第十話 『喧嘩』
昨晩、何で土館以外のみんなとは電話が繋がらなかったのか。遷杜は逸弛に天王野が殺されたことを伝えるために電話をかけていたから繋がらなかったとしても、そうだとすると金泉と海鉾には何で繋がらなかったのか。
遷杜が逸弛に電話をかけているとすれば、同様にして逸弛のすぐ近くにいるはずの火狭にかけても連絡はつかないだろう。それに、もし逸弛と火狭がお取り込み中のときに電話をかけてしまったらなおさら申し訳ないし、逸弛と遷杜が何か揉め事を起こしているのなら尚更だ。
でも、金泉と海鉾にはそんな理由はない。それなのに、俺が電話をかけても出ることはなかった。いや、二人が電話しているのならそれはそれで問題ないのだが。天王野が殺された現場を見てしまったことで不安になって、俺同様に友だちに助けを求めたとかならまだ分かるが。
もしそうだとすれば、現場にいた女子三人で集まって電話をしていても問題はないはずだ。三人以上の電話なんてあらかじめ設定しておけば簡単にできることだし、天王野の殺人現場を見た五人の中では土館が一番傷付いていたみたいだったしな。
まあ、何はともあれ、それはもう終わったことだ。あまり深く考えていても明確な答えが出るわけでもないし、もし答えが出たとしてもそれが何か有益な情報になるわけでもない。気が向いたときに本人たちに聞けばいいだけの話だ。
そんなことよりも、俺としては土館との電話の内容の件についてのほうが考えるべきだと思う。土館は何気ない軽い話題だと思っていたみたいだったが、実際にその現場にいてそれを知っていた俺からしてみるとそれは大きな問題だった。
地曳が殺されたあの日の晩、俺は突然意識を取り戻し、気がついたらその目の前には地曳の死体があった。そのときの俺の目覚まし時計の代わりとして機能したのはPICのメール受信機能のアラーム音だった。
そして、そのときの俺にメールを送ってきたのは死んだはずの地曳だった。しかも、メールの内容は『この世界は昨日から作られた』という意味不明なものであり、そのときの俺はそれを心理テストか何かなのかなのだと思い込んでいた。
また、俺が地曳の死体を発見して発狂しながら急いで自宅へと帰った後にも、地曳からもう一通メールが送られてきた。その直前に俺は地曳の死体を目撃しているというのに、地曳から俺に一通目のメールの内容を打ち消すような内容の送られてくるはずがないメールが送られてきた。
それに加えて、地曳のPICは行方不明になっている。地曳はもうこの世にはいないからその二通のメールの意味は分からないし、送った意図も分からない。そして、逸弛からの提案で六人で二組に分かれて情報収集したが、大して有益な情報を得られなかった。
俺が言おうとしているのは、まさにそのことだ。地曳が殺されたあの日の晩、実は土館にも俺に送られてきたメールと同様のメールが送られてきていたのだ。土館曰く、一通目のメールが届いたときにそれの意味を考えたらしいが答えが出ないまま二通目のメールが届いて、考えるのをやめたのだという。
それに、土館の話によるとそのメールが送られてきたのは土館が知る限り自分だけではなく、逸弛と火狭にもまったく同じ文面のメールが送られていたのだという。このことは、捜索のときにふと話題に上がって知ったらしいが。
もしかすると、話題に上がっていないだけで俺、逸弛、火狭、土館の四人だけでなく、他の遷杜、金泉、天王野、海鉾の四人にもまったく同じメールが送られていたのではないだろうか。
そして、それぞれ一通目のメールが送られてきた後に二通目のメールが届いたから考えるのをやめ、メールの意図を本人に聞こうと思っていたら地曳が死んだという話を聞き、そのまま誰かに話す機会もなく今に至ったのだろう。現に、俺も頭の片隅にその情報は置いていたが、昨晩土館に言われるまでは大したことではないと思っていた。
