第3話:【戦争の舞台裏】
戦場で華々しく、あるいは無惨に戦うのが【戦争の表舞台】だとすれば、必ずそのような情景を生み出す要因がある。
舞台に演出家や脚本家がいて、更に劇場のオーナーや興業主、協賛やスポンサーがいるように、"役者"…戦場で戦う兵士の他にも、それらの役割を担う者達がいる。
今回は、そんな戦争の一幕裏を追ってみたい。
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皆様、こんにちわ~♪
どうにも本文以上に前書きも後書きも安定しない暮灘です(^^;
とりあえず、今回は導入がシリアス、残りはいつもの調子で書いてみようかと(笑)
さてさて、今回のエピソードですが…
新キャラが二人出ます。というかその二人しか出ません(えっ?
いや~、実はPPGのストーリー構成的にどうしても
【非軍人で高見から戦争をコーディネートする側キャラ】
が必要でして(^^;
前から名前は何度か出てるので、何となく聞き覚えのある読者様もいらっしゃるのでは?
今回は鉄と血と硝煙の匂いが全くしないエピソードですが、お楽しみ頂ければ嬉しいッスよ~☆
プロイセン皇国、皇都ベルリン、某所
「始まったな…」
そう静かに呟くのは、20代中盤から後半くらいの長身の女性だった。
全体的に精悍な印象で、ほっそりした印象だが…
出るとこはしっかり出てて、引っ込んでるとこはくっきり引っ込んでるボディラインの持ち主で、クールな雰囲気と片目を隠すように長く伸ばしたプラチナ・ブロンドの髪が印象的。
ピシッと仕立ての良い最新モードのシャネルのスーツに身を包んだ姿は文句なく美人、まるでキャリア・ウーマン向けのファッション雑誌から抜け出たようだった。
「そうですねぇ〜♪ いよいよ来るべき時が来たって感じですよぉ〜☆」
どこか楽しげにそう答えたのは、ダイナマイト!!っと思わず叫びたくなる巨大な双丘を今にも胸のボタンが弾け飛びそうな開襟シャツに押し込め、その上に白衣を着込んだ女性だ。
とはいえ、タイプはプラチナ・ブロンドの女性とは正反対。
小柄とは言わないが、標準より明らかに低い背に不釣り合いな程に大きな胸が特徴だ。
現代日本で言うなら、Hカップ位は余裕でありそうだ。
顔は童顔で、整ってはいるが綺麗というより可愛い部類だろう。
大きな眼鏡と腰まで伸びる緑茶色の髪を後ろで縛る三つ編みがトレードマークだろうか?
「《ドクトル・トート(トート博士)》、随分楽しそうに見えるのは私の気のせいか?」
プラチナ・ブロンドのシャープな美女が問えば、
「あはは♪ 気のせいじゃないですよぉ〜。《フロイライン・シャハト総裁》」
眼鏡のおっとり美人はにっこり微笑み、
「これでどうやら、長年かけて打ってきた"布石"が無駄にならずにすみそうですからぁ〜♪」
するとフロイライン・シャハトと呼ばれた女性は呆れたように溜め息をつき、
「《ラプンツェル》…私は貴女のそういう図太さが、時折ひどく羨ましくなるよ。私はこれからかかる戦費を考えるだけで頭が痛くなるというのに」
「プロイセン連邦銀行総裁は大変ですね〜。その点、わたしは《ベアトリス》さんと違って撒いた種をどう刈り取るかだけですから〜♪」
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さてさて、先ずは彼女達を紹介せねばなるまい。
プラチナ・ブロンドの美女は《ベアトリス・シャハト》。
現プロイセン皇国経済相で戦後のプロイセン経済復興の立役者の一人とされる元プロイセン連邦銀行総裁の娘であり、そして父親の跡目を継ぐ形でプロイセン連邦銀行総裁へと就任した。
元々は長らく連邦総裁就任の以前から父親の秘書長を務めていたが、その頃より父親の秘書というより副官や参謀的ポジションで働いたらしい。
その時代より多くの提案と数々の難しい決断を行い、その冷徹とさえ言える合理的な思想と果断さから【雪姫】とアダ名されていた。
もう一人は、《ラプンツェル・トート》。
プロイセンの誇る多角公共経済諮問機関【トート機関】の若き代表である。
トート機関については、プロイセンが戦後復興の目玉として掲げた超大規模公共事業、世界に誇る大高速道路網である【アウトバーン】を企画/計画/立案した機関と言えば分かりやすいだろうか?
