第十八話 『自己』
これは、今から随分と前の話だ。五年くらい前の話だっただろうか、はたまた十年くらい前の話だっただろうか。記憶があやふやであまりよく思い出せない。
高校生になってすぐの頃、私は火狭さんと水科さんに誘われて、ある一つの友人グループに入った。そして、その頃気にかけていた天王野さんのことを半ば強引に誘い、私に初めて八人も友人ができた。
高校生になる前までの私には友人と呼べるような友人はいなかった。毎日登下校を共にするような友人、毎日学校で顔を合わせるたびにどうでもいいような会話をする友人、毎日昼食を一緒に摂る友人、毎日放課後に一緒に遊ぶ友人、気軽にお互いの家に行き来できるような友人。一概に『友人』といっても、パッと思いついただけでこれだけある。もう少し時間をかけて考えれば、その数は半永久的に続くことだろう。
しかし、世間ではありふれた存在であるはずの『友人』だけど、私にはいなかった。
私にとって、他人なんてどうでもいい存在だった。それは大人であっても、ご近所さんであっても、親族であっても変わらない、不変の事実でしかなかった。年下はともかくとして、同級生なんて論外な存在だった。
いつでもどこでも馬鹿騒ぎをして、余計な問題を作っては放置して怒られて、優れた能力を持つ者に対しては『化け物』呼ばわりする癖に、劣っている能力を持つ者のことは馬鹿にする。
日本古来から『出る杭は打たれる』ということわざがあるが、何百何千年も前の偉い人たちはこんなことまで予測していたのかと、時折皮肉みたいになってしまうが心底尊敬する。いや、その人たちが真に言いたかったのはここで私が言っていることなどではないのだろうけど。というか、こんなスケールの小さいことではないと思うので、そうだと信じたい。
それはそうとして、幼い頃から両親が世界中の人たちに行ってきたことを根本から覆すために、毎日毎日勉強漬けだった私からしてみれば、同級生たちはそれはそれは幼い存在のように思えた。当然のことながら外見年齢が低いことは仕方ないにしても、あまりにも精神年齢が低過ぎる。
戦争で家族を失った子を見つければ何度も何度もそのことを話題にして心の傷を抉り、戦争で体の一部を失った子を見つければ『化け物』などと言って嘲笑う。一方で、成績優秀な子や運動神経が優れている子に対しては、尊敬の感情など欠片も見せることなく、言葉と物理的な暴力で対応する。
あんな奴ら、死ねばいい。まだ幼い頃の私はそんなことを思いもした。
おそらく、当時の私が抱えていた不満の全てを口に出し、思い至ったことの全てを行動に移していたのなら、周囲は私のことをどういう人間だと捉えていただろうか。答えは簡単だ。同級生からは気持ち悪がられて陰湿な虐めを受け、大人たちからはませているガキだと思われていたことだろう。
人には人それぞれの考え方、ものの捉え方があるというのに、何でそれを否定されなければならないのか。もちろん、人道的に問題のある場合は否定されるべきだと思うけど、私は人道的に問題のあることなんて考えてはいない。
両親がしていることを根本から覆そうとしているのだって、非人道的だと思ったからこそのものだった。だから、昔から私は誰にも助けを求めることなく、自分だけの考えを持って生きていこうと思っていた。
その結果、私は私に近寄ってくる(もしかすると仲良くなろうとしていた人もいたかもしれない)あらゆる人たちを避け続けた。別に、話しかけられてそれを無視したわけではないし、悪口を言ってわざと嫌われようとしたわけでもない。
ただ、『私には近づかないでほしい』『構わないでほしい』。そんな気持ちで、そんな雰囲気のまま、私なりの対応をしていると、いつの間にか私の周りからは人がいなくなっていた。同級生からも大人からも相手にされない。たとえ周囲と比べて能力が優れていても、劣っていても、何も言われない、何もされない。
