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#08 そういえばそんな問題がありました

 ノルバート様と二つ屋根の下で暮らすようになり、二週間が過ぎた。


 もとから懸念はなかったが、それでもその生活はおもいのほか順調だった。ノルバート様は使用人屋敷に住んでいて、しかし夕食前まではほとんど不在にしているお陰で、私は日中は気遣うことなく過ごせる。夜になれば共に食事をとり、互いに話し相手になってもらう。そして敷地内には辺境伯直属の騎士がいるという安心感までいただく、と。

 何も考えずに出てきたが、もし一人きりだったらいくら私でも心細かっただろうし、棚から牡丹餅とはこのことだ。

 そんなノルバート様は、夕方、その薄い表情に疲弊を浮かべて帰ってきた。


「どうされたんですか?」

「昨晩の大雪で雪崩が起きたらしい。ふもとの村がまるごと巻き込まれる勢いだったらしく、大騒ぎになっていた」

「え! 村の方々は大丈夫なんですか!?」


 狼狽する私を、ノルバート様は「幸いにも死者も行方不明者もいなかったそうだ」と制する。


「それならよかった……ですけれど、ノルバート様も救出のお手伝いをされたということですね。それはお疲れでしょう、食事をとってゆっくりお休みになってください。今日はパスタにしてみたのです」


 ノルバート様の半開きの口が一瞬固まって「……パスタ?」どこか間抜けな声が漏れた。


「はい。小麦を水とともにこねて伸ばして切って茹でたものです」

「いやパスタは知っている。それを……料理人でもないのに作ることができるのか?」


 料理人を魔女かなにかだと思っているのだろうか?

「力は必要ですが、そんなに難しいものではないですよ。今日は町に出てみたのですが、小さなキャベツがありましたので、パスタにしようと思い立ちまして」


 キッチンに置いておいた棒を見せると、ノルバート様はクッと笑いをかみ殺した。最初のころは無表情だったノルバート様は、最近はよく笑ってくれるようになった。


「はは、小さなキャベツか」

「え、違うんですか?」

「それはキャベツではない。ブルーセルスプラウトという」

「なんですかそれは」

「それだ。キャベツを品種改良して作られたもので、カッツェ地方の南西部にあるブルーセル地域の名産品だ」


 改めて、ブルーセルスプラウトをしげしげと眺めた。こん棒のように太い枝にいくつもくっついているので奇妙といえば奇妙なのだが、やはり見た目は小さなキャベツそのものだ。


「それと……それはなんだ?」

「食べてからのお楽しみです。パスタは今から茹でますから、少し待っててください」


 困惑しているノルバート様をソファに座らせ、十数分後にパスタを出すと、まるでぐうの音も出ぬような顔つきで「……うまい」とまた呟いた。


「レモンの味もする」

「大正解です。レモンも少ししぼりました」

「しかし……この旨味のようなものは……魚介類のような……」

「これまた大正解です、カタクチイワシの塩漬けです」


 おそらく、カッツェ地方は寒い地域であるがゆえに塩漬けでの保存方法が一般的なのだろう。市場で見つけたものは帝都にないものばかりで、そのときの興奮を思い出しながら得意になってしまった。


「これと塩漬けの豚肉を薄くスライスして一緒に炒め、蒸しておいたブルーセルスプラウトと混ぜるのです。これだけであぶらとうまみと塩味がありますかね、調味料なんてなくてもパスタの具としては充分なのです。レモンはなくてもいいかと思ったのですが、ちょっとさっぱりしたほうが食べやすいかと思いまして」

「……相変わらずすごいな。実は君が魔法使いであったと言われても驚かない」


 呑みこんでいるのではないかと思うほど次々口に運んでもらえるのを見ると、こちらも作った甲斐があるというものだ。

 ぺろっと平らげてしまった後、ノルバート様は「おいしかった」とまたしみじみと漏らして――ハッと目を見開いた。


「そうではない」

「え、おいしくなかったですか?」

「そうではない。雪崩の話だ。死者はいなかったが、怪我人が多く、領内の空き家を臨時診療所として開放することになった」

「そうなんですね」


 いい話だ、ホルガーお兄様は“あんな”だが仕事はできるんだものな、と頷いたのだが、ノルバート様は微妙な顔をした。


「つまり、転居先候補が潰れたという話だ」

「すみません、そういえばそんな問題がありました」


 あまりにも一緒にいて違和感がなく、かれこれ二週間が過ぎようとしているせいで忘れてしまっていたが、そういう話だったのだ。両手を膝の上にきちんと揃えて座り直す。


「申し訳ないです、我が物顔で居座る挙句、身の安全も確保していだいておりまして」

「大したことはしていないし、こう言ってはなんだが、私としては同じ敷地内に住み続けられるのはありがたい。一応、住み慣れた場所ではあるし」


 それに、とノルバート様は明るいような暗いようななんともいえない表情でつけ加えた。


「誰かと食事をとるのがこんなにいいものだと、思い出してしまった」


 ノルバート様は祖母に拾われたものの、共に過ごしたのは当時の一、二年だけ。

 ぶっきらぼうで無表情で分かりにくいけれど、実は寂しい人なのだろうか。


「……あの、無理に転居先を探さなくてもいいのではないでしょうか。今のところ、ホルガーお兄様は共に屋敷にいるようにと言っているわけですし、もとはといえば私が転がり込んだ側ですから、ノルバート様が出て行く理由はありませんし」

「……辺境伯は合理を優先しすぎるきらいがある。それに私がいうのもなんだが、男女が一つ屋根の下にいればあらぬ噂も立つ」

「大丈夫です、あらぬ噂は立った後ですから!」


 私の二つ名は、いまや「婚約者を殺しかけた女」。それが「北国で見知らぬ騎士と同居(?)している不埒な女」に変わったところで困ることなどない。

 が、ノルバート様はそうはいかない。強く拳を掲げた後で、とんでもない風評被害に巻き込んでしまっていたことに気がついた。


「……あの、ノルバート様にもし意中のお相手とかいらっしゃれば……早急に策を講じますが……」

「私の心配は無用だ。しいて言うなら、最近辺境伯が私の肌艶を羨ましがって鬱陶しい」


 大真面目に顎を撫でる仕草に吹き出してしまいそうになった。確かに食生活が整って体調その他もろもろが良くなるのは分かるが、心配するのがそこなのか。なお、ホルガーお兄様に食事の件は話していない。知るとうるさそうだからだ。


「それなら私も一向に構うことはないのですが。男女とはいわずとも……その、ホルガーお兄様は、今回の件を対外的にきちんと処理していらっしゃいますか? 得体のしれぬ女を匿っていると誤解されると出世に影響も……」

「一応、辺境伯の親戚ということにはなっているそうだ。さきほども言ったが、あらゆる観点から私の心配は無用であるから……君側に問題がないかだけ考えてくれればそれでいい」


 本当に、この人は損得勘定の下手な人だ。せっかく、前途有望そうな立場にいるというのに。

 しかし、いまの私はノルバート様の厚意に甘えるしかないのも事実。


「それでしたら、引き続きお言葉に甘えさせていただきます」


 その数日後、とんでもない珍客がやってくるとは、このときの私は想像もしていなかった。

ブルーセルスプラウトはブリュッセルスプラウト(芽キャベツ)、カタクチイワシはアンチョビです。

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