ラプンツェルは、その総帥であったフリッツ・トートの娘であり、飛び級にて10歳でドレスデン工科大で生産工学(マスプロ学)の博士号をとった天才女児だった。
その他にも数々の工学関連の博士号をとった後に15歳で父親の助手となり、そこで実力と頭角を表した。
彼女の最初の功績と言えるのは、
【プロイエクト・フォルクスワーゲン(国民車計画)】
だろう。
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【プロイエクト・フォルクスワーゲン】は、父が全力を注ぐ【プロイエクト・アウトバーン】と対になる計画として立案された。
『道路を作っても走る車が無ければ、意味がありませんよぉ〜』
そう言いながら、ドレスデン工科大時代の恩師だったフェルディナント・ポルシェ博士に相談。
そして、計画が承認されたら喜んで快諾される。
更に当時はトート機関総責任者だった父に計画書を見せ許諾された後に、彼女は父のコネで今度は1925年に退位したプロイセン帝国最後の皇帝であり、プロイセン皇国初代皇帝(立憲君主)である《ヴィルヘルム二世》へと計画概要書を持ち込んだのだ。
元々、ヴィルヘルム二世は科学に対して強い関心と興味を持ち、第一次大戦前には【カイザー・ヴィルヘルム研究所】を設立した程だった。
そんな彼にラプンツェルは臆する事なく、
『陛下、プロイセンにもモータリゼーションを起こしちゃいましょう♪』
いくら立憲君主(象徴皇帝)となり統帥権を失なったとはいえ、退位した今となってもヴィルヘルムの権威は衰える事は無かった。
第一次大戦のA級戦犯のように思われていた時期もあるが、【自らの名誉を捨てても、国の存続と国民の生命と財産の守護】との評価が定まり、今でも国民人気は高いのだ。
そこでヴィルヘルム二世は、皇位継承した息子の《ヴィルヘルム三世》に、「そなたの在位5周年を祝う為の式典を計画したいのだが」と書簡が送られた。
また、ヴィルヘルム二世はヴィルヘルム三世の長男が貴賤結婚の条件として皇位継承権を放棄した為に皇位継承権一位(皇太子)となった孫の【《ルイ・フェルディナント》の見識を広める】事を口実に、
【次代のプロイセンを担う有能な若手科学者、研究所を集め見識を広め面識を持たせる事を目的としたシンクタンク】
を開設する事を決める。
それこそが、【ゲヒルン(ドイツ語で"頭脳")】だったのだ。
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実はベアトリスとラプンツェルが知己となったのも、この【ゲヒルン】であった。
隠居生活で暇をもて余していたヴィルヘルム二世の【ゲヒルン】への熱の入れようは相当な物だったらしく、実際にゲヒルンの最初の懸案である【プロイエクト・フォルクスワーゲン】の第一回目会合から参加し、若者達の活発な議論を実に楽しげに傍聴していたという。
オブザーバーとして前述のフェルディナント・ポルシェ工学博士をはじめ数々の学者が招かれ、実際の数値を使い様々な角度から各種検証やシミュレートが行われた。
話を国民車計画に集中すれば、"世界不況"の煽りを受けながらも1929年に【国民車計画】はプロイセン国民議会に提出された。
ともかく、【計画通りに一家に一台の車が行き渡った場合の国家経済への波及効果】から【プロイセンの一般的な家庭の自動車ローン・シミュレーション】や【交通量増大による事故並びにそれに対応した道路交通法整備案】に至るまで、正にあらゆる視点を網羅した素晴らしい出来の計画で、しかも計画支援者欄にトート機関やプロイセン連銀、そしてヴィルヘルム二世の署名まである上、ヴィルヘルム三世の【即位五周年記念に発動、十周年に完遂】と書かれていれば、もはや議会に反対する理由は無かった。
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まず組織されたのは、計画を遂行すべくフェルディナント・ポルシェ博士を座長とする非営利政府公社の【Preusen Automobile Aktiengesellschaft(PAA:プロイセン自動車公団)】だった。
史実ではこれに合わせて量産されたのは"ビートル"の愛称で戦後は世界中で親しまれたフォルクスワーゲンだけだったが、この世界では【国民車】は規格とされ、価格設定や工業規格を満たすなら民間企業も参入自由で、また適合すれば低金利の国庫融資(自動車ローン)を受けれる手筈に仕立てた。
事実、後にオペル社をはじめ国内外を問わない複数の民間企業が【国民車規格(VW規格)】の乗用車を発表/販売している。
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しかし、ラプンツェル・トートはPAAには参加せずに、国民車計画が議会に提出される以前から【ゲヒルン】と【トート機関】の有志を集めて別の計画に動いていた。
それが部品…いや、素材レベルからありとあらゆる物を規格化する
【プロイセン標準工業規格(PNIS)】
の草案作りと、またそれとセットになる工場単位での品質管理を徹底させる
