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第1話:【サタンクロース】


1941年12月24日…


十字教徒のいる国では、どこも華やいだ空気に満ちていた。


「今年のクリスマスは、ただのクリスマスじゃない♪」


そう、自分達は直接関係してないが、1939年より始まった太平洋を巡る戦い、【太平洋戦争】がつい2週間ほど前に、ようやく終戦を迎えたのだ。


誰もが予想していたが、勝ったのは圧倒的な国力を持つアメリカ。


順当勝ちではあるが、それでも戦争は終わったのだ。


ならば盛大に祝うべき!!




しかし…

新たな戦乱は、もう目の前まで来ていたのだった…








1941年12月24日…

41年のクリスマス・イヴの日、宗派を問わず十字教影響下にある国々は、憂いなくクリスマスを迎えられた明るい雰囲気に包まれていた。


それもその筈で1939年8月15日に勃発し、太平洋を舞台に行われていた日米が戦った人類史上最大の海洋戦争である【太平洋戦争】が、2週間程前の12月8日に終戦を迎えた…大日本帝国がアメリカ合衆国に"条件付降伏"したのだった。


"宗旨国"…は言い過ぎとしても、第一次大戦以降は実質的にアメリカの属国であった【プロイセン皇国】においては尚更だ。


"胴元"の勝利で幕を閉じた太平洋戦争終戦を祝い、久しぶりに華やいだ…ややもすると浮かれた空気が漂っていた。




まあ、それも無理からぬ話だろう。


1936年に支離滅裂な状況のまま終結した【スペイン内乱】以降、欧州は悪意と敵意に不足無い状況が続いていた。


ボリシュビキの叛乱から始まった共産主義者達の赤い国家は、革命から20年も経ずに強力な軍事力を持つに至った。


帝殺しの上に神殺しの共産主義者を恐れた十字教の総本山であるバチカンは、スペイン内乱終結直後に各国王公貴族に親書をしたためる。


内容はシンプルで、


「赤軍は神も王も帝も殺す。ならば、細かい利害関係を棚上げしても、全員で手を組み身を護らないか?」


という物だった。

それは功を奏し、大日本帝国が海軍軍縮条約の建造枠や大陸での既得権益の削減を不服に思い、【国際連盟】を自主脱退した同じ席上である決議がなされた。


それは宗教的反共超国家連合体、"CETO"


【クルセイデッド・ユーロ・トラスト・オーガニゼーション(欧州十字教条約機構)】


結成の瞬間だった。









**********




CETO最初期加盟国は発起人たるバチカンを抱えるイタリアは当然としても、胴元とセットで赤が国是として毛嫌いしてるプロイセン皇国、そしてソビエトと宿命的に敵対するフィンランド、ノルウェー、スウェーデン、デンマーク、オランダ、オーストリア、ベルギー、フランス、スペイン、ポルトガルの12ヶ国…


十字教はプロパガンダを含め、この12ヶ国をメサイアの弟子に準え【十二使徒(アポストロス:Apostles)】と総称した。




蛇足ながらソビエトと国境を接してるポーランド/ルーマニア/チェコスロバキア/ブルガリア等はCETOへの加盟その物が赤軍を呼び込む口実になりかねないとして、ハンガリーは第一次大戦のオーストリアハンガリー帝国解体による蟠りで、リヒテンシュタインとスイスは中立を理由に、英国は宗教的理由(同時にそれは政治的理由でもある)でそれぞれ加盟を見送っていた。




☆☆☆




しかし、チェコスロバキアで中立を保ちたいチェコとCETOに加盟したいスロバキアで政治的対立が強まり、1939年初旬のウィーン会議でCETOが調停役となりスロバキアの無血独立が承認された。


世に言う【平和な離婚調停】だ。


そもそも歴史を紐解けば、チェコとスロバキアというのは元来別の国でオーストリアハンガリー帝国に長い支配を受け、戦後の帝国解体の時に合併してチェコスロバキアという国になる事で独立を承認された経緯がある。


そして、独立したスロバキアは事前の秘密取引によりプロイセンの"保護国"となり、同時にCETOへと加盟した。




☆☆☆




また、同年6月にはプロイセン/オーストリア/ベルギー三国の間で【チュートン三国同盟(Teutonisch Dreimachtepakt:TD)】が締結される。


これは完全に双務的…ひどく戦闘的な内容であり、【三国のうち一国でも攻められれば、残る二国は自動的に参戦する】という物だった。


CETO以外にこのような枠組みの同盟が組まれたのは、急場の際にCETO全体の決議を待っていれば圧倒的な数で押し寄せてくるだろう赤軍に対応しきれなくなると考えられたからだ。


