#16 事実だとすれば、許しがたい
感覚だけでなく目でも見たほうがいいと判断し、オーム海商の請求書とそれ以外をざっと左右に分けた。するとやはり、他の海商が文字通り束になっても敵わないほど、オーム海商からの請求書は多かった。
ノルバート様は、厄介事を目の前に突き付けられたかのように眉間に皺を刻み、瞑目した。きっと従前からあったことで、気付いていたことでもあったのだろう。
「……天候が悪い日もあるでしょうが、請求の日付を見るとそれだけだとは……。海賊でもいるんですか?」
「……海賊がいるのは事実だ。そしてオーム海商はその規模でいえば他の海商とは比べものにならない」
貨物の強奪による保険金請求の頻度が高く、オーム海商からの請求書が他の海商のそれより格段に多くても不自然ではない、と。
しかし、それだけではノルバート様の浮かない顔の説明がつかない。
「……きな臭さはあるものの、嫌疑がかかっているとして堂々と乗り込むほどではない、と?」
「理解が早くて助かる。実際、このいわばグレーな状態は非常に厄介でな、書類確認中を理由に請求を止めている最中だ」
コンコンと、ノルバート様は指で木箱をノックした。大量に書簡が入っているが、どうやら全部オーム海商のものらしい。
つまりこういうことだ。オーム海商は妙に頻繁に「貨物が強奪された」と保険金の支払いを請求してくる。他の海商も海賊被害を受けているし、こちらもその存在は認識しているから、海賊に襲われたなど有り得ないとまでいうことはできない。
しかしこの頻度、必要書類を整えない態度、そしてなにより大きな金額に鑑みれば――オーム海商は保険金を詐取しようとしている可能性がある。
もしそれが事実だとすれば、許しがたい。オーム海商からの未決書簡でいっぱいになっている木箱を、無意識に睨んでしまっていた。
保険契約は、盗難や事故という危険ゆえに交易が畏縮してしまうのを防ぐためにホルガーお兄様が辺境伯の立場で結んでいるものだ。海上貿易には悪天候や海賊による貨物の破損・盗難という危険が伴う。そこで、海商は、積荷の価値に基づいて定める契約金をあらかじめ辺境伯に支払っておく。貨物を無事運搬できた場合、辺境伯は契約金分をもうける。一方で、貨物が破損・紛失した場合には、これまた積荷の価値に基づいて定めた保険金額を辺境伯が支払い、これによって海商は積荷の損失を填補できるという寸法だ。
互いに危険を承知で、しかもそれを勘案して契約金額と保険金額を決めているはずなのに、それを悪用する不届き者がいるとは。
「調査はできそうなんですか?」
「一応進めてはいるが、少々面倒な点がある。オーム海商はグライフ王国との交易を主としていてな、下手な首の突っ込み方をすると王国が絡んできてくるおそれがあるため、二の足を踏んでいるところだ」
「……なるほど。むしろ、王国絡みの交易で海賊に襲われたことにすればこちら側もつっこみにくいと計算している可能性までありますね」
「まったくもって、そのとおりだ」
深い溜息と共に、ノルバート様は遂にペンを置いた。
「オーム海商は、その名のとおりオーム伯爵がその財を投じて組織したものだ。王国体制について積極的に意見し、ナウマン伯爵と対立してO派などと呼ばれはじめたのもその頃だな」
「王国と取引するようになって、実情が見えたのでその意見も具体的になったということでしょうか?」
はて、と首を傾げると、ノルバート様は笑みを零した。なにかがおかしいというより、まるで花を愛でるような笑い方だ。
「……なにか?」
「いや、君は純粋だな。ぜひともそのままでいてくれ」
純粋……? ノルバート様の口からは、いつも今まで言われたことのない形容ばかりが出てくる。ノルバート様のほうこそ純粋過ぎて他人を逆色眼鏡で見ているのでは?
「……ノルバート様は違う意見だということですか?」
「そうだが、私はひねくれているからな。気にしないでくれ。それより、こちらの請求は決済をとっていいから、辺境伯に回しておいてくれ」
「……分かりました」
別の見方をしているが教えてくれない、しかもそれは王国相手の取引……。例の王国事情が絡む話だとピンときた。
王国事情には踏み込ませてもらえないかもしれないが、もしかしたら、帝国をN派に傾けさせるくらいの事情は拾えるかもしれない。私がそれに成功すれば、必然、ナウマン伯爵もありがたがってお父様を再び重用する。受け取った書簡をホルガーお兄様に持っていって戻る道中、そう思い至った。
「ノルバート様、調査の一環で海商への事情確認や海域視察などのご予定ってございますか?」
「もちろんある。その様子だと、興味があるようだな」
「ええ、互いの利益のために作られた制度を私利私欲のために悪用する輩がいるとすれば見逃す手はありません。なにより、N派の我が家が没落する危機に瀕しておりますから、O派筆頭伯爵の息がかかった海商に目をつけない理由はございません」
我ながらかなりの悪女だ。もちろん前者が理由の9割を占めるが、それこそ1割の私欲があることは否定できない。
だからといって関わることは許してもらえないと思っていたのだが、意外にもノルバート様は頼もしそうに頷いた。
「それならちょうどいい。レディ・エレーナがいれば相手もまさか嫌疑をかけられているとは思わないだろうから、ぜひ同行してくれ」