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格致狂言  作者: 白玖黎
3/6

御門听政


 白晋(はくしん)という青年は数年前、山のような巨船と共にやってきたという。

 まもなくこの国の天文を司っていた回民(ムスリム)の学者へ暦の技術比べを持ちかけ、奴らを一掃(いっそう)

 誰もいなくなった欽天監には、今や彼の眷属(けんぞく)である絡繰(からく)りが蔓延(はびこ)っている。

 雑用はすべてそれらがこなしているため、(ちん)元龍(げんりゅう)は本当に仕事がなかった。

 瞑想(めいそう)。読書。師のお(しゃべ)りにつき合わされること。

 それらを淡々と繰り返す日々は、まるで囲われた家畜(かちく)のようだ。

 それでもなんとか人性を保つために、毎夜白晋の発言を書物に書き記すことにした。


 彼は思いついたことをその場の気分で語り始める。


「我が国の王はヴェルサイユという宮殿におられる! 我も一度行ったことがあるが、見ものだぞ! 鏡張りの回廊(かいろう)があってだな……」

「来たまえ元龍君! この蝶を観察してみよう! ほら、目玉のような模様が実にかわいらし……ぎゃあああ蛇だあああ!」

「元龍君、チェスを教えてあげるから一緒に遊ぼう! (ひま)すぎてくたばりそうだ!」


 書き物に慣れているとはいえ、彼の無秩序(むちつじょ)な発言をまとめるのは至難(しなん)(わざ)だ。


 後から知ったことだが白晋は僵屍(キョンシー)でも仙人でもなかったし、ちゃんと狂人だった。

 欽天監では爆発音は日常茶飯事。ときおり噴煙(ふんえん)が上がっているのを城内から確認できる日もある。

 彼本人に関しては、最近は擬死と毒の研究に没頭してよく敷地(しきち)内で倒れているのを見かける。

 幸か不幸か、初日から手厚い歓待(かんたい)を受けた陳元龍はもう何があっても動じなくなった。


 そんなある秋分のことだった。

 今まさに(のぼ)り始めた日輪(にちりん)の光を横目に欽天監へ向かうと、門の前で腕を組んで仁王(におう)立ちをする影があった。


「遅いじゃないか元龍君! 待ちくたびれたぞ!」

「お前は随分(ずいぶん)と早いんだな。いつもは叩き起こしてもびくともしないのに」

「ふん、我だって早起きするときはするのだ! 今日は出張だから忙しくなるぞ! 来てくれたばかりですまないが、時間が押しているのだ! 早速出立(しゅったつ)する!」


 言い終わらないうちに白晋は彼の腕を引っぱり、大股(おおまた)でずんずんと歩を進めていく。


「おい、待て。どういうつもりだ」


 陳元龍は通ったばかりの道を半ば引きずられるようにして引き返す。

 何かあったのだと察せられたが、白晋は口を(つぐ)んだままだ。

 一人で歩ける、と邪険(じゃけん)に手を振りほどくと、ひどく静かな背中を(にら)みつけた。


「どこへ行くというのだ!」

「天子のおひざもとだ! いいからついてきたまえ!」


 方角から、彼は宮廷(きゅうてい)へ向かっているのだとわかった。

 しかし、彼が自分から宮中へ足を運ぶことなど陳元龍の知る限り一度もない。


 この時分の宮中は(きり)(とばり)厳粛(げんしゅく)さが溶けこんだ異様な空気に包まれていた。

 人影は(まば)らで、時折宦官(かんがん)らしき者を見かけても大急ぎで去ってしまう。

 一陣(いちじん)の風が横を吹き抜けると、芳醇(ほうじゅん)桂花(けいか)の香りが鼻腔(びこう)をくすぐった。


 外廷を迷うことなく突っ切る白晋は、ある宮門の前でぴたりと足をとめた。

 朱柱に瑠璃(るり)(がわら)燦然(さんぜん)と輝き、見るからに荘厳(そうごん)な扉は固く閉ざされていた。


 白晋は門番との交渉に成功した末に、金具に手をかける。


「さあ、こっちだ元龍君! 死にたくなければ我から離れるなよ!」


 重々しい音を立てて扉が開くと同時に、彼は大声で名乗り上げた。


「遠からんものは音に聞け! 欽天監監正(かんせい)たる白晋がやってきたぞ!」


 朝礼を中断させた狼藉者(ろうぜきもの)へ、百官の視線がいっせいに集まる。


「昨夜の星占いで興味深い(きざ)しがあったゆえ、報告に参上した!」


 朝礼は露天(ろてん)で行われる。

 今まさに昇り始めた太陽の下で、見渡す限り人が碁石(ごいし)のように整然と並んでいた。

 東に文官、西に武官。白晋は一堂に会した大物の顔を値踏みするように見渡す。


「来たる望月(もちづき)の日、月食が発生するだろう! 月が赤く染まり、民心も天も乱れる!」


 彼の言葉は波紋(はもん)のように広がり、どよめきを呼ぶ。


(まこと)か!」

「次の望月の日は確か」

「中秋だ」

「ああ、なんと不吉な」


 そのとき、よく響く低い声が蒼穹(そうきゅう)を震わせた。

 後方から白晋を笑い飛ばしたのは、頭に厚い布を巻いた回民(ムスリム)の学者だった。


「はっ、戯言(ざれごと)を! 礼儀も(わきま)えぬ蛮族(ばんぞく)が勝手なことを言いおって!」

「おまえも蛮族だろうが!」

「黙れ!」


 白晋が言い返すと、男は(わし)のような双眸(そうぼう)で鋭く彼を射抜(いぬ)く。


「我らはぽっと出のお前らとは違う! 数百年来、皇帝陛下より(おお)せつかった由緒(ゆいしょ)ある天文官なのだぞ!」

「ふん、よく言う! ついこの間、我と暦の勝負で敗れたくせに!」


 敵方の冷笑に、男は歯ぎしりせざるを得なかった。

 白晋はさらに挑発(ちょうはつ)するように、にっと口角をつり上げる。


「我は結果を伝えるだけだ、信じるのも信じないのもさしずめ自由!

 さて、用はこれで終わりだ! 帰ろうじゃないか元龍君! 宮中へやってきたついでに寄りたいところがあるから、ついてきてくれるかね?」


 それは提案というよりも確認に近かった。

 白晋は放心する陳元龍の首根っこをつかむと、そのまま何事もなかったかのように出口へと歩き出した。


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