少なくともドイツ語圏の三国がそれだけ警戒する程、当時のは不穏だった。








**********




DTが成立した約2ヶ月に太平洋戦争が勃発し、欧州の緊張は更に上昇した。


その時のCETOベルリン会議でCETOはプロイセンとフランスの国境を境に【北部戦闘管区(ノルト・クリーグス・ガウ)】と【南部戦闘管区(ズーデン・クリーグス・ガウ)】南北二つの戦域に分け、反共防衛戦争を遂行する事を決定する。


これはCETO加盟国でプロイセン以北の国々はソビエトと国境を接したり、距離が近い国も多く、開戦した場合は直接的な大規模陸戦が想定され、それ以南の国々はアルプスや北戦闘管区が要害となり、少なくとも開戦初頭に大規模な赤軍攻勢を受ける可能性は低いとされたからだ。


しかし、黒海からソビエト艦隊が地中海で通商破壊を行う可能性は否定でない。




この地政学的な違いな為に北部はソビエトの数に物を言わせた直接的な【スチームローラー作戦(人海蹂躙戦)】を警戒せねばならず、南部は主に中東からの石油採掘地/積出港/供給路の防備…纏めるなら【地中海のシーレーン維持】を優先せねばならなかった。




☆☆☆




簡単過ぎる説明だが、斯くて北戦闘管区が赤軍の大攻勢を迎撃してる間に、南戦闘管区は最大の必要戦略物資である石油を、中東からプロイセンをはじめ北部の港に運び込むというシナリオが完成した。


ちなみに地中海の船団護衛は主にイタリア、ジブラルタルから出た大西洋はフランスが主に担当する振り分けとなっている。









**********




このCETOの枠組みが生きるチャンスは、誰が思うより早く訪れた。


そう、ソビエトがフィンランドに領土割譲を迫まり、フィンランドがそれを拒絶したことにより1939年11月30日に勃発した【冬戦争】だ。




☆☆☆




後から見れば強引過ぎる戦端の開き方を見る限り、どうやらソビエト(あるいはスターリン)はCETOを【烏合の衆】と捉え、まともに機能しないと考えていたようだ。


だが、スターリンの予想は完全に裏切られた。


公式な国家規模の参戦となれば面倒な手続きが必要だが、CETOはスペイン内乱の戦訓を生かし北戦闘管区の加盟各国を中心に【義勇兵団(一部は"軍事顧問団"名目)】を編成。


陸海空を問わないあらゆるルートで搬送し、開戦からわずか2週間で25万もの兵力をフィンランドの絶対防衛線である【マンネルハイム・ライン】を集結させたのだった。


中でも主力だったのが地理的にも近いプロイセンで、当時は中立だったイギリスから輸送船を大量リースし、更に当時の艦艇の半分を導入した臨時護衛艦隊を編成、ピストン輸送で戦力を送り込んだ。


これにはプロイセンの事情もあり、スペイン内乱の後に配備されたIV号戦車やMP-38短機関銃、He-100/Bf-109戦闘機、Ju-87急降下爆撃機にJu-88双発爆撃機など、いち早く実戦評価(バトル・プルーフィング)したい兵器が目白押しだったからでもある。


陸空合計11万の【カールグスタフ義勇兵団】に与えられたのは、350機の軍用機と180両のIV号戦車を中心とした2000両を超える軍用車両、ロケットランチャーを含む過剰なまでの火砲群だった。


ついでに言えば、11万の兵力の中核をなす9万の陸軍は、特別に


【プロイセン・スカンジナビア軍団(Preusischen Skandinavien Korps:PSK)】


と呼ばれる場合が多い。




☆☆☆




「良く言っても"魔女大釜"、悪くいったら地獄だった」


これはこの戦いに従軍し、後に書記長に上り詰めたニキータ・フルシチョフの言葉である。


マンネルハイム・ラインはまさに赤色ロシア人にとって地獄の一丁目、この世とあの世の境界線となった。


政治将校がいくら「サボタージュで銃殺されたいかっ!!」と機関銃を撃ちながら後ろから督戦を叫んだところで、ソ連軍は文字通り赤い血を流しながら屍の山をそちらこちらに築くだけだった。


一向に戦況が好転しない事に腸が煮えくりかえったスターリンは、ついに後に【T-34中戦車】と【KV-1重戦車】と呼ばれる事になる新型戦車の試作/先行量産型の投入を決意した…




