トワの大いなる学習帳:「ストラップ」
「それ、何?」
少女が俺の足元を指して質問する。そこには寝る前に妹から押し付けられた携帯用ストラップが落ちていた。きっと立ち上がる時にポケットから落としてしまったんだろう。俺は仕方なしに屈みこみ奇妙なデザインのストラップを拾い上げ、少女の前にかざした。
「これはストラップだよ。小物を落として無くしたりしないように、端に結んでおくんだ」
そのストラップを落としてたら世話無いけどな、と俺は笑った。トワ(少女の名前である)は普段と比べると心なしか俺から距離をとっているように思えた。ストラップの先で揺れている人形を見て眉間に皺を寄せているところから察するに、どうやらストラップを警戒しているようだった。無理もないな。頭にライオンの被り物をした筋肉質な海パン一丁の男のマスコットを初見で受け入れられる人間はそうはいまい。日本人ぐらいだ。
「結ぶだけ?」と少女が不思議そうに問う。最もな疑問だ。
「そうだな。小物側に結んでおくだけじゃ結局落ちてなくなっちまうよな。本当は反対側を自分の衣服に結びつけておいたりするべきなんだけど、そういうことは皆あんまりしないんだよ。殆どファッションになっていて本来の意味合いは形骸化してるのかも」
「ファッションは難しい」
少女はファッションの話題が苦手で、名前が出るといつも少し嫌そうに肩をすくめて自分から身を引く。着飾るという行為は他者の目を前提にして生まれる考え方なので、この夢の世界に一人で存在している彼女には必要の無いものだったのだ。そのため彼女自身の合理的な考え方も相まって、このファッションという不合理な思考は特に理解が難しいようだった(しかし最近では多少意識の変化があるようで、たまに自身の白いワンピースのスカートをヒラヒラさせて眺めていたりすることもある)。
「まぁ、ポケットから出す時指を引っかけて出し易いから、一応何の役にも立たないアクセサリーってわけじゃないかもな」
「多義的」
トワが眉間に皺を寄せたままの顔で理解を示した。先程からストラップにぶら下がったマスコットから目を離そうとしない。油断したら危険だと思っているのだろうか。
「そのヒトガタも、ファッション?」と少女が言った。
俺もこのストラップを受けとった時に同じような反応をしたが、そんな俺に対し妹は「ライジンさまだよ?知らないの?」とさも当然のことのように笑って返答した。「ご飯は美味しいよ?知らないの?」みたいな言い方である。世間の流行からどんどん取り残され、高校生にして既に家庭内ジェネレーションギャップに悩む俺であるが、しかしその一方で稲妻マークが入った海パン一丁の変態キメラを美味しく召し上がれるような人間には一生ならないままでいたいなとも思うのだった。
「安心していいぞ。動きだしたりしないから。ほら、持ってみろよ?」
「・・・」
嫌そうに後ずさる少女の手の中に半ば強引に俺はストラップを押し込んだ。この頃には既に俺の中でのライジンさまの処遇は決定されていた。
「それを自分の一番大事なものに付けるんだ。失くしちゃ困るものにな」
つけなきゃ駄目か?とトワが懇願するような目で自分の意思を暗に訴えていた。
「うん」
ものは試しだろ、と俺が説得すると、渋々といった感じで少女はストラップを手の中に戻し、何につけるべきか思案し始めた。少女は考え込む時、質問する際と同じように少し小首を傾げ、顎に手を当てて俯く。それでいて顔は無表情なので、可愛い動作とのアンバランスさが見ていて面白かった。
脳内会議に結論が出たようである。少女が姿勢を崩すと、自分の左手を前に出し、小指にストラップをしっかりと結びつけた。
「なるほど」と俺は言った。
「たしかに、大事なものだな」
今日学んだこと
ストラップ・・・紛失を防ぐため重要なものに結び付けておくもの。
・小型の恐ろしい生命体が先端にぶら下がっている。魔除けと仮定。
・物理的なマーキングのため、一定世界線に定律を設けるようなポテンシャルは無い。