第6話:【近代欧州戦史概略(1886~1918)】
皆様、おはようございま~す♪
本日は変な時間に目が覚めて、変な時間に投降する暮灘です(^^;
今回のエピソードは、サブタイ通りに【欧近代欧州史(捏造)】がテーマです。
第二次大戦ってのは、特に欧州では第一次大戦の後始末で燻ってた未解決問題が自然発火したって所がありまして、ヒットラーとスターリンはたまたま一番デカい火種だっただけで、この二人がいなくても元々地域紛争だらけなんですよ(^_^;)
そんな訳で架空プロイセン史を描く上で避けては通れない、色んな意味で修羅道を描いてみました。
そんな感じのエピソードですが、楽しんで頂ければ嬉しいッスよ~☆
バイエルン駐屯地、第2中隊長室
第18機甲擲弾兵師団麾下第1戦車大隊第2中隊隊長大尉は、こう問い掛けた。
「我々はCETOより一段早くアカと交戦することになるだろう。だからこそ、我れらが【パンツァー・グラネディア】は"スロバキア"に向かう。クナイセン、そのココロは?」
すると第2小隊隊長中尉は、こう答える。
「理由は主に二つ。一つは額面通りに我が国の"保護国"であるスロバキアの純粋な防衛と……」
一呼吸置いてから、
「もう一つはズバリ、【チェコとハンガリーへの牽制】でしょうね」
様式美という言葉がある。
タイクゼンとクナイセンの会話は、どちらかと言えばそういう系統の会話だろう。
つまり、まだ経験の足りない……自分の小隊を精強成らしめる事に手一杯だろう若手将校に、
【自分がどんな土地で戦うのか?】
を教える為にわざわざこんな回りくどい事をしてるのだ。
☆☆☆
(欧州で戦争やるなら、まず自分達の立ち位置を把握する必要がある)
プロイセン帝国がアメリカと裏取引を行い【計画降伏】してから、あるいは世界大戦が公式に終戦したと言われる1918年以来、欧州は誰が味方か判別の難しい……不健全かつ不穏な空気に事欠かない場所になっていた。
(だが、新人にそれを分かれというのも無理な話だな……)
第3小隊のオットー・カリウス少尉は有能な装甲将校とはいえ、まだ士官学校を出たばかりの新米少尉だ。
第4小隊隊長もさして年齢も経歴も変わらない。
(これがプロイセン陸軍の実情なんだよなぁ〜)
クナイセンは内心で苦い顔をする。
プロイセン陸軍の機甲兵力は、ここ数年で急速に装甲化(他国で言うなら自動車化)し拡充を繰り返していた。
しかし、そうであるが故の弊害も出ているのだ。
(圧倒的なベテラン不足か…)
先の大戦で戦車で戦った将兵達は、今でも軍に残ってる者は恐ろしく少数。
実戦を潜り抜け磨かれた精鋭……特に戦争となれば一番数を揃えばならない(つまり消耗激しい)前線将校は、最も古参でもタイクゼンのように5年ほど前の"スペイン内乱"が初陣だ。
"冬戦争"でプロイセンがいくら距離が近いと言っても11万もの軍勢を予算的に無理してもフィンランド王国に派兵したのは、
【軍の根幹となる若手に実戦経験を積ませ、この先の戦争に必要な人材を一気に養成する】
為だった。
事実、タイクゼンやクナイセンを例に挙げる間でもなくあの赤色ロシア人との戦いを経験した陸軍将兵は、21個師団を根幹とするプロイセン陸軍全体に散り、各所で基軸になっていた。
(あの程度の実戦経験でも、今のプロイセン陸軍じゃベテランと呼ばれかねないからな…)
クナイセンの憂鬱…
かつて彼が士官学校に入学した頃は15師団に過ぎなかったプロイセン陸軍は、前述の通り今は6個師団も増えていた。
(わずか5年で6個師団増強…無理が無いわけない)
それが中隊を形成する4個小隊の内、小隊長2名が新人士官だという現実だった。
(ソ連とまともにぶつかれば、状況は益々悪くなるな……)
程無く予備役招集が始まるのは目に見えてたし、徴兵だって厳しくなるだろう。
一度は軍隊の釜の飯を食った予備役ならともかく、ついこの間まで素人だった徴兵……促成栽培の兵隊を使う事態。
クナイセンは小さく頭を振って暗い未来予想図を追い出した。
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「クナイセン、チェコとハンガリーへの牽制とはどういう意味かね?」
明らかに分かっているのに聞く口調のタイクゼンだったが、クナイセンは気付かぬフリをしながら、
