主役が遅れてやって来るお話
日下部 咲希は、サウナに入ったことがない。いつも入り口から漂う熱気だけでリタイアし、ぬるま湯に戻る。だからこそ、普段からサウナに入って熱さに耐性をつけておけばよかったと、今後悔している。
「あっづ……」
機械的な見た目の剣に氷を纏わせ、赤いトカゲを斬り倒しては木に隠れるヒットアンドアウェイ戦法を、咲希はかれこれ三十分近く続けていた。木に隠れても、じっとしていたら熱いしそもそも木がすぐに燃え倒れる。よって休憩する暇はほとんど無く、体力も減り続ける一方だった。
(まだ限界って程じゃないけど、暑くてシンプルにキツい。時間がなくて制服のまま来ちゃったし……)
辺り一帯が燃えているこの猛暑の中で動き続けているのだ。カーディガンは脱いで武志に預け、シャツも二の腕まで捲っているが、それでも汗は止まらない。
自分に気づいたトカゲが襲ってきたことに即座に気付いた咲希が、仲間に知らされる前にトカゲを斬り殺す。トカゲの死骸は、剣から放出する冷気で凍らせる。
「も〜、こいつらどんだけいるのよ……」
『日下部、大丈夫か〜?』
耳につけていた無線通信機から、武志の声が聞こえてくる。
「あ隊長。穂士くんは結局どうなりました?」
『春巻5号と無事リンクできたから、今向かわせてる。あと2分持ち堪えてくれ』
「2分?春巻5号ならこんぐらいの距離、地下道使えば秒でしょ?」
『そりゃPCでゲームみたいに遠隔操作したらの話だ。実際に体を動かすのとでは難易度が違う、移動が朝日奈のチュートリアルってことだな』
「なんでもいいんで、他の人も呼んでくれませんか?やっぱ私1人じゃ無理ですコレ」
『残念、うちの隊は俺とお前以外みんな別件だ』
「そりゃ猫の手も借りたくなりますね…… うわっ、危な!」
会話に気を取られ、トカゲの気配を感じ取るのが一瞬遅れる。見るからに高熱の赤い牙を剥き出しに噛みついてこようとするが、ギリギリで回避する。トカゲの口は木を喰らい、一瞬にしてその木を燃やし尽くしてしまう。
「っ!」
トカゲが木から口を離す前に剣を突き刺して地面に押し付け、氷でトカゲの体を覆い込む。
『さっきから気になっていたが、なぜ死骸を凍らせてるんだ?無駄に魔力を使うのは消耗になるだろ』
「この赤トカゲの死骸、放置してるとめっちゃ燃えるんスよ。だから凍らせといたら、いい感じに中和してくれる的な」
『はー、見事にほのおタイプなトカゲだな。よし、名称はレッドリザードとしよう』
「相変わらず安直なネーミングセンス……」
武志によって命名されたレッドリザードは、その勢いを止める気配が無い。咲希が処理した数は既に50近くを超えているが、辺りの風景は燃えつづける地獄絵図のままだ。
崖のような地形になっている場所を見つけて、休憩と作戦を立てるために一度隠れて座る。もちろん、臨戦体制は解かずに。
「……あと20分以内に片付けられると思います?」
『無理だろうな、ゲートの位置が分かってない。暑すぎてレーダーも上手く反応できてないし』
「ですよね〜、コレ私そろそろ限界ですよ。いざって時に穂士くんか隊長が止めてくれるんなら続行しますけど」
『朝日奈はお前の事情を知らんだろ、せめて正式加入してからちゃんと話してやれ』
「……ですね」
少しトーンの低い声で返すと、咲希は再び立ち上がる。腕をまくり直して、剣を構える。
「さて、もう一仕事頑張りますか……」
『おい日下部っ、上だ!!』
いきなり通信機越しに大声が聞こえて驚くが、言われるがままに後ろを振り返る。すると、今までより遥かに大きいレッドリザードがよだれを垂らして口を開いていた。よだれは油のような成分らしく、地面に垂れると辺りの炎に引火し火事をより一層酷いものにしていく。
「やっば……!」
慌てて剣を地面に突き刺すと、辺り一帯を剣先から広がる冷気が一瞬で凍らせる。氷はレッドリザードの足元まで広がっていたが、口は塞げていなかった。今までとは比べ物にならない熱気を発しながら、口から放たれる火炎放射が氷結より早い速度で氷を溶かした。
熱気だけでなく、レッドリザードの威圧感が凄まじいせいで、冷や汗が咲希の頬に浮かぶ。剣を構える手すら、手汗で上手く握れていないような気がした。
その瞬間、咲希の心臓がドクンと跳ねた。切り裂かれるような痛みが胸に走り、戦闘体勢などとる余裕もなくなり、剣を持たない手で胸を抑えた。
「っ〜!!」
つい数秒前は、レッドリザードが咲希に敵意を向けていたはずだった。しかし、今の咲希の瞳にはそれ以上の殺意が宿っている。レッドリザードの大きな身体もそれを感じ取ったのか、一歩後ずさって咲希から目を離さない。否、背中を向けた瞬間に殺されると予期したのだろう。しかし、殺意に溢れ瞬きすらしない咲希と目を合わせる時間すら耐えられなかったのか、レッドリザードは勢いよく振り返って逃げ出そうとする。
それを咲希が追いかけようとした刹那の瞬間、人に近い形をした巨大な金属物体が上から降り注ぎ、見るからに固い足をレッドリザードに突き刺した。
「あ……」
金属物体を見た瞬間、咲希の殺意が一瞬薄れた。そのまま我に帰るように、普段の表情に戻る。
レッドリザードは勢いよく蹴りを入れられると、木々を吹き飛ばしながら自身も鮮血を散らしながら吹き飛んでいった。土煙が辺りに舞い、金属物体の姿はよく見えない。しかし、レッドリザードを蹴り飛ばしたその一瞬の姿だけで、咲希にはそれが何かはっきりと分かった。バレットの戦闘兵器、春巻5号だ。
春巻5号は無人の遠隔操作を想定されらロボットで、搭乗者はいない。しかし、今この瞬間は『中身』が存在する。もっと詳しく言えば、魂の宿った機械とも言える。
「穂士……くん?」
『主役は遅れてやって来る、ってな』
春巻5号を通じて聞こえた友人の声に、咲希は気の抜けた苦笑を浮かべた。