#28 衝撃の展開があるのか
帝都でベルントの宮廷裁判が開かれてしばらく、裁判のために帝都へ出かけていたホルガーお兄様が戻ってきた。
帝都はもうすっかり暖かかったのだろう。しばらく留守にしていたにしては荷物は少なく、馬車から降りてきたお兄様は軽装だった。紅茶を用意する間「どうでした、帝都は」「春の陽気だな。もっといい用事で行きたかったものだ」と世間話をしていると、ノルバート様もやってきた。
「お戻りですか、ホルガー様」
「ああ、留守をありがとう。お陰で今まで支払った保険金のほとんどが返ってきた」
「ベルント氏――ゲイラー家にそんな資産が残っていたのですか?」
ノルバート様は眉を吊り上げたし、「いや、払ったのはオーム伯爵だ」それを聞いた私も「どうしてです?」と首を傾げてしまった。
「調査の結果、オーム伯爵はグレーということで終わりましたよね。受領済みの保険金を返還するなんて、詐欺を認めているようなものでは……」
「いや、オーム伯爵は殊勝な態度に出ることにしたのではないか?」
「そのとおりだ」
「どういうことです?」
「もちろん、オーム伯爵は詐欺とは無関係であった。この立場は大前提だ。しかし、オーム海商はオーム伯爵が組織した海商、『自らの名を冠した海商が詐欺を働いて申し訳ない』と義理に基づく金を拠出したわけだ」
なるほど。つまり、オーム伯爵は保険金を“返還”したわけではなく、ベルントとオーム海商が弁償すべきぶんを“立て替えた”のか。
理解できたが……、だからこそ私の中で疑惑が強くなった。
「したたかというか、ずるいですよね、オーム伯爵……。本来なら『オーム伯爵も噛んでたに違いない、爵位もなにもかも剥ぎ取って追放せよ!』となったところを『ゲイラー家がやらかしたことの尻拭いをしてやるなんて素晴らしい!』と印象を操作したということですよね?」
「そうだな。お陰で裁判官どもはオーム伯爵を白だと思っているぞ」
そうに違いない。そうして、オーム伯爵はまんまと世間の非難を免れるのだろう。宮廷での発言力は小さくなるかもしれないが、もしかしたらそれも「事件を受けて弁えていらっしゃる」とよく見られるかもしれない。
もともと詐欺で巻き上げた金などあぶく銭、返したところで痛くもかゆくもないし、それで立場を守れるなら安いもの。絵を描いたヤツがとりそうな選択だ。
なにか見落としはなかったか。それがあればオーム伯爵を追い詰めることができるのではないか。むむ……と顎を指で挟んで考え込む。
「時間がありませんでしたから探しきれませんでしたが、まだ探していない資料はないでしょうか? それこそ今やオーム海商に資料を出させる大義名分があるのでは……」
「オーム海商側の資料は宮廷官吏が持って行った。それに、そう躍起になってオーム伯爵を追い詰めることはない。向こうが体面を保ちたいというのなら、こちらにもそれなりにできることがある」
でもかなりクロ寄りのグレーですよ。そう頬を膨らませる私に、ホルガーお兄様は嬉しそうに書簡を見せた。
「オーム海商と新たに契約書を交わしてきた」
「は? 何を言っているんですか、お兄様」
詐欺を働いてきた海商ともう一度契約する? いくら責任者が交代したとはいえ、いつからホルガーお兄様はそんなお人好しになったのだ。
「せっかく戻ってきたお金がまた巻き上げられますよ」
「今回の件を受けてオーム海商の信用は地の果てまで失墜した。こればっかりはオーム伯爵がどれほど善人面しようと関係がない。つまりどういうことか分かるな?」
「契約金を大幅に吊り上げても文句は言われませんね」
「そのとおりだノルバート」
まさかの、商売チャンス……。唖然としている私とは裏腹に、ノルバート様は「妥当な判断だと思います」と頷いた。
「それに、オーム海商自体は非常によくできた組織ですからね。あれを失うのはシレナ海峡を中心とする海上貿易には大きな痛手です」
「詐欺を働いた海商なのにですか?」
「だからこそ、請求がきてもしばらくはうるさく言える。もっとも、しばらくは詐欺などできんだろうし、もしかしたら正当な理由があっても保険金は請求してこないかもしれんな。それに、再発防止名目で私の臣下も派遣させることができる。もちろん衣食住は向こうの負担だ。……まあエレーナ、お前の言いたいことは分かる」
釈然としない。その心を顔に出していると、ホルガーお兄様は肩を竦めて返した。
「正義感の強いお前のことだ、白黒つけずにグレーの相手と取引を続けることに納得がいかないんだろう」
「……はい。もちろんホルガーお兄様のお仕事ですから最終決定には口を出しませんが」
「いい心掛けだ。まあエレーナ、お前もそのうち分かる。世の中、そう白黒はっきり分かれるものばかりではない」
