#05 見かけによらずうさぎさん
セリフと共に頭を下げたノルバート様は、私が呆気に取られているうちに「道中は寒かっただろう、暖炉の前に座るといい」と、私を部屋の奥に追いやった。見れば、暖炉の前で向かい合っているのは真紅のソファ、部屋の隅にある棚や本棚はアンティーク調……と、ノルバート様のぶっきらぼうな雰囲気に合わない洒落た調度品が置いてある。確かに祖母の家で間違いないのだろう。
向かい合って座り、ノルバート様は「改めて」と書簡を広げる。カッツェ地方を統べるゲヘンクテ辺境伯のサインが入っている身分証だ。
「ゲヘンクテ辺境伯の騎士……ですか」
「もちろん、疑うなら確認してもらっても構わないが」
「いえそういうわけではなく。……納得だなと」
黒い外套を脱いだノルバート様は、肩幅が広く、体も分厚く、いかにも騎士だった。それだけではない、鋭い目つきといい、出会いがしらに見せつけられた剣の腕といい、これで騎士でなければなんなのだとさえ思う。
ただ、騎士になるには実力だけでなくもとの家柄も重要だ。祖母のことを恩人だと言ったけれど、もとが平民だというわけでもないのだろうか。はて、といささか首をひねった。
「それより、私の身分ですが……」
それはさておき、ただの貴族令嬢は身分を証明するものがない。ゲヘンクテ辺境伯に確認をとってもらえば済む話だが、既に夕暮れ、いまから訪ねるのは非常識だ。
なにかあるかと荷物を探そうとする私に、ノルバート様は「いや、構わない」と軽く手を挙げた。
「カタリーナ様の孫とのこと、言われてみればそのとおりだ」
「もしかしてこの髪ですか?」
返事をしながら、赤い髪を摘まんでみせると「ああ」と頷かれる。
「そこに肖像画があるだろう。若かりし頃のカタリーナ様だそうだが」
暖炉の上に飾られた肖像画に改めて目をやる。祖父の髪は黒に近いブラウンだったが、祖母の髪は真っ赤に塗られていた。
「ゲヘンクテ辺境伯しかり、カッツェ地方ではたまに見かけるが、それでも珍しいことには変わりはないからな」
「……そうかもしれませんね。威圧的で目立ちますし」
こう口にすると、オトマールは決まって「見つけやすくていいよ」と答えていた。まず否定しろという話である。
すると、ノルバート様は不思議そうに首を傾げた。
「確かに目にはつくかもしれないが、それは暖かさを感じる色だからだろう? 美しい炎の色だ」
……何。何を言われたのか分からないくらい、私の髪に不釣り合いな形容が聞こえた気がする。
「……すみません、いまなんと……」
「赤は炎の色、北国では暖かい恵みの色だ。特に赤い髪といえばゲヘンクテ辺境伯であるが、彼を嫌う領民はいないしな」
私はカッツェ地方に来るべきだったのだ……! 今までいるべき場所を間違えていたような気がして、切ない拳を握りしめた。威圧的で目立つ色改め、美しい炎の色……!
