第8話:光濁(こうだく)
名前が意味を持つとき、それは世界の一部として定着する。
しかし意味が崩れたとき、名はただの「音」へと還元され、
やがて視覚の濁りと共に沈んでいく。
第8話「光濁」は、〈仄命子〉という名をかすかに残しながら、
その先に現れる「呼ばれそうで呼ばれなかった音」──
ノエルという言葉未満の断片に、視線と記憶がすべり込んでいく断章です。
そこに在るのは名でも祈りでもなく、
意味を失ったあとに残る、“音の感触”だけ。
言葉の原形質のような世界へ、読者もまた沈みこむことになるでしょう。
視界はまだあった。
けれど、それは「外を視るためのもの」ではなく、
ただ、視覚という器官が残した濁りの記憶が、
世界のうえに染みのように広がっているだけだった。
言葉はもう使えなかった。
それ以前に、言葉というものが存在したという感覚そのものが、
少しずつ薄れていた。
名は意味を持つ。
意味はかたちをつくる。
けれど、かたちが崩れはじめるとき、名はただの音に還元されていく。
その音が、濁っていた。
かつて仄命子と呼ばれたものは、
いまや仄命子であることさえ決定されていない。
誰がそれを視たのか。
誰が視ようとしたのか。
誰が名を呼んだのか。
すべてが混ざり合い、沈んでいく。
そして、視覚の奥から現れはじめる──
かつて“XXXX”と名指されたもの。
それは視界のゆがみに似ていた。
記憶の端を反射する光の、かたちになる直前の影。
音のようでもあった。
言葉になるには早すぎて、消えるには遅すぎる──
そんな滞留した音節。
……ノ……エ……
そこまでしか聴こえなかった。
けれどその断片だけで、
わたしの中に視てしまった記憶が蘇った。
「ノエル」
そう呼ぼうとして、呼べなかった音。
それは名ではなかった。
それは記憶でもなかった。
それは“呼ばれそうになった音”の感触だった。
仄命子を視たあと、
世界がその影に濡れていった。
ひとつひとつの存在の輪郭が、
ノエルという名のない波の中で滲んでいった。
意味が壊れはじめるとき、
人は祈りに似た発音だけを頼りに歩きはじめる。
ノエル──
それは祈りではなかった。
ただ、意味の残響だった。
呼ばれることもなく、
拒まれることもなく、
ただ“残されつづけた音”。
そしていまもなお、
光の底に沈みながら、
濁った視界の向こうで、その音だけが微かに浮かんでいる。
この章で描かれるのは、名づけと視覚の“終わりの風景”です。
視ることが意味を与え、名が存在を固定する。
けれどそれらが解体されたとき、残るのはただの音──
それも、完全な言葉ではなく「まだ発されきっていない響き」。
ノエルという断片は、「名づけたくても名づけきれなかった者たち」の感触でもあります。
意味の崩壊の果てに、残るものがあるとすれば、
それは語りえぬ記憶や、視線の残り火、
あるいは「名を呼ぼうとしたが呼べなかった」沈黙です。
光が濁るとき、視覚は失われるのではなく、
新たな感覚のかたちを模索しはじめるのかもしれません。