【工場自己責任制(Workplaces eigener Verantwortung Gesetz:VG制)】
の導入だった。
実はラプンツェルは、国民車計画の初期段階からプロイセンは潜在的に高い工業力を持ちながら、規格統一が徹底されてない為に、それが生かしきれない事に気がついていた。
例えば、表記的には【同じサイズの鉄ネジ】でも使われてる鉄の素材が違い、強度的に全く違うなんてのはザラにある話だった。
そこで【どこの工場で例え新人工員が作ったとしても、理論上は同じ製品が生産できる】事を目標としたのだ。
それは特にプロイセンの生命線とも言える【対米輸出】に強みを持つと判断した。
プロイセンは欧州でも標準的なメートル/キログラム法だが、アメリカはヤード/ポンド法だ。
その為に輸出に関しては表記変更、時にはパーツのサイズ変更が必要となり、その段階で誤差が大きくなる事が常々懸念されていたのだった。
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軍需ではなく民需、それも輸出を想定した事柄なので、ラプンツェル・トートとベアトリス・シャハトは強く手を組み、友情を育みながら神憑り的な勢いで関係各所を回り、粘り強く交渉を続けた。
実際、彼女達にとってはあらゆる製品の規格化と徹底した品質管理は、どれほど初期投資が高くついても後にメリットしか生まないという代物なのだ。
その努力実って、PNISとVG制は翌年の31年に可決される事になる。
父でなく娘トート&シャハトがプロイセンにおいて急速に有名になるのは、この頃だった。
そう、フォルクスワーゲンは初のPNISやVG制を用いて製造が開始された乗用車だったのだ。
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1935年、ヴィルヘルム三世在位十周年を記念し、1921年から起工して第一目標の7000kmが全線開通した【アウトバーン】の記念式典に合わせ、「一家に一台の自動車を」のスローガンの元にプロイセン全土で【国民車(VW:フォルクスワーゲン)】が販売される。
PAAが開発/販売お馴染みの"VWビートル"を中心に"VWオペル"等を含めた総数50万台を超える乗用車が瞬く間に売り切れて更なる増産、未曾有の好景気にプロイセンは沸いた。
それは大きな弾みとなり、翌年の1936年に開催された【世紀の大祭典】、
【ベルリン・オリンピック】
に結実し、プロイセンはさらなる躍進を迎える。
このオリンピックにおいて、アウトバーンも各社のフォルクスワーゲンも世界にお披露目されたと言っていい。
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その後、アウトバーンにベルリン・オリンピック、平行して港湾や空港の整備を行なっていたフリッツ・トートはその功績が認められ翌1937年に国土開発相に就任し、そのままスライドする形でトート機関代表に収まったのが、ラプンツェルだった。
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フリッツ体制では、大規模土木工場によるインフラ整備を得意としていたトート機関だが、ラプンツェル体制になってからはそれに加えて、工業…特に輸出と軍需の分野に触手を伸ばした。
彼女は軍をコントロールするのではなく、軍需産業を適正化しながらコントロールする事で、プロイセンの更なる強国化を行おうとしていたのだった…
「仕掛けは万端、仕上げはご覧あれ〜♪ですよぉ」
「具体的には?」
ベアトリスの言葉にラプンツェルは微かに笑い、
「太平洋戦争終結で余剰になった五大湖周辺で製造されてた軍用車両は、既にニューヨーク港やボストン港に運びこまれてますよぉ〜」
そして、ラプンツェルは笑みを強めて、
「"ボーイングの爆撃機"はもうすぐプロイセンに向けて飛び立つでしょうしねぇ〜☆」
「随分、仕事が早いな?」
半ば呆れるベアトリスに、
「う・ふ・ふ〜☆ 我がプロイセンも戦時中は裏表問わずに色々支援しましたからねぇ〜。そろそろ見返りがあってもいい頃だと思いませんか〜?」
そう心底楽しそうに笑うラプンツェル…
ベアトリスは、その瞳の奥に宿った妖しい輝きに戦慄を感じたと手記に書き残していた……
次回へと続く
皆様、ご愛読ありがとうございましたm(__)m
【頭のいいお姉さま系キャラ】は如何だったでしょうか?(^^;
いや、別にロリキャラを書くのが飽きたとかではなく(笑)
とりあえず、舞台裏の楽屋オチを書くと、
ベアトリスもラプンツェルもキャラ・イメージは恋姫†無双がベーシックで、
ベアトリス→春蘭の髪型の秋蘭
ラプンツェル→穏を【kanon】の秋子さんの髪型にして、メガネを【リリ☆なのStS】のマリエル・アテンザっぽく大型化した感じ
となります(^_^;)
プロイセン皇国を裏から支える【ゲヒルン】の誇る女傑二人ですが、気に入って頂ければ嬉しいです♪
何しろ、非戦闘員の上に国家上層という使い勝手のいいキャラなので、登場頻度はサブキャラとしては高めになりそうですから(^^;
それでは、また次回でお会いできる事を祈りつつ(__)