……そういうものか。まだ納得はいかなかったが、自分の考え方が硬すぎる可能性は否定できなかった。なにせ私はろくに社会に出たこともなかったのだから。
「しかし、O派が痛手を負ったことには変わりない。ランセル伯爵も鼻高々で――ああそうだ、手紙を預かっていたんだ」
「あら、ありがとうございます。お父様には報告の手紙を送ったきりでしたから、こうなっては一言くらい伝えておくべきかと悩んでいたのです」
しかし、これからは家を追い出されたなんて建前も気にせずによくなる。その場で手紙を開く私の前で、ホルガーお兄様も「帝都の噂もすっかり変わっていたからな」と頷いた。
「なんでも、エレーナはN派に属する父のために一肌脱ぐべくカッツェ地方へ向かい、オーム海商の詐欺を暴いたのだと。慎ましく淑やかな令嬢であるだけでなく、逆境をチャンスに変える力強さまで持ち合わせていて大変素晴らしいと言われていた。私も鼻が高かった」
「あら、それは喜ばしい限りです。一時はドナート伯爵令息夫婦に対する殺人未遂の嫌疑までかけられておりましたのに」
「ああ、そのドナート伯爵令息夫婦だが、“ドナート伯爵令息”ではなくなった。いまは……なんだったかな、忘れたが随分と遠縁の姓を名乗らされているらしいぞ」
「え?」
思わぬ報せに、お父様からの手紙を読み始めもしないまま顔を上げてしまった。
「責任はベルント氏に留まるもので、ゲイラー家自体に責任は及ばないと結論づけていたはずですが……いえ、二人が帝都を出ていく可能性は考えていましたが、姓を名乗るのも許されないというのは……」
「さあ、詳しいことは知らないが。さすがのランセル伯爵も、そこまでされてはということでドナート伯爵の謝罪を受け入れることにしたらしい」
「謝罪を受け入れる?」
まるで従前から謝罪をしていたかのような口ぶりだが、寝耳に水だ。しかし「婚約破棄後、ドナート伯爵は度々謝罪を申し入れていたがランセル伯爵が拒絶していたそうだ」……まさしく、そういうことなのだろう。
「……私はお父様から聞いておりませんが」
「長年の婚約を一方的に破棄した家の話などわざわざしないだろう。聞いて愉快なものではない」
それは確かにそうだが、ドナート伯爵なら私は構わなかったのに。
「それに拒絶した気持ちも分かるな、私がランセル伯爵の立場でもそうする、馬鹿な下半身令息を追い出してから出直せとな。話は戻るが、令息夫人のあまりの愚かさに耐えかねたのが理由だそうだ。あのオッサンは人は良いんだが、たまにお人好しが過ぎるんだ。肝心なところで切りどころを分かっていない」
こんなタイミングで切っては保身と勘違いされても仕方ないぞ、とホルガーお兄様はブツブツ呟いた。
でも、そうか、帝都を追われるまでは想像していたけれど、姓を奪われるまで……。噂に耐えられず帝都を出るくらいならまだしも、姓まで奪われては、一切の助けを借りることができないのと同義だ。これからヒルデの結婚生活はどうなってしまうのか――あのときの心配が現実のものとなってしまった。
「……ところで」
咳ばらいをされて我に返った。そういえば、ノルバート様は途中からだんまりだった。
「なんだ、なにか不可解な点でも?」
「……レディ・エレーナの姓は、ゲヘンクテではないのですか?」
「え?」
「なんだエレーナ、今までノルバートに名乗りもしなかったのか?」
ノルバート様が、どこか気まずそうに私とホルガーお兄様を交互に見ている。言われてみれば、祖母はゲヘンクテ家に嫁いでいたわけだし、ホルガーお兄様と親戚だし、ノルバート様にそう勘違いされていてもおかしくない。
「すみません、うっかり……名乗るタイミングがなく、失礼いたしました。私の姓はランセルなのです。しかし……、しかし、何か問題が……?」
実はノルバート様が親の仇のごとく恨んでいる相手がお父様だった……なんて衝撃の展開があるのか? 困惑しているノルバート様に私のほうが動揺してしまった。
「いや……いや、問題は……いやなくはないが……」
「どうでもいいがノルバート、お前は荷造りを済ませているのか? お前の屋敷の手配は済んでいるんだが」
話が一段落したせいか、ホルガーお兄様は仕事の準備に取り掛かり始めていた。
「今回の手柄もあるからいい屋敷を用意してやった、感謝しろ。いつか倍にして返せ」
「……恐縮です」
ノルバート様は変わらず困惑したまま、硬い声で返事をした。
評価は数字が出なくなっただけ(仕様変更?)なのですね。ふと数字がおかしいと気付き計算すると4.6でした、お恥ずかしい限りです。しかしありがとうございます。
ところであと2話(2日)くらいで第一部を終えたいと思っています。引き続きお付き合いください。