地曳が殺される直前に一通目のメールを送ったとするならば、そのメールの意味は地曳を殺した犯人を示すダイイングメッセージとなり、二通目のメールは地曳を殺した犯人が地曳のPICを奪って一通目のメールを取り消すことで証拠を隠蔽しようとした。今ある状況を表面的にまとめるのなら、こう考えても問題はないだろう。
でも、そうなるといくつかおかしな点が出てくる。通常、PICを起動したり操作するにはその所持者の指紋認証と暗証番号の入力が必要だ。指紋認証については地曳の死体から採取できるとはいえ、暗証番号の入力はどう考えても不可能だ。
暗証番号は算用数字とアルファベットの合計三十六種類の文字を組み合わせた十桁のものであり、慣れればすぐに入力できるが、個人情報を守るためとはいえ、実は結構面倒なシステムだ。だからこそ、テキトウに入力して偶然当たるようなな確率にはなっていないし、もし当たったとしてもその確率は約四千兆分の一だ。いくらなんでも桁が大き過ぎて想像もつかない。というか、何度か試したところでまず当たらないだろう。
余程仲のいい人ならばいざというときのために暗証番号を聞かされている可能性もあるが、そうなると、地曳を殺したのは地曳にとって親しい人であることが分かる。親しい人といえば、家族や親友や恋人などが挙げられるが、地曳には友だちはいても親友はいないし、男友だちはいても恋人はいない。それに、地曳の家族は全員、戦争で亡くなったはずだ。
もし、自分のPICの暗証番号を教えるほど親しい人ならば、わざわざダイイングメッセージなんて残さずに本名を送ればそれで済む話だ。それ以前に、友だち八人にメールを送る必要もなく、誰か一人に送ったり警察に送ってしまえば時間も手間もかからないのに。
地曳と天王野が何者かによって殺されて、その上で二人の死の直前とその直後の状況には何らかの謎が含まれている。一見、それらの事柄には何の意味もなさそうだが、実はその裏には何かが絡んでいる。どうしても、そう考えてしまうのだった。
ただ、今現在のところで分かっていることやほぼ確定していることをまとめても大した量にはならず、むしろ分かっていないことを解決していくほうが先決であることは誰が見ても明白だ。何で俺の友だちが二人も死ななければならなかったのか。そのことについて、俺は考える必要がある。
そして、何気なくそんなことを考えながら、俺は学校に登校して来た。教室に着くなり早々に、朝っぱらから何をやっているんだと言いたくなるような光景を目にした。その光景は、逸弛と火狭のイチャイチャが最終段階にまで達したとかそういうことではなく、むしろその逆ともいえるような光景だった。
「何であんたはそんなにあたしや逸弛に突っかかってくるのよ! いったい、何の恨みがあってそんなに色々言ってくるの!?」
「別にそんなこと、火狭さんには関係ないでしょ! それに、私は火狭さんに構っているのではなくて、逸弛君と話したいだけなの!」
俺のクラスの教室の隅のほうで、火狭と土館が声を荒げて口喧嘩をしている。二人とも、三日前に地曳が死んだことや昨日天王野が死んだことなどすっかり忘れたみたいな様子で、例のごとく逸弛を取り合っての激しい口論を繰り広げていた。
たぶん、今の二人の会話から推測すると、火狭は昨日のうちに逸弛と仲直りができたからしばらくは逸弛とくっ付いていたかったが、そこに土館が逸弛に何気なく話しかけたため、火狭の怒りの琴線に触れてしまったといったところだろう。
……というか、友だちが三日間で二人も殺されたすぐ後だと言うのに、一人の男を奪い合って口喧嘩するなんて、何だか平和だな。いや、友だちが殺されたからこそ普段以上に過度に神経質になったり疑心暗鬼になったりして、身の回りのことにイライラしやすくなっているからなのか。
