったと聞いている。でも、それならなおさら、地曳さんの家に何か異変があっても不自然ではない。さすがに考え過ぎかもしれないけど、もしかすると、犯行グループの拠点とかになっているかもしれない。
だから、そういうことも含めて私は地曳さんの家へと行き、状況を確認する。そして、何も起きていないのならそれでいいし、何か起きているのならそれを解決する。私がするべきで、しなければならないのは、ただそれだけだ。
次に、海鉾さんの捜索だけど、こんなことをする理由はもはや説明不要だろう。ようは、遷杜様にメールを送ってきたのは本当に海鉾さん本人なのか、それとも別人なのか。私は真相がその二つのどちらなのか、その確認をしたいだけなのだ。
まあ、海鉾さんの捜索は地曳さんの家に行った後に時間をかけてすればいいことだろう。おそらく、何気なく街中を歩いているだけで簡単に見つかることはわけではないだろうし、平凡な捜索をしたところで逆効果になりかねない。
というわけで、今日の私のある程度の方針は定まった。
遷杜様は火狭さんに話があると言われているらしい。最近の水科さんはやけに火狭さんを避けている感じがするし、もしかすると今日も何か用事で外に出ているかもしれない。天王野さんと土館さんは放っておくのは危険かもしれないけど、私一人の力ではどうすることもできない。
誰か頼りになる人を誘って私の手助けをしてほしいと思っていたけど、どうやらそれは無理そうだ。みなさんにはそれぞれ、みなさんなりの用事があるのだ。まあ、天王野さんと土館さんに限っては、二人きりで行動したくないという思いがあったから、そもそも『誘う』という選択肢すらなかったわけだけど。
そろそろ出かけよう。PICで現在時刻が午前十時であることを確認した後、私は自分の部屋を出ようとした――、そのときだった。
「……メール? こんなときに誰から……?」
私が自分の部屋のドアをスライドさせようとしたとき、不意にPICがアラーム音を発した。先ほどの私の考えでは友人グループの全員はそれぞれ行動しており、私にメールをする理由なんてないはず。いや、天王野さんと土館さんに限ってはそうでもないので、もしかするとその二人からなのかもしれない。
とりあえず、私はそのメールを開いて見ることにした。
「……う、嘘……でしょ……?」
そのメールを見たとき、私は一瞬だけ呼吸ができなくなってしまった。そして、幽霊でも見たかのように驚いて目を見開き、手が震え、汗が噴き出したのがよく分かった。
メールには『今日、天王野葵聖と土館誓許が危ない。火狭沙祈と木全遷杜を探せ』と書かれていた。しかし、メールを開いたときの私はそれどころではなかった。メールの文面よりも先に、驚くべき表示があったからだ。
『差出人:海鉾矩玖璃』。そう書かれていた。
「ど、どういうこと……? まさか、海鉾さんは本当に生き延びていて、それで私たちに何かを伝えようとしているというの……? でも、片腕を失った状態で痕跡を残すことなく誰にも見つからないようにするなんてこと、できるわけが――」
私は混乱していた。昨晩あらかじめ遷杜様に言われていたことで心構えはできていたはずなのに、実際にこれほど不可思議なことが起きるとは思ってもいなかったからだ。しかも、遷杜様から海鉾さんからメールが送られてきたことを言われた次の日に、まさか私にも送られてくるだなんて誰が予測できただろうか。いや、少なくとも私には予測できていなかった。
私は自分の部屋のドアの手前で頭を抱えながら、ぶつぶつと独り言を言い始めた。
どうしたらいい。何をすればいい。私は動くべきなのか。それとも動かないべきなのか。このメールは海鉾さん本人からのメールなのか。それとも別人からのメールなのか。分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない……、
現状で、このメールが何なのかを判断するには情報が不足し過ぎている。今日、私がするべきことは地曳さんの家に行くことや、海鉾さんの捜索をすることではない。それらのことは、まずはこのメールに書かれていることを信じて行動してからだ。
いずれはこのことを遷杜様に伝えるつもりだったので『火狭沙祈と木全遷杜を探せ』という文の行動は達成できると思う。でも、『天王野葵聖と土館誓許が危ない』とはどういう意味なのだろう。
まさか、天王野さんが新たな殺人をしようとして、その対象が土館さんなんてことは――いや、それだと『天王野さんが危ない』という文につじつまが合わない。二人ともに危険が及ぶ状況なんて、何らかの事件や自己に巻き込まれるくらいしか思いつかない。
もしかして、昨晩遷杜様のもとに送られてきた『明日、みんなにとってよくないことが二つ起きる』というメールはこのことを意味していたのかもしれない。昨日の時点では予知が不明瞭だったものの、今日になってその予知が変わって、こうして私にメールをしてきたと考えればつじつまが合う。
それならもう一度遷杜様にメールを送ったほうが状況を混乱させにくくて最善の手のように思えるけど、私にはそこまで送り主の意図は分からない。ひとまず、まずは天王野さんと土館さんに電話をかけてみるべきだろう。
そうして、私は天王野さんに電話をかけた。しかし、呼び出し音が聞こえたと思えば数秒後、強制的に回線は切断されてしまった。でも、私は諦めることなく、そのまま続けて二回天王野さんに電話をかけた。
「左腕に付けてあるはずなのに、何で……電話に出られないんですかっ……!」
結局、三回も電話をかけたにも関わらず、一度たりとも天王野さんに電話が繋がることはなかった。世界中に住む人たちは例外なく、日常生活でもそれ以外のときでもPICを装着しているはずだから、アラーム音を聞き逃すことなんてないはずなのに、なぜか天王野さんは私からの電話に出ようとはしない。
まさか、まだ寝ているのだろうか。天王野さんの私生活や休日の過ごし方なんて知らないから分からないけど、普段から寝不足気味のような顔をしていることがある天王野さんならやりかねない。
このとき、殺されたはずの海鉾さんからメールが送られてきたことや、そのメールの文面が不可解なものだったことで、私は焦ってしまっていたのかもしれない。だから、天王野さんの身を心配しており、こんなにも苛々しているのだろう。
思わずPICを左腕から外して、そのまま投げてしまいそうになっていた。でも、そんなことをしても意味はないと思いとどまり、寸でのところでその行動には至らなかった。
天王野さんに連絡ができないのであれば、先に土館さんに連絡するほうがいいだろう。そう考えた私は、PICの電話帳の中から土館さんの名前を選択し、今度は土館さんに電話をかけることにした。