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#26 この生活は、いずれ終わるものだったのだ

 婚約者を寝取るというとんでもないことをやらかした元友人を話題にするのは憚られたのだろう。ノルバート様は、その形のいい眉を八の字にした。


「ああ。……今回責任を問う主な相手は、オーム海商、詐欺に加担していたフリッツ商人、そして現海商責任者に当たるロード・ベルントだ」

「ええ、そうですね」


 もちろん、資料作成を手伝っているのだからそれは承知のうえだ。


「これを明るみにすれば、彼個人ではなくゲイラー伯爵家も巻き込んだ話となるだろう。ゲイラー伯爵家は再び帝都を去ることを余儀なくされ、ともすればその爵位の剥奪も考えられる。必然ドナート伯爵令息夫人は元伯爵令嬢の肩書を失ううえ、既にドナート伯爵令息と婚姻しているとはいえ、状況的に帝都に残る選択肢はないに等しい。……そのとき、ドナート伯爵令息とその夫人は、場合によっては共に帝都を追われるのではないかと思ってだな」

「そうかもしれませんね。仕方ありません」


 さもありなんといったところだ。頷くと、しかしノルバート様は面食らった。


「……いいのか?」

「いい……というとおかしいですけれども……。現にロード・ベルントは犯罪の片棒を自ら担いだわけですしね」


 もちろん、持ち掛けたのはオーム伯爵に決まっている。そして、追放された反王国派としてもはや日の目を見ることはなかったゲイラー伯爵にとって「帝都に戻りつ令息を一大海商の責任者に」なんて提案を断る理由はなかったはずだ。


 が、うまい話に裏がないはずはない。


「まあ、ゲイラー伯爵家はこの事情を――詐欺に加担することになると知っていたのだろうしな」

「ですよね。そうとしか思えません」


 ばれやしないと口車にのせられたのか、ばれないだろうと高をくくっていたのか、それとも本当になにも考えずに目先の利益に飛びついたのか……。いずれにせよ、同情の余地がない。


「ただ、少し話が戻るが、ドナート伯爵令息夫人はこの件を知らなかったはずだろう?」

「そうでしょうか? 詐欺で得たお金は当然ゲイラー伯爵家にも流れているでしょう。“突然父君も兄君も出世し、帝都に呼び戻され、物価は高いはずなのに暮らしは贅沢になる”……ここまで揃って、なにも訝しまずにいるでしょうか?」


 溜息を零してしまった。久しぶりに再会したとき、ヒルデに帝都に戻った理由は聞かず終いだったが、聞いたらなんと答えていたのだろう。

 しかし、ノルバート様は首を横に振った。


「それは君が彼女を買い被りすぎだ。もちろん元友人の君のほうがよく知っているだろうが、私が見る限り、そのような思慮深さは彼女にない。おそらくあるがままを享受しただけだ」

「……そう考えると同情すべきでしょうか。……いえ」


 いくらでも考える機会はあったのに、現状に安住していたのはヒルデ自身だ。それに、あくまで糾弾されるのは兄君のロード・ベルント。ヒルデは既にドナート伯爵家に嫁いでいるのだから、オトマールの夫人として適切なふるまいをしていれば、帝都で爪弾きにされるようなことはない。もしそうなってしまったら、オトマールが助ければいい。それができないのであれば、それは彼ら自身の責任だ。


「……ヒルデとオトマールが進退窮まるとすれば彼ら自身の言動によるものですし、逆にいえば態度次第で道は開けるのですから。そこに私がなにか感情を抱くことはありませんね」


 オトマールもヒルデも、既に私にとっては他人通り越して珍獣。私と関わらないでくれれば、もうどうでもいいことだ。

 私が虚勢を張っているわけでないことは分かってもらえたのだろう。ノルバート様は「……それならよかった」と静かに頷いた。


「事件が片付いたのに、君の心が休まらないのでは申し訳ないと思っていたところだ」

「ノルバート様が申し訳なさを感じることなんてありませんよ。ノルバート様の所管する仕事にとんだ腐れ縁があったというだけの話ですから」


 うんうん、と頷いていてもノルバート様はしばらく黙っていたが、ややあって「そうか」と笑みを零した。


「山も越えたことだ、しばらくしたら一緒に街に出ないか。市街地はすっかり雪も消え、道も悪くなくなった。なにかごちそうしよう」

「え、だからいいですよ、ノルバート様のせいではないんですから」

「お詫びではなく、少し遅いが歓迎会ということでどうだろう」


 ……歓迎会? 何の? 誰の? 首を傾げると「会といっても私一人なのだが」と付け加えられた。ノルバート様と2人で? 市街地でおいしいものを一緒に食べる? ノルバート様と、二人きりで?