俺は自分の鞄を床から起動させた机に置き、二人の口喧嘩を見守る逸弛、遷杜、金泉、海鉾と合流する。そして、二人の口喧嘩の原因といっても過言ではないプレイボーイである逸弛に声をかけた。
「おい、逸弛。どうしてこうなった」
「あ、おはよう、對君。いや~、それが僕にもよく分からなくてね。教室で沙祈と話しているときに誓許ちゃんが話しかけてきて、そしたら急に沙祈が怒り始めて、気がついたらこんなことに」
「……逸弛よ、それはあまりにも火狭と土館の気持ちを理解していなさ過ぎだと思うぞ? お前はいつからそんな鈍感キャラになったんだ?」
「え? これでも僕は、沙祈が僕のことを世界中の誰よりも愛してくれているということに気がついているつもりだよ?」
「いやいや。そうじゃなくて」
「うん?」
逸弛は俺が言いたいことが分からなかったのか、それともあえてとぼけて言ってみせたのか、満面のさわやかスマイルを見せながら俺に向かってそう言った。もし、俺が男ではなく女だったのなら、今の逸弛の笑顔だけで恋に落ちていたんだろうが、本人はその笑顔が今目の前で繰り広げられている女子同士の争いを生んでいることなど知るよしもない。というか、そもそもそんな考えさえ浮かばないのだろうが。
俺は一度だけ溜め息を吐いた後、辺りを見回した。どうやら、俺の友だちグループで生き残っている七人の内で一番最後に登校して来たのは俺だったらしい。遷杜は何か考えことをしているらしく、金泉は知恵の輪で遊んでおり、海鉾は火狭と土館の口喧嘩の様子を心配そうに見ているだけだった。
まあ、今目の前で起きている恋愛絡みの口喧嘩よりも、友だちが二人も殺されたことのほうが重大な出来事だし、それによって何かと不安になっていてもおかしくはない。むしろ、そうならないというのは中々凄い精神力をしていると思う。変な意味ではあるが、逆に素直に関心できる。
その後、俺は今目の前で起きている火狭と土館の口喧嘩を止めようともしない逸弛に一言だけ質問した。逸弛が二人の仲裁に入ってくれればそれで済む話だと思うのだが、逸弛にも何か考えがあるのか、それとも喧嘩に巻き込まれたくないだけなのか、特に行動を起こそうとはしていなかった。
「そういえば、逸弛。昨日、火狭とは仲直りできたのか?」
「ああ、うん。昨日は對君たちと分かれた後、あのまま沙祈に謝りに行ったんだ。少し体調がよくなかったみたいだったけど、何度も頭を下げたらすぐに許してくれたよ。これも、對君が教えてくれたお陰だよ。ありがとう」
「まあ、俺は火狭から相談されたことをそのまま逸弛に伝えただけだけどな」
「……ただ、仲直りをした記念として学校に登校する直前までアレコレ付き合わされたのは、さすがに疲れたね。まだ高校生なのに腰痛になりそうだよ」
このまま逸弛の話に乗っていったら、昨晩逸弛が火狭と具体的に何をしたのかを話し始めそうなので俺はあえて黙り込んだ。というか、このカップルは本当に、他人へのそういう配慮が欠けているのではないだろうか。セクハラとして扱われて、そのうち通報されても知らないぞ。
『学校に登校する直前までアレコレ付き合わされた』とか『まだ高校生なのに腰痛になりそう』とか、逸弛と火狭が昨晩何をしたのかをほとんど言っているようなものじゃないか。逸弛は、直接的に言っていないからといって許されることと許されないことがあるのを知っているのだろうか。
まあ、逸弛としては天王野が殺されたことよりも火狭と仲直りできたことのほうが重要だったのかもしれないので仕方がないとはいえ、俺が登校して来てから五分経った今でもそのことが一度も話題に上がらないとは、さすがに天王野も可哀想だな。