「チェコとは【ズデーテン地方】のプロイセンへの割譲で揉めてますし、ハンガリーはスロバキア独立直後に戦争仕掛けて領土を奪おうとした矢先に、タッチの差でプロイセンがスロバキアを保護国に指定しちまって邪魔してますからねぇ〜……そりゃ、恨み骨髄でしょう」
そしてクナイセンは酷く断定的に、
「スロバキアに関するハンガリーのプロイセンに対する政治的小細工を見る限り、小官にはマジャール人(ハンガリー人)が、【オーストリア=ハンガリー帝国】の栄華を諦めたようには思えませんので。取り戻せるなら、赤色勢力の手を握ってでも欲するでしょう」
☆☆☆
「クナイセン中尉、君は確か歴史に造詣が深かった筈だな? 少し我々に現在に至るまでの近代史を講釈してくれたまえ」
タイクゼンはそう促すが、
「構いませんが……かいつまんで話しても、そこそこ長くなりますよ?」
面倒臭そうな空気を隠そうともしないクナイセンに微かにタイクゼンは苦笑しながらも、
「構わんさ。出立迄にはまだ時間があるからな。ほんの座興だ」
クナイセンは諦めたように溜め息を突き、
「然らば……先ず発端は19世紀、今から75年も前の1866年【普墺戦争】まで遡ります」
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【普墺戦争】とは?
1866年、プロイセン/イタリア連合軍とオーストリア帝国との間に勃発した戦争で、歴史的背景はあまりに長いので割愛するが……
結論から言えば、かの有名な"鉄の宰相"こと《ビスマルク》の罠にはまり、オーストリア帝国の惨敗で戦争は終結。
ただでさえ帝政ロシアの後ろ楯を失い落ち目だったオーストリア皇帝家(ハプスブルグ家)の権威と国際的地位は泥にまみれた。
その結果、皇帝家だけでは当時は多民族国家だったオーストリアをまとめきれず、1867年に国内の有力勢力だったマジャール人(ハンガリー人)貴族と"妥協"し、新たな国家作りを始める事となる。
この"妥協"政策こそが、世界史の教科書に出てくる【アウスグライヒ】だ。
☆☆☆
アウスグライヒの末、オーストリア帝国は【オーストリア=ハンガリー帝国】として再出発する。
歴史書には、【オーストリア=ハンガリー二重帝国】と記載されてる事がままあり、むしろこちらの方が国家の性質をよく表してるだろう。
いや、オーストリア帝国の支配階級だったゲルマン人(ドイツ人)もマジャール人も国内で過半数を握る勢力ではなく、工業を握るボヘミア人(チェコ人)に資本を握るユダヤ人、小勢力と言うには大きすぎるクロアチア人にポーランド人、スラブ人(スロバキア人)が新国家の中でより大きな権勢やイニシアチブを持とうと動いたのだ。
プロイセンとロシアという大国同士の挟まれ、弱小国が生き残れないと理解していたからこそ、どの勢力も帝国からの独立を求めなかった故に内戦には発展しなかったものの、中身は連立政権の混乱を通り越して戦国時代さながらの様相を呈していた。
言うならば、【多重帝国】と表現しても良いかもしれない。
特に二度のバルカン半島での戦争の後は、元々あった【汎ゲルマン主義】や【大セルビア主義】に加え、【汎スラブ主義】まで台頭し、この周囲一帯は名実共に
【欧州の火薬庫】
に成長していった。
そんな国内の不発弾を処理しきれないまま、オーストリア=ハンガリー帝国に最大の試練が訪れる。
そう、【世界大戦】だ。
☆☆☆
そもそも世界大戦(後に"第一次大戦"と呼ばれる)は、サラエボでオーストリア皇太子が暗殺された【サラエボ事件】が発端だった。
サラエボ事件を理由にオーストリア=ハンガリー帝国は、セルビアに宣戦布告。
絶対に介入してくるだろうロシアはオーストリアと同盟関係にあったプロイセンが抑える予定だったがそれに失敗し、ロシアはセルビアに付きプロイセンと開戦する。
また、ロシアと【三国同盟】関係にあり、プロイセンの躍進と大国化を恐れていたイギリスとフランスが相次いでプロイセンに宣戦布告(中身は完全に強くなる前にプロイセンを潰そうとした"予防戦争"だった)。
かくて【世界大戦】の図式は完成したのだ。
☆☆☆
