#23 優雅な令嬢らしく振舞っておきます
潮風に吹かれ、帽子が飛ばされないように後頭部に手を添えた。少し遠くには、オーム海商の大きなロゴ入りのマストが見える。このまま港に立っていると待ち構えていたようでわざとらしいだろうかと悩んでいると、後ろから外套をかけられた。
「レディ・エレーナ、外は寒いだろう。まだ馬車に乗っていてはどうだ」
「ノルバート様、今日の私はバウマン伯爵令嬢エミーリエですよ」
「失礼した、レディ・エミーリエ」
苦笑いしながら、ノルバート様はわざわざ外套についているリボンまで結んでくれた。手慣れた動きを睨んでいると「ああ、馴れ馴れしくすまない」と引っ込んだ。そうではない。
「……ところでノルバート様、本当にこんなことで上手くいくのでしょうか。ノルバート様さえよければ海商に直接乗り込んでもよかったのですが」
「それでは警戒されてしまうからな。それに、オーム海商の取引相手にアインホルン王国貴族がいないのは調査済み、手八丁口八丁でいくらでも食いつきをみせるだろう」
「ノルバート様、意外と口が上手いですものね」
日頃は堅物極まりなく、ホルガーお兄様の城にいる使用人相手にもろくに愛想を振りまくことはない。しかし、ロード・ベルント相手の視察といい、仕事のことになるとスマートにやってのける。幼少に受けた王子教育のたまものといえばそうなのかもしれないが。
「そう言われると詐欺師と言われているようで心外だな」
「大丈夫です、褒めていますから。……オーム海商の船が近づいてきましたね。もう少し優雅な令嬢らしく振舞っておきます」
「君はどこからどう見ても優雅な令嬢だろう」
「…………ありがとうございます」
立っているだけで絵になるアンタこそどこからどう見ても貴族か王子だろう、と言い返せるほど私の褒められ経験値は高くなかった。金持ち令嬢アピールと照れ隠しを兼ねるために、いかにも一点ものですと言わんばかりの洋扇を広げて誤魔化す。
“グライフ王国宰相がオーム海商から購入した品目のリストを開示させるために、私が金持ち令嬢というカモのふりをする”――オーム海商の保険金詐取の証拠を手に入れるため、私はそんな仕事に駆り出された。
だから本日の私は、帝国と同盟関係にあるアインホルン王国の金持ち令嬢で、ゲヘンクテ辺境伯にご招待いただきカッツェ地方で遊んでおり、本日はノルバート様に接待されているという設定だ。私の赤い髪はアインホルン王国に多いからすんなり納得される見た目であるし、ロード・ベルントに顔は割れているが「使用人のふりをして海商責任者にお会いしたかったのです」という我儘令嬢ムーブをかましたことにすれば足りる。
なお、正攻法ではないためノルバート様は私を巻き込むことに難色を示したが、ホルガーお兄様は適任だと私を推した。ホルガーお兄様は妙なところで割り切りがいい。
そんなこんなで、いまの私は成金我儘令嬢としてノルバート様に世話を焼かせつつ、偶然にも寄港するオーム海商の船を見つけて「あちらの海商は珍しいものを売っているのかしら?」なんて高飛車に品定めをしている。こういうときは私の強気なオレンジ色の瞳も役に立つというものだ。
オーム海商の船は、徐々に速度を落として港に近づいてくる。私達の少し後ろにある馬車がホルガーお兄様のもの――ゲヘンクテ辺境伯のものであることは見れば分かるので、船を降りれば一言挨拶をするに違いない。そのときにノルバート様が私を金持ち令嬢として紹介するという寸法だ。
その狙いどおり、寄港した船からはすぐに人が降りてきて「大変ご無沙汰しております、ノルバート様」と恭しく頭を下げる。身形からして、グライフ王国で例の宰相に物品を売りつけてきた商人だろう。
そしてさすが商人、ロード・ベルントとは異なり、すぐに私にも頭を下げた。
「初めまして、オーム海商にてメーヴェ号――あちらの船を任されているフリッツと申します」
しかも、私のドレスや持ち物に視線をやるような不躾な真似はしない。実際には視界の隅でしっかりととらえているがゆえの態度なのだろうが、それをおくびにも出さないあたり、しっかりとした商売人なのだろう。
「あら、ご丁寧に恐れ入りますわ。私はバウマン家のエミーリエです……と申しましても、アインホルン王国の伯爵家などご存知ではありませんよね?」
そんな伯爵家はない。しかしそんなことを調べる術はないし、堂々と名乗られては商人も知ったかぶりをするしかない。「とんでもございません」と畏れ多いように首を横に振る。
「もちろん存じ上げておりますが、面識がなく失礼いたしました。そちらの帽子も……」
ちらと、そこで初めてその目が私の帽子を見た。見た目の印象を変えるため、ホルガーお兄様の城にあった古い帽子を適当にひっぱりだしたものだ。
「流行りのボンネットですな。大変ゴージャスなレースが船上からもよく見えまして、一体どちらのご令嬢がいらっしゃるのかとご挨拶するのを楽しみにしていたのです。声をかけさせていただき、大変光栄でございます」
流行っていない。しかし流行は上流貴族が作るもの、「あなたが身に着けているものが流行です」と言って間違えることはない。私もにっこりと笑みを浮かべて「そうでしょうとも」と気取ってみせる。
「しかし、遠いアインホルン王国からカッツェ地方まで、ようこそおいでくださいました。アインホルン王国に比べれば少し暖かいですが、海辺は寒いでしょう」
「ええ、お陰様で外套が手放せませんわ」
そしてキタ――私は脳をフル回転させる。金持ち散財好き令嬢キャラの出しどころだ。ノルバート様にかけてもらった外套をちょっとつまみながら困った顔をする。
「特に、こんなに寒いとは思っていなかったものですから。もう少し分厚い外套があればよかったのにと嘆いていたところですわ」
さあ、なにか売りつけてこい。そう身構えたのだが、フリッツ商人は「ほおー」と悩まし気にその顎髭を撫でた。
「しかし、そちらの外套はカッツェ地方産のものでしょう? こちらにいらしてからお求めになったのでは?」
さすが商人、目敏い。まったくもってそのとおりなのだが、そこですかさずノルバート様が一歩前に出る。
「これは私が用意したものなのだ、フリッツ殿。しかし自分を基準に考えてしまったもので、レディ・エミーリエには少々薄かったようで、お恥ずかしい話だ」
ありがとう、ノルバート様。お陰でフリッツ商人は「なるほど、そういうことでしたか」と頷いた。
「しかし、ノルバート様が直々にご案内とは。さてはそういうことですかな?」
なんなら商売っ気たっぷりの笑みを浮かべてみせた。どういうことかは知らないが何か売りつけるつもりならぜひとも! 私は目を輝かせたが、隣のノルバート様は珍しくゴホンゴホンとわざとらしい咳ばらいをした。
「いや、そうではない。そういうことではないため、フリッツ殿、その点は誤解なきよう……」
「なにが誤解なものですか、貴方様が女性に贈り物などした日には槍が降ろうとさえ言われるのに」
「いや、レディ・エミーリエは辺境伯の大事な客であるからして……」
「なるほど、ゲヘンクテ辺境伯が取り持っていらっしゃると」
「いや、私の手が空いていたので案内を任されたのであり……」
何の話だ? 目を丸くして二人の顔を交互に見ていると、フリッツ商人が「ははは、ご心配なくノルバート様、商人とは口が堅いものですぞ」と笑って締め括った。なんだかよく分からないがご機嫌そうなのでよかった。さすがノルバート様だ。