そう考えた俺は昨晩電話で土館から聞いた『地曳からのメールはみんなに送られていたかもしれない』ということを確認すると同時に、天王野殺人事件の不可解なことについての情報収集をするために、喧嘩している女子二人を除いた四人に声をかけようとした。
しかし、ふと気がつくと、火狭と土館の口喧嘩は先ほどまでと比べてもかなり過激になり、相手の髪を引っ張ったり服を掴んだりと、もはや口喧嘩ではなくただの殴り合いの喧嘩になってしまっていた。
「本当は赴稀も葵聖もあんたが殺したんじゃないの!? あたしから二人も友だちを奪って、そんなに楽しいの!? そのうち、あたしのことも邪魔だから殺すんでしょ! 鬼! 悪魔! 死んじゃえ!」
「何言っているの!? そんな根拠のない言いがかりなんてやめてよ! 私、そんなことしてないから! むしろ、火狭さんのほうがそういうことをしそうじゃない! それに、そんなに死にたいのなら火狭さんくらい、いつでも殺せるわよ! 今すぐにでも殺してあげようか!?」
何だか、二人の喧嘩があらぬ方向へと走ってしまっている。髪を引っ張ったり服を掴んだりしていることもさることながら、地曳や天王野が殺された事件についてまでもが喧嘩に使用する悪口になってしまっている。
逸弛も止めるつもりがない(というか、たぶん何も起きないだろうと思っている)みたいだが、そろそろ止めておかないと取り返しのつかないことになると思い、俺は殴り合う二人の間に入って喧嘩を止めようとした。
すると、先ほどから心配そうに二人の喧嘩の様子を見ていた海鉾も俺に続いて二人の喧嘩を止めようとしてくれた。俺は土館に、海鉾は火狭に声をかける。
「おい、土館! そろそろいいだろ! もうやめておけ!」
「離してよ、冥加君! 今までずっと我慢してきたけど、今回の言いがかりばかりは納得がいかない!」
「沙祈ちゃん! こんなところで喧嘩しても、何もいいことなんてないよ? だから、もう――」
「うるさい! 矩玖璃は誰かに彼氏を取られるようなつらい経験をしてないからそんなことが言えるんだ! それに、こいつはいつでもどこでもあたしの逸弛を横取りしようとして!」
俺と海鉾が火狭と土館の間に入っても二人の喧嘩は続き、結局そ殴り合いは収まったものの悪口の言い合いが終わることはなかった。そして、何も解決できずに一時間目の授業が始まり、一時間目の教科担当の先生が仲裁に入ってくれたお陰でようやくその場は落ち着いた。
火狭も土館も相手に髪を引っ張られたりしたせいでいつもの整った髪形がグシャグシャになってしまっており、疲れも忘れて無我夢中に喧嘩をしていたからなのか、二人とも息が荒く汗をかいていた。
その後は授業中も休み時間も二人はずっと相手のことを睨み続けており、半径五メートル以内に近付いてしまえばまたすぐに喧嘩が始まってしまうのではないかと思えるほど教室の中の空気はピリピリとしていた。そのため、休み時間にはその流れ弾に当たらないように、教室の外に出るクラスメイトも少なくはなかった。
逸弛に忠告しても土館の想いを知らない逸弛はまるで状況を把握しておらず、俺と海鉾がそれぞれ火狭と土館の気を逸らすことで、一時的にだが教室には平和が戻っていた。
そして、そんな風に居心地が悪くていつもよりも随分と時間が長く感じた一日はようやく終わり、今日はやけに何かをやり遂げた気持ちにいっぱいになる放課後となった。
とりあえず、二人の喧嘩を止めるために主に行動した俺と海鉾が相談した結果、逸弛と火狭を先に家に帰らせた後、土館はその後時間を空けてから帰らせることになった。こうすれば、火狭と土館が接触することもなくなるだろうし、今日は金曜日だ。明日、明後日は土曜日、日曜日で二日間の休みがあるから、その間に二人とも頭が冷えるだろう。
しかし、俺がその計画を実行に移そうとした時、不意に金泉が俺に話しかけてきた。