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#25 意外と根に持つタイプですね

 オーム海商がグライフ王国に無事(・・)()貨物を卸した、その証拠を手に入れた私とノルバート様は、すぐさま保険金請求書と照らし合わせた。日付と商品内容を確認すれば、“海賊に強奪された”はずのものがグライフ王国でしっかり売却されているのは明白。海商の責任を問うことは容易そうだった。

 それを一通り確認し終えた後、執務室でいつものように紅茶を淹れて一息ついた。


「ああ……一仕事終えた後の紅茶とお菓子って本当においしいですね」


 カヌレをかじりながら、自分でも頬が緩んでしまうのを感じる。


「少々面倒くさいお菓子なのですが、作った甲斐がありました。こういうときは手間と時間のかかるお菓子が一層味わい深くなるというものです。ね、ノルバート様!」

「……ああ」

「……お口に合いませんでした?」

「いや、そうではない。まったくもってそうではない、不思議な形だが、ラム酒の風味もしてとてもおいしい」


 それにしてはどこか上の空だったような気がするのだが。首を傾げると、フリッツ商人を前にしたときのように、ノルバート様は少し不自然な咳ばらいをした。


「……反省していてな」

「なにをですか?」

「この書簡を手に入れるために、君が交渉の矢面に立っただろう。本来は私の仕事であり、君は補佐の立場に過ぎなかったというのに、まったくもって君に頼りきりだったと反省していたのだ」


 頼りきり? まったく心当たりがなかったので目を瞬かせてしまう。


「そんなことありませんよ、私はただフリッツ商人におだてられていただけですから。むしろ、交渉のテーブルについた後に証拠自体を出させたのはノルバート様の手腕によるものじゃありませんか」


 私は金づる令嬢として金目当て商人と「ホホホ」「ははは」と歓談していたのであって、肝心の“物”は、ノルバート様が言葉巧みにフリッツ商人を操って手に入れたものだ。私だけでは「また後日いい商品があれば」で終わっていた可能性もあった。


「ノルバート様が紅茶の味から東洋の国名を当てて、取引中の地域の特色から需要のある交易品や土産物を提案して、あらたな商取引の導線を匂わせる情報のやりとりをしたから出てきたわけです。隣で聞いている私も全然知らないことばかりでしたし、というか提案のタイミングとか間の置き方が絶妙で……もしかして騎士より商人が向いていらっしゃったのでは?」

「詐欺師よりずいぶん印象がよくなったな」

「ノルバート様ってば、意外と根に持つタイプですね」

「冗談だ、そう言ってもらえると気も楽になる。しかし、それでも君には本当に驚いた」


 いままさに驚いているかのように、ノルバート様は深い溜息と共に笑みを零した。


「君は貴族令嬢であって、商家の生まれではないだろう? それなのにあんなにも舌が回るものだ」

「生まれは関係ありませんよ、私は大した知識を持ち合わせていないのですから。相手の反応を見つつ、目の前の情報を拾って既存の知識と組み合わせて考えただけです」


 この手のことは、帝都にいた頃によくあったことだ。なにせ、オトマールはサロンでろくに口を開かず、にこにこと笑いながら「そうですね」と頷くだけだった。それでどうにか切り抜けられる場面もなくはなかったが、大抵はそれでは誤魔化せない。

 そこで、隣の私が「――ってこの間は話していたわよね」なんて、自分の意見をさもオトマールが話していたかのように語りつつ、誘導しなければならないことがよくあった。しかも、サロンに呼ばれているのが高位貴族であればあるほどその教養は底知れず、その場で頭をフル回転させなければならないことは珍しくもなんともない。お陰で初めての相手と相手の土俵で話すことにはすっかり慣れてしまった。

 あの頃は「これが将来の夫人の務め!」くらいしか考えなかったのだが、それがいまこうして自らの仕事に役立ったのだと思うと感慨深い。しみじみと頷いてしまった。


「あとは、フリッツ商人も同じ手法を用いていらっしゃいましたけれど、困ったときには相手の言っていることを逆と裏から言い換えるだけでもいいんです。自分の意見をよく理解してくれていると思ってもらえますから」

「君の仕事ぶりに感心するとおりこして怖くなってきたんだが。君の方が詐欺師なんじゃないか?」

「心外ですね、社交性と言ってください」


 口を尖らせた後で、お互いに笑ってしまった。厄介事が片付いた後は気持ちが楽だ。

 そうして少し休憩した後、あとは今回の件をきれいさっぱり整理して責任を問うための資料を整えることになった。それも終盤に差し掛かり……“足りない”と確信した。


「オーム伯爵が詐欺を働いた証拠はないな」


 ノルバート様も同じ結論に至ったらしい。だからこそ納得できず、ムスッと我ながらブサイクな顔をしてしまった。


「……釈然としません。絵を描いたのはオーム伯爵に間違いないのに」

「私も同意見だ。しかし、こればっかりはオーム伯爵の動きが早かったな」


 保険金詐欺を企んだのはオーム伯爵に違いない。その令息をオーム海商の責任者の地位に就かせ、フリッツ商人と共に保険金詐欺を企み、実行に移していたのだろう。

 しかし、オーム伯爵は詐欺を始めてすぐに責任者をロード・ベルントへと交代させていた。ホルガーお兄様が勘付いたのが早すぎたのか、それともオーム伯爵が慎重だったのかは分からない。いま分かるのは、オーム伯爵令息の署名が入った請求書が詐欺であったのか否か、その裏付けになる書類は既に散逸しているということ――オーム伯爵はグレーに留まるということだった。


「オーム伯爵令息の署名入りの詐欺請求書もありますが、責任者の移行期間で実質的な処理はロード・ベルントが行っていたなどと言い訳もできますしね。仮に今回の件から直接生じる経済的な打撃は少ないというのが許しがたいです」


 詐欺による保険金請求だと明らかにされた場合、もちろん詐取した保険金は全額返還しなければならない。それはオーム海商とその責任者が連帯して負うべきものだ。裏を返せば、詐欺事件時に責任者の地位になかったオーム伯爵令息には、その被害を弁償する責任がない。

 詐欺で得た金はオーム伯爵家にも流れていたに違いないのに、確たる証拠はつかめなかっただなんて。やるせなさで書簡を握りつぶしてしまいそうだった。


「落ち着け、レディ・エレーナ。もちろんオーム伯爵に詐欺の責任を追及することはできないが、あくまでそれは法的な問題に過ぎない。組織した海商が詐欺を働いていたことはオーム伯爵の名誉を傷つけるのに充分であるし、この状況でオーム伯爵を白と信じる者はいまい。他の貴族からの信用失墜は免れないのだから、現実問題、オーム伯爵は今までと同じ立場ではいられないだろう」

「……そうですね。それは、そのとおりです」


 憎まれっ子世にはばかるというか、狡猾な人間ほど狡猾ゆえに生き残ることができるなんて、世の不条理というほかない。降ってわいた事件であったとはいえ、深い溜息をついてしまった。


「……ところで、ついでに話を整理しておきたい。君にとってあまり思い出したくない話だと思うため、気を悪くしてしまったらすまないのだが……」

「最も罪を問われるロード・ベルントがヒルデ・ゲイラーの兄君である件ですか?」


 それはそれとして、ヒルデの実家たるゲイラー伯爵家には、雷雨も真っ青な暗雲が立ち込めている。

カヌレの正式名称はカヌレです。この世界ではカヌレはカヌレ以上でもそれ以下でもないのです!ということにしています。

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