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第7話:【マジャール人の憤慨】


皆様、おはようございま~す♪


いつもアップ時間が不定期な暮灘です(^^;


さてさて、今回のエピソードは……


すみません(__)

相変わらず史実と捏造入り雑じる欧州の政治と歴史がメインテーマです(;^_^A


物の本によれば、


【所詮、戦争は政治の一形態に過ぎない】


の通りだと暮灘も思います。


揉め事あれば話し合い、言葉で決着つかないならどっちかが折れるまで殴り合う……


個人同士ならケンカで、国家同士がやれば戦争になるわけですね(笑)


まあでも、揉めるなら原因ってのは必ず有るわけでして(^^;


今回はその"原因"を掘り下げてみようかと。




あまり小難しい表現は避けるようにしましたが、歴史劇の一幕を見るように楽しんで頂ければ嬉しいッス☆








キンベル・クナイセンの口から語られた言葉をあえて纏めるなら、


【血塗れの混沌】


とでも名付けようか?


それは後に【第一次世界大戦】と呼ばれる事になる未曾有の巨大戦争に至る道筋と経過、そして顛末。


そして今から語られるのは……




「とまあ、ここまでが1918年…世界大戦までのあらましですね」


確認するようなクナイセンの口調にタイクゼン大尉は頷き、


「私も同意しよう。続けたまえ」


(やれやれ……)


クナイセンは内心で溜め息をつく。


(俺も面倒臭がりだと思ったが、大尉も中々どうして同じ人種じゃないか)


そうは思ったが、だが逆にそういうタイプでないと確かに人の上には立てないとも納得する。


何でもかんでも自分でやろうとする人間は、少なくとも実戦部隊の頭には向かない。

何故なら敵は可能な限り頭を潰す……狙える範囲で一番偉い人間を狙いにくるのだ(だから、前線将校の消耗が激しくなる)。


士官死傷率が高いのが分かってるなら、普段から可能な限り部下に仕事を割り振った方がいい。

隊長が死んだら行動が破綻し、敵前で右往左往するような部隊じゃあ無駄に死人を増やすだけだ。


(可能な限りしぶとく生きろ。しかし、どうせ死ぬなら効率良く死ねってね……軍隊ってのは、そういう組織だ)


クナイセンはそう納得すると、


「だけど、マジャール人(ハンガリー人)がプロイセンを恨んでるのは、むしろ戦後の処遇……昔は片割れだったオーストリアとの"扱いの格差"でしょうね」










**********




1919年6月28日、ポツダム市で行われた【ポツダム会議】にて戦後世界は事実上、決定した。


戦後処理を全面に押し出した【ポツダム条約】だったが、事前に概要は決まっていたし根回しも済んでいたので、さしたる混乱もなく制定された。


【皇帝の絶対専制君主から立憲君主(統帥権を持たぬ"象徴皇帝")への移行】


【大統領制/議会制民主主義を取り入れた民主化】


【特定家系による法律上の優遇と特権の廃止(事実上、法的な意味での貴族制度の停止)】


【本国外領土/資産/既得権益の没収】


【海軍艦艇の保有制限】


等々、傍目には【敗戦国に相応しい厳しい沙汰】に見えたが、その内容はまだこの時点では両国の最高国家機密指定で明かされて無かったプロイセンがアメリカに"裏取引"で提示した内容とほぼ相違ない物だった。


対してオスマン・トルコ帝国は滅亡し、オーストリア=ハンガリー帝国は強制的に国家を四分割(オーストリア/ハンガリー/チェコスロバキア/ポーランド)されたのだから、【一番に抜けたプロイセン】の処遇がどれほど甘いか分かるという物だろう。




また、その直後にはポツダム条約を盛り込んだ、当時は【アメリカ以上に民主的】と褒め称えられた【皇国新法】、ワイマール(ヴァイマル)市で最初に発布された事から【ワイマール憲法】と呼ばれるそれが公表される。


ポツダム条約とワイマール法のお陰で内外に


【民主化され開かれた新生プロイセン】


を大いにアピールできたようだ。


余計な物を脱ぎ捨て生まれ変わった【プロイセン帝国】改め【プロイセン皇国】は、好調なスタートを切った。




☆☆☆




20年代に入るなり、アメリカからの大規模な資本流入で爆発的な戦後復興を遂げていたプロイセンは、まず世界大戦時に中立を犯して攻め込んだゲルマン(ドイツ)系住民が多い【ベルギー王国】とその王室に正式に謝罪し、またその証として経済/技術協力を申し出る。


