#06 婦女子を襲うような人だとは思っていません
十数分後、テーブルに載せたお皿を見て、ノルバート様はしばらく固まった。
「……これは新しく作ったのか?」
「まさか、ノルバート様の丸ごと煮込みに多少手を加えさせていただいただけです」
ひとつが柔らかくなる前にひとつが原型を失うし、味は素材頼り過ぎるし、というかひたすら煮込まれて硬くなっているだけの鶏むね肉はどうしたものかだしで、とりあえず塩胡椒を振り、鍋の中身を適宜切り分けてスープ皿に盛った。
「……一食一品って味気なくありませんでした?」
「栄養を摂ることができれば構わなかった」
「まさしく一品では栄養を摂れないでしょう」
「毎日分けて食べずとも、一週間かけて鍋を空にすれば同じことだろう」
怪訝そうな顔を向けられて、一瞬納得しかけた。しかしそうではない、一週間で帳尻が合えばいいなんて話はしていないのだ。
「食事は楽しんでなんぼですよ! さあさあ、たまには塩胡椒だけでなく少しオリーブの香りもいかがですか。それからパン、炭水化物はエネルギー補給に大事です。鶏肉だけじゃタンパク質も足りませんのでチーズをいただきました。匂いは確認しましたけれど、新しいですよね? カマンベールチーズですから、お嫌いでなければはちみつと共に……」
順次並べながら説明すると、ノルバート様はすべて聞き終えた後で「……すごいな」と感心したように漏らした。
「まるで食卓のようだな」
「食卓ですよ」
「いや失礼、長年栄養補給を主として食事を摂っていたため新鮮で……こんな食器もあったのだな」
「化石となっておりましたので発掘いたしました」
おそらく祖母亡き後は手付かずだったのだろう。そうとしか思えなかった。
てんでばらばらの器に盛られた食事を前に向かい合って座り、ノルバート様はスープを口に運んで「……おいしいな」と呟いた。
「よかったです。といっても、もとはノルバート様の作ったものですが」
「原型をとどめないとはこのことだな」
それは多分悪い意味でつかう言葉だ。
「……しかし、貴女は……」
なぜ料理ができるのか、と疑問を口にしようとしたのかもしれない。ノルバート様は私の素性など知らないが、祖母の家柄を考えればそれなりの貴族の令嬢だと予想はついているだろう。
「私の母が料理好きなのです、祖母の影響だと思いますが。私もおいしいものを食べるのは好きですし、なにかを食べたいときには自分で作るのが早いですから」
町で買ったあれがおいしかった、宮殿で出た食事のこれをもう一度食べたい――そう考えたときに、いちいち料理人に説明するほうが手間だった。
ノルバート様はまだ釈然としない様子だったが、ややあって「そうか」と頷く。
「私としては十数年ぶりに食卓につけてありがたいかぎりだ。久しぶりに、なにかをおいしいと感じた気がする」
十数年ぶり――つまり祖母が亡くなって以来だ。
あまりにも味わい深い表情でスプーンを運ぶ姿を見ていると、胸のうちでむくむくと湧き上がるものがあった。
「……よろしければ、明日も私が作りましょうか?」
「そこまでしてくれるのか」
弾けるように顔を上げられ「もちろん」と食い気味に返事をしてしまった。
「あ、そうだ、ちょうどいいです! もしノルバート様が使用人屋敷に移ると譲らないのであれば、この家の決着がつくまでは私には食事を作らせてください! さすがに向こう側でキッチンの手入れはしていないでしょうし……というか、この様子ですとあまり使われないようですし……?」
「……そうだな。それは確かに非常に助かる」
あ、まただ。ノルバート様の口の端が少し上がり、笑っている。美しい笑みを見せられ、思わずじっと見つめてしまった。
しかし……、ノルバート様は、オトマールとは雲泥の差だ。オトマールとの婚約期間は十年近く、もちろん私が手料理を振る舞うこともあった。しかしオトマールはいつも「またいろいろ作ったんだね」と口にするだけで、おいしいの一言も言わなかった。良家の子女が料理を作るなんてはしたないとでも考えていたのだろうか。
食事を終えた後、ノルバート様は「とてもおいしかった」と軽く目を伏せて頭を下げた。そこまでしてくれなくてもいいのに、本当に、オトマールとは全然違う。
「それより……今更だが、君は一人か? 使用人や従者は?」
「ええ、まあ……そういった者はなく……」
さすがに、いきなり辺境の北国に使用人らを連れて行くのは申し訳なく、こちらで新たに手配することにしたのだ。ただ、正直身の回りのことはできてしまう貧乏性なので、必要ともしていない。
口籠ったのをワケアリと察したのだろう、ノルバート様は「そういうことなら」と席を立ち、錠前を持って戻ってきた。
「今夜は私が下階に留まっておく、屋内とはいえ、夜半に女性が一人でいるのは危険であるし、使用人の屋敷からでは有事に間に合わない。寝室扉にはこれを使ってくれ、もちろん決して不埒な真似はしないと誓うが、安心材料だ」
「そこまでしなくてもいいですよ、婦女子を襲うような人だとは思っていません」
むしろ、本当に興味ある? と聞きたくなるくらいカタブツに見える。しかし、ノルバート様は薄い表情にほんのりと困惑を浮かべた。
「……君から見れば、私は見知らぬ男だろう。私が注意するのもおかしな話だが、見知らぬ男と一つ屋根の下にいるのにもう少し警戒したほうがいい」
「考えてみればそうかもしれませんけれど、ノルバート様はそんな雰囲気の方ではありませんし……」
「初対面で雰囲気もなにもないだろう。町を出歩く際は気を付けてくれ」
「そうですね……」
いや、雰囲気でいえばオトマールもそうだった。脳裏には柔和な笑みを浮かべるオトマールが浮かぶ。
顔はいいので、昔から令嬢には人気があった。しかし、オトマールはいつもそれに応えず「僕にはエレーナがいるから」と私に話していて、よそ見をしないいい男だと思っていた。それが数年ぶりに再会した相手を妊娠させたというのだ、八年近く婚約者をしていても知らない一面はある。
しかし、考えてみると、あの「僕にはエレーナがいるから」発言はオトマールが奥手だっただけなのでは? 有り得る。確かに、ヒルデが肉食獣もびっくりな速さでオトマールを捕食したのかもしれないとはいえ、オトマールもこれ幸いとそれに乗っかったのかも……。
「レディ・エレーナ?」
呼びかけられて我に返った。いかんいかん、オトマールのことなど思い返しても余生の無駄だ。
「失礼しました、ノルバート様。つい……、つい帝都での暮らしのことを」
「ああ、カッツェ地方は昔よりは栄えているとはいえ、帝都に比べれば酷い田舎だからな。慣れるのには時間もかかるだろう」
「ああいえ、そんなことはまったく。もちろん帝都とは暮らし方に違いもあるでしょうが、もともと身一つで来る予定でしたし、特にカッツェ地方は幼い頃から訪ねてみたい場所だったのです、念願叶ったりですよ」
「元婚約者が友人を妊娠させたので紅茶のカップを投げつけた挙句に婚約を解消し、しかし殺人未遂の噂が流れたので家の立場も危うくなり、追い出されたことにしてやってきました」とは言えないが、本心ではあった。
多少口籠ってしまったが、ノルバート様は気にした素振りなく立ち上がった。
「それならいいのだが、なにか不便があればいつでも言ってくれ。とりあえず、部屋のほうを案内しよう」
蟠らないのは、私に興味がないからか、それとも生来の性質か? どちらにしても、私にしてはありがたい限りだった。
次回より、短編版にない話を追加予定です。