#18 ノルバート様の天然女たらしめ
そんなオーム海商のもとを訪れるにあたり、馬鹿正直に「詐欺の疑い」とは言えない。そこでノルバート様が作った建前は、オーム海商が辺境伯に支払う契約金額を低く見直す、ということだった。辺境伯からみれば、貨物の事故・盗難が多い海商相手には保険金を支払うリスクが高いので、契約金額を高く設定するのがセオリー。逆にいえば、契約金額を低く設定してほしければ、事故・盗難率について実績で残すほか、どんな対策を講じているかを見せればよい。もちろん、貨物自体の価値も影響するが。
オーム海商はやたらめったら貨物が盗難されるので、その契約金は高く設定されてしかるべき――だが、そこはノルバート様の手練手管の見せどころだ。応接室に座って向き合い、ノルバート様は「早速だが」と、まるでオーム海商が優良取引相手かのような空気感を出す。
「オーム海商はシレナ海峡を航海する海商の中で最も大きく、ゆえに辺境伯も最大の取引相手と考えている。その規模を考えれば、貨物管理や安全設備も他の海商より格段に優れ、平たくいって辺境伯としても“安心できる”相手だ」
「そうでしょうとも」
なにもそうでしょうともじゃないんだよな……。ノルバート様におだてられて簡単にいい気になっている顔を見て、隣で話を聞きながら呆れてしまった。オーム伯爵も、なぜご令息からわざわざこんな男に海商を委ねたのか。
「一方で、最近は盗難による請求が嵩んでいる。もちろん、他の海商からも多く声が上がっていることもあり、昨今のシレナ海峡での海賊被害の大きさは理解している。しかし、それではこちらとしても契約金額を高く設定せざるを得ないため、可能な限り講じている対策を共有していただきたく」
「もちろんでございます。まず航路のほうですが……」
羊皮紙を広げ、ロード・ベルントは、海賊の出現場所とこれによる航路の変更と……などなど、色々と要領を得ない説明を連ねた。その後、ノルバート様が投げた中身のない質問にも身を乗り出して答え、貨物倉庫と貨物船を確認したいという要望にも二つ返事で頷き、意気揚々と案内してくれた。
貨物船の上は、想像していた以上の極寒だった。ノルバート様の後ろで肩掛けをしっかり掴んで寒さを堪えながら、何か怪しいところはないかとあちらこちらを見る。しかし、貨物船の中で何か仕掛けがあるはずもない。出港前ということで貨物は現在進行形で積まれていたが、そのリスト内容にも確認作業にも、特段不可解な点はなかった。
ということは、本当に海賊に襲われているのだろうか? 確かにこの小悪党みたいな男が企むわけないとは思うが、真っ当な商売をしているとも思えない。
何かないかと一生懸命周囲を探ろうとしたが、下手に動くことはできないし、なにより鼻水も凍りつきそうなほど寒いしでろくに頭も回らなかった。
最初に自分が言ったとおり、このままだと本当に氷像になってしまう……! 肩掛けをぐるぐると巻きつけてフードを被り必死に防寒していると、不意にバサリと自分のものでない外套が広がった。驚く間もなく、柔らかい暖かさに包まれる。
「ロード・ベルント、すまない。船上は少々寒すぎるため、貨物船の確認はこの程度にしておこう」
ノルバート様が私の肩を抱き、自分の外套の中に入れてくれたらしい。私が呆気にとられたのと同じく、ロード・ベルントも若干面食らいながら「ああ……ええと、それはそうですよね。大変失礼しました」とノルバート様と私の顔を見比べる。
「他にも未確認の部分もあるが、さすが天下のオーム海商だ、文句のつけるところがない。これで切り上げよう、大変助かった」
「あ、あの、ノルバート様、私なら大丈夫ですよ」
「いや、これ以上は特に確認しなければならないこともない」
私が寒がっているせいかとも思ったが、その声の調子も表情もいつもと同じなので真意は分からなかった。
「世話になった、ロード・ベルント。着任当初から申し訳なかった」
「いえいえ、滅相もございません。当然のことですよ、ゲヘンクテ辺境伯には大変お世話になっておりますし。使用人の方も体が冷えたようですし、どうぞ一度屋敷にお戻りいただいて」
「いや、そこまで手間をかけるつもりはない。このまま辺境伯の城に戻ろう、出港が迫っている船も多いだろうしな」
それはそれとして、私はノルバート様の外套の中に抱え込まれたままだ。船から降りても寒いものは寒いのでありがたい、ありがたい……のだが。
「……その、そろそろ手を外していただいても……?」
「ああ、すまない」
馬車の前まできて、ようやく体が解放された。途端に凍えるような風に吹きつけられて身を縮こまらせると、「早く乗るといい」と馬車に抱き上げられて心臓が飛び出るかと思った。
……照れ臭さを感じた私がおかしいみたいじゃないか! 馬車の中でお行儀よく座りながら、心の中で叫んだ。
おかしい。目の前にしれっと座るノルバート様をじろっとにらんだ。隣で女性が凍えているからといって、躊躇いなく肩を抱きよせ自分の外套の中に入れてやるなど……そんな真似をさらっとやってのけるなんて。王子というのは女性を扱うことまで一級品の教育を受けるのか。
「寒かっただろう、レディ・エレーナ。付き合わせてしまい悪かった」
「……いえ。付き合わせてくださいと頼んだのは私ですので」
仕事でしているのでなんてことありませんみたいなツラ(というか多分事実そう)、ますます私が自意識過剰のように思えてくるのでやめていただきたい。いや実際自意識過剰だろうけれど。隣で女性が凍えていれば外套の中に入れてあげるくらいはノルバート様にとっては当たり前なのだろうけれど。
しかしこちとら慣れていない。冬の寒さに凍えようものならオトマールの「そろそろ暖炉を準備しなきゃなあ(訳:暖炉の手入れを手配してほしい)」が炸裂する生活を送っていたのだ。ノルバート様の天然女たらしめ! ささやかな反抗のために、今晩はノルバート様の嫌いなインゲンをアーモンドとメープルで和えるといま決めた。