これでいい。私はそう思っていた。
それなのに、こんな私があの八人と友人になれたのはある意味で奇跡だと思う。『奇跡』なんてものは起こる確率の極めて低い出来事がたまたま起きただけの出来事だとばかり思っていたけど、実際にはそうではなかった。『奇跡』は本当にあったのだ。
だから、私はあの八人と友人になれたのだと思う。
それにしても、そんな私の過去で一度だけ奇妙な出来事があった。幼い頃の私には友人なんて一人もいなかったはずなのに、どうしてなのか、その出来事には当時の私と同い年くらいの外見年齢の人物が登場する。
男性だったのか、女性だったのか。友人だったのか、友人ではなかったのか。いつ、どこで、どうやって会ったのか。どういう性格をしていて、何でこんな私と一緒にいたのか。私はそれらのことを何一つとして思い出せない。
それはまるで私の記憶に鍵がかけられて、その鍵がどこかに行ってしまったのだと思えてしまうほどに、まるで思い出せない。まあ、おそらくこの記憶にある出来事の直後に起きたことが原因なのだというのは分かっているけど。
この記憶にある出来事の直後、私は事故に遭った。事件も事故も起きないはずのこの世界で、どうしてなのか事故にあった。確か走行中の乗用車に轢かれたのだと思うけど、どうして轢かれたのかまでは分からない。私が幼い頃にはすでに歩道と車道の間は透明な強化ガラスで仕切られていて、どちらかがもう片方に飛び出すことなんてないはずなのに。
その後のこともよく覚えていない。でも、いくら大抵の怪我ならすぐに治せる医療技術がある現代でも、車に轢かれたわけだから軽症で済むはずがない。たぶん、当時の私は何週間、何ヶ月と入院生活を送っていたことだろう。今となってはそのときの傷はほとんど残っていないけど、実は私の体には服で隠れる場所に数箇所だけ当時の傷跡が残っていたりする。
この傷跡も今から治そうと思っても決して手遅れではなく、簡単に治るようなものだと言われている。体質によっては自然治癒できる程度のもの、とも言われている。もちろん、嫁入り前までには治したいと思っているけど、服で隠れる位置にあるし、そもそもそんなに大きな傷跡ではないので今はまだ放置してある。
もしかすると、この傷跡が事故が起きた当時、私のすぐ傍にいた人物を知る手がかりになるかもしれない。私は今さらどうでもいいような、そんなことを考えていた。
さて、当時の私に実際にいたのかいなかったのかすら不明瞭な友人の話はともかくとして、ここからは百八十度話題を切り替えさせてもらおう。胸がムカムカするような私の幼い頃の友人関係の話は終了し、ここからは胸躍るような恋の話だ。コイバナだ。
正直に言おう。私は、木全遷杜様のことが好きだ。他の誰よりも、何よりも。
私が遷杜様に惹かれたきっかけになったのは、今からどれくらい前のことだっただろうか。一ヶ月前だったか、一年前だったか、もしかすると、それよりも前に――いや、私が遷杜様と出会ったのは高校生になってすぐの頃に火狭さんと水科さんに友人グループに誘われてからの話だから、一年半前よりも前の出来事ではない。
その頃も、私は私の両親がしていることを根本から覆そうと躍起になっていた。
事件も事故も起こらない平和な世界がこれからも永遠に続くのであれば、警察がいなくても構わないし、どれだけ刑法を改正しても構わないとは思う。
でも、だからといって、それが世界中の人たちを欺いていい理由にはならない。小さな事件や事故にとどまらずこの地球上で起きたほぼ全ての事件や事故を隠蔽し、実在していない警察を実在していると思わせる。それがたとえ、世界平和への第一歩であり終着点であったとしても、決して許されることではない。
だから、私はそんな方法でしか世界平和を実現できなかった両親を、FSPを、世界中の国々を許しはしない。このことで私が失ったものなんて何もないけど、そんなことは関係ない。そもそも、人としてしてはいけない領域にまで踏み込んでしまっているのだから。
