深謀遠慮
その日は長い一日になった。
白晋は最低限の責務を果たして勝手に天子の御前を退いてしまった。
本来ならば許されざる非行だ。その場で斬り捨てられてもおかしくはなかった。
道中、彼はずっと黙ったまま思考を巡らせているようだった。
欽天監へ戻ってきた頃にはすでに太陽も中天を過ぎていた。
「一体何がしたいというのだ!」
陳元龍は我慢できずに声を荒げた。
白晋のせいで宮中はきっと今ごろ大騒ぎだ。
ただでさえ、中秋の支度で忙しい時期だと言うのに。
あそこまで派手にする必要はなかったはずだ、という思いが脳裏に張りついて離れない。
そのせいで陳元龍まで厳しい視線を受ける羽目になった。
いつかはこの監獄のような場所を抜け出して、再び学士の位に返り咲くことを夢見ていたのに。
今日、儚くもその可能性が潰えてしまったことに彼は絶望していた。
「おい、何を考えている――」
正殿の前で、白晋はようやく口を開いた。
「元龍君、月食について知っていることはあるか?」
「馬鹿にするな。月が欠ける現象だろう」
「では、この国で伝えられている話は?」
「有名なものが一つ。不吉なことが起きるとき、天狗という狼が月を食らうのだと」
「それはよく知られた話かね?」
「ああ、皆一度は聞いて育つ話だ。それが何か?」
「そうか……やはりそうか!」
振り向いた彼は、怖気がする笑みを浮かべていた。
「太陽、地球、月。それらが一直線上に並んだときに起こるのが月食だ。完璧に理解するには天体の種類についての知識が必要だが、この際細かい仕組みはどうでもいい。
この世界は神の思し召すままに作られた。ゆえに、天地万物は一定の規則に従って動いているが、当然、月も例外ではない。満ち欠けも月食も周期的に起こっている。その周期さえ知っていれば、次にいつ起こるかなど容易に予測できる」
「つまり、お前は月食を星占いではなく数遊びで割り出したということか?」
「せめて計算と言ってくれたまえ! だが、本題はそれではない。
ところで、さっききみは災難の前兆として月食が起こると言ったが、結果論で言うと間違ってはいない」
実際はその逆なのだ。
「不吉なことが起きるから月食が起きるんじゃあない。月食が起きるから不吉なことが起きるんだ」
畢竟、月食にかこつけて不吉なことを起こす輩がいる。
伝承は作り話に過ぎないが、一方で人を理屈抜きで扇動するのにもってこいの道具なのだ。
「天変地異が起こると、人々は愚かになる。例え人が殺されても、不吉な日だったからという理由だけで平気で受け入れてしまうのだ。
そして、奴らはそれを十分に理解している」
白晋は声を潜めて告げた。
「予言しよう。此度の中秋の祭事中に、宮中で死人が出る。もし我にそれを防ぐ計画があると言ったら……君は手助けしてくれるかね?」
白晋のいつもにも似ない真剣な口調に、陳元龍は悄然としていたのも忘れて固唾を呑んだ。
ここで首肯したことを後悔するのは、他でもない中秋の宵のことである。