しかし、開戦から2年たった1916年、オーストリア=ハンガリー帝国皇帝《フランツ・ヨーゼフ1世》の史実より半年ばかり早い崩御から、歴史はより混沌とした方向に転がり始める。
【世界大戦】への参戦機会を窺っていたアメリカは、フランツ・ヨーゼフ1世の死去とその混乱をオーストリア=ハンガリー帝国の国家上層部の指導力弱体化と判断して参戦を決定したが、その矢先にプロイセンより【秘密交渉(裏取引)】を持ち掛けられたのだ。
その内容は、プロローグや第1話に詳しく記してあるが……
簡単に言えば、アメリカが公式参戦した後にアメリカに単独降伏し、立憲君主と民主主義化してアメリカの属国になるから、本国の領土と権益は保証してくれという物だ。
アメリカは旨味があり過ぎる条件を快諾し、1916年にプロイセンが条件付き降伏した後は、戦争の継続と戦時賠償を取りたがる英仏を、戦費貸付を武器に抑え込みにかかった。
世界大戦は公式には1918年11月11日に終戦した事になってるが……
実はプロイセン、アメリカと公式に"降伏合意"が発表された1916年7月4日(この日付だけでプロイセンがアメリカにどれだけ配慮したか分かる)以来、終戦まで大規模な戦闘はやっておらず、全ての部隊を本国に引いて徴兵を動員解除し、たまに未練がましく『降伏は認めてない』と越境してくる、国内の叛乱で精彩さを欠く帝政ロシア軍相手に小競り合いを繰り返してただけだった。
日付による配慮というなら、1916年7月4日というのはまさに絶妙だ。
何しろ、16年は米国大統領選挙年で、セオドア・ルーズベルトの【第二次ルーズベルト政権第二期】の命運がかかっていた。
11月の選挙までに何としても【誰でもわかる成果】をあげたかったルーズベルトにとり、プロイセンの申し出は渡りに船であった。
更に16年12月24日に正式に"降伏文章"にルーズベルト大統領とヴィルヘルム二世の調印がなされ、この演出過剰気味の
【正規の政治ショウ】
は幕を閉じた。
☆☆☆
ちなみに降伏後も"国防軍"に再編されただけで軍の解散が起きず、戦後に海軍以外にプロイセンが戦力の保有制限を受けなかった(あるいは英仏がそれを承認せざるを得なかった)最大の理由がこの、
【降伏した後も繰り返されたロシア人の卑怯な攻撃】
だった。
☆☆☆
しかし、冗談ではないのがオーストリア=ハンガリー帝国(とオスマン・トルコ帝国)だ。
プロイセンが『義理は果たした』と言わんばかりに勝手に一抜けしたおかげで、ついに自分達だけで戦わなくてはならなくなったのだ。
結果、オスマン・トルコ帝国は滅亡し、オーストリア=ハンガリー帝国は、
【オーストリア】
【ハンガリー】
【チェコスロバキア】
【ポーランド】
に四分割された。
[作者注:史実と違い、ポーランド領土はオーストリア=ハンガリー帝国が領有していた模様]
公式にはオーストリアとハンガリーに分割され、チェコスロバキアとポーランドが独立したという形になったのだが……
いずれにせよ、アメリカに媚びて本国のみとはいえほぼ領土を無傷で済ませたプロイセン(正確には戦後はプロイセン帝国改め"プロイセン皇国")とは雲泥の差だった。
そりゃあ、プロイセンが【裏切者】呼ばわりされるのも無理はない。
しかし、ハンガリアン(ハンガリー人)にとってプルシアン(プロイセン人)の裏切りはこれだけには止まらず、またボヘミアン(チェコ人)にとってはた許しがたい屈辱的な事態が起きる。
1918年11月11日……
確かに【第一次世界大戦】という嵐は過ぎ去ったが、欧州の激動はまだ始まったばかりだった。
そう……
新たな戦乱の予兆は、既に芽吹いていたのだった。
次回へと続く
皆様、ご愛読ありがとうございましたm(__)m
史実と捏造の入り雑じった【プロイセンの戦争への道】は如何だったでせうか?(;^_^A
それにしても……
歴史って難しい~~~っ!!(笑)
いや、暮灘は歴史物があんまり得意ではなく、世界史はともかく日本史を含む東洋史は苦手分野なんで皆様の反応が心配です(汗)
さてさて、次回は【今の戦争】にダイレクトに繋がる1918~1939(?)辺り迄の似非込みのヒストリカル・エピソード♪
果たして需要があるか不安(それを言うなら、PPG正伝その物がですが)ですが、楽しみしてもらえれば幸いです☆
それでは、また次回でお会いできる事を祈りつつ(__)