「それより、この家の件だが、どうやら辺境伯との間で行き違いがあったようで、申し訳ない」
「ああいえ、それはこちらこそ失礼いたしました」
我に返って居住まいを正した。髪の色など何の問題でもなかったのだ、毛だけに。
ノルバート様は、幼い頃に祖母に拾われ、一、二年ほど育てられたらしい。亡くなる際に、他に使う者もいないからと祖母がノルバート様に敷地まるごと譲ったらしいが、それを我が家もゲヘンクテ辺境伯も把握していなかったそうだ。とはいえ、その関係上、ゲヘンクテ辺境伯は把握していてもよさそうだが、さすがに正確な家の位置までは把握していなかったということなのだろう。そして、私が離れだと思ったのは使用人用の屋敷で、一応、この屋敷と廊下で繋がっているそうだ。
そう説明したうえで、ノルバート様は少し居住まいを正した。
「レディ・エレーナ、貴女はこの屋敷に住むつもりでやってきたとのことだが、見ての通り、私が既に住んでしまっている。隣にあるのは、もとは使用人用の屋敷だった。そこで申し訳ないながらに提案だが……」
「はい、それはもちろんです」
もともと、住めるような家ではないだろうと考えていた。なんなら、この話の流れなら使用人用の屋敷は譲ってくれるのだろう、それだけでもありがたい。
頷くと、ノルバート様は少し驚いたようにアイスブルーの目を瞬かせた。
「……そうか。重ね重ね申し訳ないが」
「いえ、祖母が譲っていたとのことですし、事情を知らずに押しかけたのはこちらですから。私は一向に構いません」
「そう言っていただけると助かるが、もちろん、できる限り速やかに手配はする。早速だが――」
まだ暖炉の前にいたいのだが……。と言いたかったが、ノルバート様は立ち上がってしまった。
「一応、こちらの屋敷は一部の部屋を除きすべて掃除はしてある。長旅で疲れただろう、レディ・エレーナさえ構わなければ私の寝室を代わりに使ってもらって構わない」
「……え?」
何の話?
「新たな寝具は早急に手配するが、なにせこの雪だ。整うには少しばかり日数を要する、その間に残りの部屋の掃除を済ませておく」
「……すみません、何のお話ですか?」
眉を顰めると、逆に眉を顰めて返された。
「さきほどから話しているとおりだが。私もこの雪の中で放り出されたくはないため、申し訳ないが一時的に使用人用の屋敷を使うことは許されたいと」
「いや逆! そのお願いするの私!」
トンチンカン通り越して卑屈な発想に、思わず素が出てしまった。しかし、ノルバート様は目を丸くしているので、本気でそう考えていたらしい。
「この家は祖母の、カタリーナ・ゲヘンクテのものだったのですよ? それを祖母本人がノルバート様に譲ると申したのですから、もうノルバート様のものです! 祖母の孫がしゃしゃりでてきたところでそれは揺るぎません、私がここで平身低頭してどうぞ使用人屋敷だけでもいいので間借りせてくださいと申し上げるのが筋でしょう!」
自分で言っていておかしかった。なぜ私は自分が損する話を「筋だ」などと言い張っているのか。
どうやらノルバート様にもおかしかったらしく、ふ、とその表情の薄い顔が笑みを零した。少しドキッとしてしまうような美しい笑みだった。
「そう言っていただけると、私としてはありがたいが……」
「私のセリフです。とても住めるような状態ではないだろうと思っておりましたので、来たばかりの雪国で家に入れてもらえるだけで棚から牡丹餅といいますか……」
改めてソファに座り直し、コホンと咳払いした。
「もちろん、私は居候という形になりますので、できる限り早く新たな住まいを見つけ移り住みます。でも正直使用人屋敷が空いているならそちらに居座らせていただきたいです」
「いや、本来的には私のほうが居候だ。使用人屋敷に移る許可を得るのは私のほうだろう、多少手入れはしてあるからしばらく居座るのに困ることもない」
「だからさっき申し上げたじゃありませんか、祖母が家を譲ったのはノルバート様です。住みよいようにこちら側の屋敷を整えていたのはノルバート様なのですから」
「カタリーナ様が私に譲ってくださったのはゲヘンクテ家の方々が皆別に移り住んでいるという前提があった。実の孫が移り住むのであれば話が違う」