「……辺境伯も誘うか?」

「いえ結構です!」


 想像した瞬間に緊張が喉を絞めつけたが、それはそれ、これはこれ。なぜわざわざホルガーお兄様に邪魔されなければならないのか。激しく首を横に振った。


「ホルガーお兄様は今回の件でお忙しいでしょうから、誘わずにおきましょう! ノルバート様と私だけのほうがいつもどおりで何の気遣いもいりませんし! ね!」

「……そうか」


 ノルバート様は少ししゅんとしたように眉を八の字にした。そんな可愛い顔をされても私はホルガーお兄様は誘いませんからね! しかし絆されてしまう危険があるので急いで書簡をかき集めた。


「では、私は辺境伯のもとへ書類を届けてしまいますね! 失礼します!」

「ああ、よろしく頼む」


 執務室を飛び出た後、いつにも増してうきうきと足取りが軽くなってしまっているのを感じた。でも仕方がない、山積みの仕事は片付いたし、ノルバート様の役にも立てたし……お出かけの約束もあるし。カッツェ地方に来てしばらく立つが、やっと地に足がついたような気持ちだ。


「今日の夕食はちょっと豪華にしちゃおうかな。少し寒さも和らいできたし、帰りに町の中心に行ってみるのもいいかも。おいしいパンがあればそれだけで食卓がぐっと豪華になるし……そういえば、以前ノルバート様が話してたスープも……」


 まだ調べることはできていないが、幼少のころに食べていたというのなら、それはグライフ王国の郷土料理に違いない。出処さえ分かれば調べるのは容易い、グライフ王国出身者は他にもいなくはないし、城の使用人にでも作り方を聞けば作ることができるはず。

 懐かしい味を食べることができたら、ノルバート様はどんな顔をするだろう。この味だ、とあのぶっきらぼうな顔を綻ばせてくれるだろうか。嬉しそうにスプーンを口に運んでくれるだろうか。想像するだけで笑みがこぼれてしまう。喜んでくれるといいな。


 そんなことを考えながらホルガーお兄様の執務室に入れば、これまた珍しく顔を上げたお兄様に「ご苦労ご苦労、お陰でうちの財が守られた」なんてぞんざいに褒められた。


「今回の件、ナウマン伯爵にはお前の名を伝えておこう。対立派閥のオーム伯爵を失脚させた令嬢の家を取り立てない理由はないからな。はれてお前の父君も立場を取り戻すだろう」

「ありがとうございます。ついでにぜひとも出世していただき、弟達にいい思いをさせてやってほしいものです」


 私のごたごたのせいで出世の道を閉ざされた父、夫人に逃げられた兄、婚約を再考されていた弟妹……これが一挙に解決する。こんなにも嬉しいことがあるだろうかと、つい喜色満面になり。


「それから、当初より話していたお前の屋敷の使用人の件だ。喜べ、面倒事が済んだお陰でようやく手配できる。ノルバートには、別の住まいを用意しよう」


 明るい顔でさも当然のような提案をされ、自分の表情が凍りつくのを感じた。


 そうだ。そういえばそうだった。

 私とノルバート様のこの生活は、いずれ終わるものだったのだ。

いつも読んでくださる方々、ありがとうございます。


さて、誤字報告機能についてお願いがあります。

変換ミス・誤削除・タイポを頻発しながら自分で気づくことが少ないため、適切な報告には大変助かっております。ありがとうございます。掲載分と元データを同時に修正するようにしていますので、修正反映には時間がかかることもありますがご容赦ください。

しかし、同機能は誤字脱字ないしこれに準ずる”誤り”の報告のみにご利用いただき、表現の改変を求めることはお控えください(エレーナのセリフの語尾を削除し「~ですわ」と直すなど。)。システム上、誤字脱字の円滑な修正が阻害されてしまい、大変困ります。

よろしくお願いします。

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― 新着の感想 ―
[一言] >……そのとき、ドナート伯爵令息とその夫人は、場合によっては共に帝都を追われるのではないかと思ってだな ヤダー、そうなったら辺境にいるエレーナのところに頼ってくるじゃないですかー!! しか…
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