☆☆☆




確かにT-34やKV-1は、


「まさか共産主義者がIV号戦車に匹敵するかそれ以上の戦車を持っているとは思わなかった…」


とプロイセン軍の装甲将兵を驚愕させるが、いかんせん数が少なすぎ、また搭乗員の練度が低すぎた。


実際、同じプロイセン軍でも歩兵部隊は「T-34よりトカレフやシモノフ、モシン・ナガンの半自動ライフルの方がよほど脅威だった」と証言する者も多い。




☆☆☆




結局、スターリンが鳴り物入りで参戦させた新型戦車はことごとく破壊されるか、中には殆ど無傷で鹵獲された物も存在し、他の赤軍装備共々プロイセン本国に移送され、後の戦車開発の指針となった。




こうして1940年3月29日、ソビエト軍は20万人を超える死者/行方不明者を出しただけで何も得られないまま撤退する事になる。


また今回の暴虐な振る舞いに対し、CETO加盟国全てとギリシャ、トルコ、アメリカ、イギリスの全面同意の元で、


【ソ連の国際連盟よりの永久追放】


が議決されたのは、1939年12月14日の事だった。


余談ではあるが、主力防空戦闘機の座をプロイセン最大手航空メーカーであるハインケル社の【He-100】シリーズに奪われ、また次期主力戦闘機の座も新興のフォッケウルフ社【Fw-190】に内定されたメッサーシュミット社だったが、フィンランド空軍への自社の【Bf-109】の売り込みが成功(これはHe-100がルフトバッフェのオーダーを満たす為に輸出する余裕が無かった事がが最大の理由)、300機の大量発注を受ける事で倒産の危機を免れたという逸話が残っている。


この後も北戦闘管区各国を中心としたプロイセン以外の空軍のオーダーは増え続け、最終的にはシリーズ合計5000機以上を販売したベストセラー機となった。








**********




あれから、1年半以上…


ユーラシアの東の果てでは、去年の秋口な粛正を恐れた冬戦争に参戦していた赤色将軍達が中国共産軍と手をくみ、既に敗戦が見えていた日本相手に【ノモンハン侵攻】を仕掛け、大陸の日本人をミンチにする事で失態を帳消しにしようとしてるようだが、今日のクリスマス・イヴまで欧州は仮初めの平和を満喫できていた…




☆☆☆




ポーランド/ソビエト国境線、監視塔




その日、歩哨に立っていたスコダ二等兵は己の不幸を嘆いていた。


クリスマス・イヴに最前線にいることが…ではない。


太平洋戦争の終戦日に彼女を親友にNTRされ、クリスマス・イヴに歩哨に立つ事になんの問題もなくなってしまった事に、だ。


「はぁ…俺にはサンタクロースは来ないのかな…」


背負った旧式小銃がやけに重く感じた。


彼の嘆きが聞き遂げられた訳ではないのだろうが…


"キュラ…キュラキュラキュラ"


「なんだ…?」


静かに雪降る聖なる夜に、無粋に響く金属と金属が擦れるような音に双眼鏡をむけるスコダだったが…


「なっ!?」


彼が絶句した途端に何かが光った。


それが彼がこの世で見た最後の光景となる。


何故なら…

飛び込んできたロシア製の76.2mm砲弾が、スコダや同僚ごと監視塔を木っ端微塵に吹き飛ばしたのだから…




☆☆☆




1941年12月24日、トナカイの引くソリに乗った赤服の聖人ではなく、T-34戦車に跨乗した赤軍兵士が国境線を越えてポーランドへとやってきた。


その手に握るは子供達に配るプレゼントを詰め込んだ袋ではなく、老若男女を問わずポーランド人に叩き込む為のトカレフ弾を詰め込んだ"PPSh"短機関銃だった…




後にそれは【クリスマスにやってきた赤色の悪魔達】…


【サタンクロース】


と呼ばれる事になるのだった…








次回へと続く





皆様、ご愛読ありがとうございましたm(__)m


実は今回も歴史が大半だったんですが、ただプロローグとちがい、その後のプロイセンの戦争にあまりに強い影響を与えた…


【冬戦争】


がメインテーマとなっています(^^;


史実では、ほぼ孤立してソ連と戦ったフィンランドですが、PPGの世界では【CETOが初めて機能した戦い】と位置付けられるようです。


そして、静かに国境線を侵蝕する赤軍…


仮初めの平和は終わりを告げ、ついに欧州でも戦いは始まります。


そして、クナイセンとレニは何処で何をしてるのか?(^^;


次回は多分、シリアス・ブレイカーなエピソードになるかもです。


具体的なアップ時期はわかりませんが、また読んで頂ける事を祈りつつ(__)





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