「しかし祖母も自らの亡き後すぐに家に住んでくれる人を探していたのでしょうし――」
この家はもうノルバート様のものです、いやこの家はあくまで君が受け継ぐべきものだ――そんな押し問答をしばらく繰り広げた後、ノルバート様が「待て、やめよう」と参ったような顔で手を挙げた。ほんの僅かな変化とはいえ、意外と表情豊かな方だ。
「私の意見を押してすまないが、恩人の孫を追い出し自分が我が物顔でこの屋敷に住むなど耐えられない。どうか私のためにこの屋敷に住んでくれ」
「……そう言われると……反論できないのですが」
まさか相手がとことん有利になる話ばかりするとは。婚約解消に際して子を盾に筋がどうのこうのなどと並べ立てたあの口に、ノルバート様の爪の垢を煎じて飲ませて靴を舐めさせたい。
そんな中、ぐう……と不意に鳴いた私のお腹がノルバート様のセリフを遮った。ノルバート様が目を丸くするより先にお腹をぶん殴ったけれどもう遅い。
「……しつ、れい、しました……すみません朝から何も食べずに来たもので……」
「それならそうと言ってもらえれば。しかしなにか手配するにも、そうだな……」
赤面する私に構わず、ノルバート様は困ったように顎に手を当てる。ずっと料理の音と匂いはしているけれど、まあ私のぶんがあるわけじゃないもんな。
そう考えているのが分かったのか、ノルバート様は一瞬だけキッチンのほうへ視線を動かした。
「……夕食は準備中だったのだが」
「いえあの、お構いなく。少し町のほうへ出てきますから……」
が、窓の外に視線を遣った瞬間、ビュオオオと吹き荒れる雪が見えた。私達の間には沈黙が落ちる。
「……客人に出せるものではないが」
おそるおそる、ノルバート様がキッチンへ案内してくれる。もともと祖母が使っていた家だけあって、キッチンの設備はかなり整っている。しかし、妙に整頓されたそこには手入れされているのではなくただ使ってなさそうな雰囲気があった。実際、オーブン兼コンロの上に載っている巨大なお鍋の蓋を開けると……。
「……これは」
「私の日頃の食事だ」
「……いつもこれを?」
「かれこれ十年以上毎日。一度作ればこの季節なら四日は食べることができる」
「十年間毎日って3650日、しかも三食……?」
「朝はパンで済ませるし、昼食は摂らない」
「だとして軽く一万回を超える食事を……」
玉ねぎ、にんじん、じゃがいも、キャベツ、鶏肉が丸ごと突っ込まれて煮込まれていた。丸ごとだ。玉ねぎもにんじんもじゃがいもも、皮を剥くだけ剥いて一ミリもナイフが入らないまま突っ込まれ、せいぜいキャベツだけ「入らないので仕方なく」といった顔で半玉で入っている。そこまではいいいいとしても、問題は鶏肉だ。おそらく胸肉、しかも引っ張り出してみると私の顔くらいの大きさがある。おそらく、1LBごとに売られている2枚の鶏肉をそのまま突っ込んでいる。
「……確かに野菜の丸ごと煮込みは体にも良さそうです。一度にいろんな野菜を食べることができますし……」
「いや、一食ごとに一品食しているので一度には食べない」
「……どういう意味ですか?」
「逐次切り分けるのが煩雑なので一つずつ取り出している。今日は玉ねぎの予定だった」
つまり明日の夕飯がにんじん、明後日の夕飯がキャベツ、と。見かけによらずうさぎさんなのだろうか。
「……ちなみに味付けは」
「特には」
一万食にのぼる夕食を、常に「丸ごと野菜と鶏のごった煮込み・ただし食べるのは一品ずつ・素材の味を楽しんで」で済ませてきただと……。ノルバート様は、どうやらまったく食事に興味のない方らしかった。
「……調味料ってございます?」
「支給品以外であれば、カタリーナ様が使っていたものが多少」
調味料に熟成は不要だ。辛うじて生き残っているものを見つけ出す。
「……このままキッチンをお借りしてもよろしいですか?」
ノルバート様は目を丸くしたが、すぐに頷いた。
「もちろん、もう君の屋敷なのだし、借りるといわず好きにしてくれ。毒でも虫でもなんでも使ってもらって構わない」
「いや百歩譲って虫はいいとして毒は構いましょうよ」
「確かにこの家に毒はない」
「そういうことじゃないんです」
この人、もしかしなくてもちょっと変わった人だな。確信しながら、私はまずオリーブオイルの瓶を掴んだ。