ベルギーは当時、プロイセンから戦時賠償としてプロイセンの植民地だったルワンダとブルンジを領有していたが、お世辞にも新植民地経営が上手くいってるとは言い難く……

むしろ、国力に見あわない植民地経営は財政負担が大きく(実際、ベルギーでは僅差で可決こそしなかったがプロイセンへの植民地返還法案が提出された程だった)、プロイセンの申し出は渡りに船だった。


そして、国交を回復すると同時にプロイセンとの密接な交流が始まる。


後にプロイセンへ軍民問わず大量のブローニング/FN系の火器が輸入されるようになったのは、この為だ。




☆☆☆




更にプロイセンは図らず(?)も裏切る形となった、やはりゲルマン系住民が多数派の【オーストリア】に接触、ベルギーと同じく経済/技術支援を申し出る。


いくら国土分割が功を奏し、止むことのない頭痛の種だった【国内の民族対立】を是正できたとはいえ、やはり名実共に敗戦国の苦難と困窮を背負っていたオーストリアは、一も二もなくその申し出に飛び付いた。




周辺国、特にイギリスとフランスは世界大戦の元凶の一つとも言える、


『【汎ゲルマン主義】の復活だっ!!』


と騒ぎ立てたがプロイセンは、


『同胞(ゲルマン系)の多い国に、善意で世界大戦の償いをしてるだけだ』


と取り合わず、また今やプロイセンの宗旨国となったアメリカに苦言申し立てても、


『好きにさせてやれ』


の一点張りだった。

それもその筈で、


【善意の大戦補償を口実にした経済による懐柔】


というシナリオをプロイセンに渡したのは、他でもないアメリカだったのだ。


アメリカは、プロイセンが【復興特需】で欧州経済で勝ちすぎ、他国と無用な軋轢を生むのを警戒しその一部を他国……特に同胞意識で懐柔しやすいゲルマン系住民の多く、なおかつ世界大戦で経済ダメージが大きい国に還元するよう指示していたのだ。


つまり当時のアメリカは、


『自分達の首輪を外さないのなら、懐古趣味の汎ゲルマン主義も大いに結構』


と考えていた。

むしろ、欧州方面の忠実な手駒が増えるのなら歓迎すべきと……


実は第1話【サタンクロース】で言及した1939年発足の【チュートン三国同盟(Teutonisch Dreimachtepakt:TD)】は、ある日突然できあがった訳ではない。


"TD"が締結される10年以上前から経済を中核とした密接な三国の交流があったから可能だったのだ。









**********




しかし、話はそこで終わらない。

同じく敗戦国の筈のマジャール人の国、【ハンガリー】はどうかというと……


端的に言えば、貧窮に喘いでいた。

ハンガリーはプロイセンのように上手く戦争から足抜けできた訳ではなく、最後まで戦い……


終戦時に残ったのは、膨大な戦死者と分割されて大幅に面積を減らし戦争で荒れ果てた国土、そして国土分割で減額されたとはいえ、当時の国家予算から考えれば天文学的な金額の戦時賠償だ。


だが、対してかつては同じオーストリア=ハンガリー帝国の片割れだったオーストリアは……


戦時賠償は臨時国債を発行し、それを主にアメリカとプロイセンが買い取る事により相殺。


またドル借款/新マルク借款により国家財政を立て直し、借金まみれとはいえ20年代中期には本格的な戦後復興が初まり、例えばウィーンはかつての【音楽の都】と呼ばれた昔日の栄華を取り戻しつつあった。

だからこそ、


『そもそも世界大戦が始まった理由は、皇太子が暗殺されてキレたオーストリア人がセルビアを攻めたせいじゃないのか?』


"なのに、何故あいつらがゲルマン人って理由だけで真っ先に金持ちになり、俺達ハンガリー人が貧乏なままなんだ?"