と、まあ、今も似たような思いを抱えているけど、そのときの私の思いというものはこんなものだった。改めて自分で思い返してみると、少々野蛮過ぎるような気もするけど、これはこれで自分の考えを持っているともいえる。
しかし、こんな私の気持ちも長くは続かない。遷杜様と知り合っている頃にあった出来事なのだから私には他にも友人たちがいて、毎日が幸せでストレスも軽減されていたはずなのに。そんなある日、私は自殺しようとしていた。
おそらく、疲れてしまったのだと思う。私は私の両親が世界中の人たちにしてきた行いを否定する一心でそれまでの人生を生きていた。その結果、私の中から『私らしさ』つまり『金泉霰華らしさ』というものがなくなってしまっていた。私のしていることはいつかどこかですでに誰かがしたことなのだ。そう考えることしかできなくなっていたのだ。
所詮、自分は誰かのコピーでしかない。ある特定の人物のコピーではないにしても、時間軸上に存在している全人類を総合的に見比べたとき、私はそのうちの何人何十人何百人……の断片的な行動をコピーしかき集めただけの存在でしかない。
だったら、私はなぜ存在している? なぜ生きている? 新しいものを何も生み出せず、実の両親を憎むこそしかできない私に存在意義はあるのか? そんな自問自答を続けるようになってしまった。
そして、私は自殺しようとした。
元から、両親を憎むことしかできなくて、他人を貶し蔑むことしか考えられなくて、ませていて、捻くれた性格の自分のことが好きではなかった。嫌いだった。大嫌いだった。そんな精神的に不安定な状態にあったときに、さらに自分を責めるような思考をしてしまったから、私は自分自身を殺してしまいたいという衝動に駆られた。
どうやって自殺しようとしたのかはよく覚えていない。もしかすると、私の脳が思い出したくない記憶に鍵をかけてしまったために思い出せなくなっているのかもしれない。飛び降り自殺か、首吊り自殺か、包丁で首をかき切ろうとしたのか。まさかFSPのパスワードを使って車道に飛び出したなんてことはないだろう。
まあ、何はともかくとして、私が自殺しようとしたその寸前のことだった。私の目の前にヒーローが現れた。そのヒーローこそがまさしく、私が大好きな木全遷杜様に他ならなかった
遷杜様は自殺しようとしていた私のことを引きとめ、後ろから力強く抱き締めて、言った。『お前が死んだら悲しむ人がいる。お前は、お前自身が思うお前らしさを貫いて生きていけばいい』と。
私はその一言でハッと我に返り、自殺しようとしていたことを悔いた。いつまでもいつまでも、遷杜様の胸の中で泣き続けた。遷杜様はそんな私のことを慰めるかのそっと私の体を抱き寄せ、私が泣き止むまで黙っていた。
それからというもの、私は遷杜様のことが好きで好きで仕方なくなってしまった。
他人がどう言おうと、これは私にとって至極当然のことだった。それもそうだ。自殺しようとしていた寸前でそれを止められ、しかも見失っていた自分の存在意義を教えてくれたのだから。
ただ、遷杜様はこの出来事を覚えている様子がない。いや、あれから私は一度もこの出来事を口に出していないし、遷杜様も私のことを気遣ってくれているだけなのかもしれない。でも、私の友人たちも遷杜様からこの出来事を聞いた感じではないので、時々、あれが本当に現実であったことなのか不安になる。
もしかして、私がただのどうでもいいような一瞬だけの出来事を美化しているだけなのかもしれない。そんな考えさえ浮かんでくる。
でも、それでも私にとっては構わないのかもしれない。
だって、遷杜様は私の命を救い、私の存在意義を見出してくれたヒーローだから。それだけは、どれだけ私の脳があの出来事を美化していても変わることのない、事実なのだから。
今の私にとってはそれで構わない。