そうハンガリー人が考えるのも無理は無かった。


更に分離独立したチェコスロバキアとポーランドには戦時賠償責任はなく、それが益々ハンガリー人の不満を煽った。




☆☆☆




その状況が益々混迷に揺れたのは、1928年の"世界不況"だ。


史実の"世界恐慌"ほど手酷い事にはならなかったが、それでも経済的弱小国に与えた影響は甚大であり、ハンガリーや生まれたばかりのチェコスロバキアやポーランドを直撃した。


この時期に比較的貧しい欧州東部に共産主義が蔓延りだした理由の一つがこれだろう。


しかし、世界不況を引き起こしたアメリカの飼い犬であるプロイセンはいち早く経済の立て直しに成功。

それに牽引される形でオーストリアも持ち直した。


『同じ世界大戦の敗戦国なのに何故だ!?』


それが当時のハンガリアンの偽ざる本音だろう。









**********




しかし、ゲルマン系住民が舵切りを行う国家群の経済再生が早かったことは、必ずしもプラス要素だけでは無かった。


そう、それは世界不況で食い積めた非ゲルマン系の移民(経済難民)を、欧州東部を中心に大量に引き寄せるという結果を生んだのだ。




かつて多民族国家ゆえにハプスブルグ家は他民族と【妥協(アウスグライヒ)】をせざるを得なかった。


そしてそれこそが帝国崩壊の元凶と信じるオーストリア……正確には国土分割により多数派&支配階級に返り咲いたオーストリアのゲルマン系住民は、再び他民族に自国のイニシアチブを握られる事を恐れ、早くも30年代前半に移民を厳しく制限する法案を可決させた。


それが近隣諸国との新たな軋轢……火種になると分かっていても。




しかし、その政策は……


『ゲルマン人云々は抜きにしても、既存国民の既得権益を守るという意味なら納得がいく』


そうプロイセンが明確な支持を打ち出したのだ。


【自国民の生命と財産を守護せしは国家の義務】


と……




☆☆☆




ヒトラーのいないドイツ(プロイセン)は、そもそも右派保守の巣窟なのだ。


しかし、更に問題だったのはオーストリアと同じくプロイセンと経済的結び付きが極めて強いベルギーや、オランダ/ルクセンブルグ/デンマークなど欧州西部の国々が相次いで同じくオーストリアの【移民抑制政策】の支持を表明、あまつさえ国民の圧倒的な後押しで程度の差はあれど自国の政策として採用し、その流れは北欧まで飲み込んだ。




☆☆☆




考えてみれば当たり前の話で、国民選挙がない方が珍しいこの時代の欧州において、


『(選挙権を持たぬ)他国からの移民に、せっかく世界不況から持ち直しつつある自国経済……自分達の生活を荒らされる事を容認する有権者がいるか?』


という事だ。

答えは断じて否。

だから各国が保守的ナショナリズムに傾くのは必然だった。


それにこの時代、欧州で革新の代表格と言えば、【神の教えに反した】共産/社会主義(はいしんしゃ)を指していた。




事実上、東欧州からの移民は各国で禁止される。


特にソビエトからの共産軍事顧問団が戦争をひたすら引っ掻き回した"スペイン内乱"以降は尚更その傾向は強化されてゆく事になる。


かくてここに


【豊かな欧州西部vs貧しい欧州東部】


という経済格差に起因した潜在的対立構造が成立した。


ハンガリーやポーランド、チェコスロバキアやその他の東欧州諸国がバチカンが提示した【CETO(欧州十字教条約機構)】に加盟しなかったのは、何も【加盟その物がソビエト侵攻の口実になりかねない】という理由だけでは無かった。


元々のこのような東西対立があり、また経済政策の正解や出口が見えずに政治が迷走し貧困が是正できない国々では、徐々にスターリンの息がかかった運動家により共産/社会主義者達が徐々に水面下で勢力を拡大し、権力を掌握しつつあった……







次回へと続く



皆様、ご愛読ありがとうございましたm(__)m


暮灘印の歴史魔改造(笑)シリーズは如何だったでしょうか?(汗)


PPGを書く段階で調べ直してみると……


『ナチスの台頭なくても戦争起きたんじゃね?』


という位、当時の欧州は火種だらけでした(;^_^A


PPGでは、それを鮮明化する為に第二次大戦の戦後世界と冷戦構造を参考に


【欧州東西の経済格差による対立】


をメインにしました。


つまり、【貧富の格差が階層闘争を生み、それが民族や思想対立を煽りながら混ざり国家対立に発展する】という流れですねf^_^;




次回で《戦争への経緯》は終わりますので、また暫しお付き合い下されば幸いです。


それではまた次回、皆様にお会いできる事を祈りつつ(__)





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