#15 後半のほうが恥ずかしいこと言ってるって分かります?
ホルガーお兄様から与えられた“事務処理”をし始めて数週間、私は遂に拳で机を叩いてしまった。
「だからッ、なんで貨物リストを出してこないのよ! いい加減にしなさいよ! 一大海商だからって調子乗ってんじゃないわよ!」
「落ち着け、レディ・エレーナ。いつものことだ」
ノルバート様は、淡々と既済の書簡を木箱に放り込みながら私を宥める。補佐につけられたのは私だというのに、これでは役割が逆だ。
「いつものことならなおさらです! 保険金請求に際して貨物リストが必要なのは分かりきっているということじゃありませんか、つまり顔パスならぬ名パスをしてほしいと言ってきてるんですよ!」
その“事務処理”の仕事は「海上貨物が壊れました・盗まれましたので、貨物にかけておいた保険金を払ってください」という請求書に「分かりましたよ」と頷くだけの簡単なお仕事――かと思いきや、意外と細かい面倒事が多い。その貨物は保険の対象か? 事故の原因と経過と結果は? 荷下ろしの際に積荷リストと照合したか? その結果は? などなど、とにかく事務的な確認書類が多い。
それにも関わらず、多くの海商が「保険金を払ってください」という請求書だけあげてくるのだ。
「『うちを誰だと思ってます? うちが払えと言ってるんだから払いますよね?』なんて声が透けてます。お金を払ってもらうのになんでこんな横着ができるんでしょうかね、信じられません!」
ぷんすかしながら書簡を「書類不足」に放り投げる私とは裏腹に、ノルバート様は「レディ・エレーナは真面目だな」とまるでいつものことのように相槌を打った。
「多くの海商は分かってしていることだ。いちいち必要書類を細かく指摘してやる必要はない。書類が足りないと突っ返せば揃えてくる」
「それを確認する手間と時間がもったいないじゃありませんか! そのせいでこんなに書類が溜まったんですね」
たまにいるのだ、相手の手間はタダだと思っている愚か者が。次の書簡に手を伸ばし、これもまた書類が足りずにイラッ……としてしまった。
……これではいけない。少し休憩しよう。これでは決済にまわしていい書類まで不可と判断してしまいそうだ。
「……ノルバート様、紅茶を淹れます。しばしお待ちください」
「いや、いつもしてもらっているのだから今日くらいは私が準備しよう」
「お言葉ですがノルバート様、ノルバート様の手は紅茶を淹れることに向いていないようですので、どうぞお気になさらずお仕事をなさってください」
一週間ほど前、同じ申し出を受けて「じゃあ……」とお願いしたのだが、ノルバート様は紅茶の淹れ方を知らなかった。茶葉と茶こしをじっと見つめて、ポットに葉とお湯を淹れた後にハッとしたように茶こしで葉を掬おうとし、しかしできずにカップに紅茶を注いだ後に同じことを試みる……というなんとも不可解な行動に出たのである。
思い出して笑ってしまうと、恥ずかしさを隠すためか、その口がむっと曲がった。
「失敬だな、こう見えて一度得た知見や経験は次に活かせるタイプだ」
「では次の機会にとっておきましょう。今日は私が準備してきますので」
一度執務室を出て、今日は紅茶と一緒にスコーンを準備した。海商の態度に苛立ちが募り「甘いものでも食べないとやってられない!」となり、昨日の昼間のうちに焼いておいたのだ。特に、スコーンは材料も安いし、焼きはじめさえすれば待っておくだけでいいので気楽なものだ。
……しかしノルバート様が甘いものを食べるのか? しっかりと紅茶とお菓子の準備を整えて戻る途中でその未確認情報があることに気付いた。しかも、日頃ノルバート様が気に入る食事はわりとお酒が好きな人のそれ。もしかするとスコーンは食べないかもしれない。それなら私が食べるからいいのだが。
が、それは杞憂だった。スコーンを出すと、明らかに目の色が変わった。
気付かないふりをして、自分の机に戻りながらそっと様子を観察する。しかし騎士のノルバート様の目を騙すことなどできない、見ているのがバレて視線を返されてしまった。
「どうかしたか」
「いえなんでもありません。どうぞ続けてください」
ノルバート様は怪訝そうに眉を顰めた後、気を取り直すようにスコーンに視線を戻し、ほんの一口齧った。なんだ、別に好きなわけではないのか――と思ったのは束の間、その手はこれでもかとラズベリージャムをのせ、また一口齧る。そして再びスコーンが覆われるほどジャムをのせ、一口齧る。ジャムとスコーンのどっちを食べてますかと聞きたくなるほどの量だった。
そうして、スコーンはあっという間になくなった。なお、少し多いかもしれないと思っていたラズベリージャムも同じく。
「……お好きなんですか?」
「……それなりに」
なんの見栄だ。
「……もうひとつお食べになります?」
「……いただこう」
ふたつめのスコーンも、出した途端に同じ要領で平らげられ、遂に笑ってしまった。
「……なにかおかしなことでもしたか」
「いえ、ノルバート様が甘いものをお好きだとは知りませんでしたので」
「特に甘いものが好きなわけではない。君が作ったスコーンがおいしかっただけだ」
それ、後半のほうが恥ずかしいこと言ってるって分かります? ノルバート様の照れ隠しはどこかズレている。お陰で私も照れる場面なのかそうでないのか分からなかった。
「ではまた作りますね。スコーンって簡単で、しかもジャムを変えるだけで味が変わってお得なんですよ」
「このジャムも君が作ったのか?」
「ええ、少し季節外れで、そのまま食べるより煮詰めたほうがいいかと思いまして」
「……君は本当に多才だな」
「これもお鍋に入れて放っておくだけみたいなものですから、簡単ですよ」
「料理関係はもちろんだが、仕事も早いだろう。君には申し訳ないが、思いがけず補佐に来てもらえて本当に感謝しているんだ。私一人ではこの部屋が未済書類で埋まっていたからな」
心底感心したような顔で言われても、ノルバート様に言われるとお世辞にしか聞こえない。なにせ、どう見ても凄腕の騎士で、二ヶ国語以上を操り、カッツェ地方が臨む海域の交易を所管し、あのホルガーお兄様の臣下を務めている。常人にできることではない。いや、食生活が変人のそれなので常人でないのは確かなのだが。
……それに多分、いや間違いなく、グライフ王国第一王子だし……。ズズ、と紅茶を飲み、反応に困っているのを誤魔化した。
王国で内乱が起こった時期とノルバート様が祖母に拾われた時期、ノルバート様の見た目の年齢、その出身と裏腹に訛りのないきれいな帝国語、それだけでも充分といえばそうだったが、グライフ王国第一王子の名を見て確信した――「ノルベルト・ヒエロファント」。そういえばノルバート様のラストネームは聞いたことがないし、「ノルベルト」のスペルはNorbert――帝国語読みで「ノルバート」だった。
グライフ王国のノルベルト第一王子は、王国の内乱勃発当時十三歳だったと記録にあった。その年齢で既に当時の宰相さえ舌を巻くほど聡明と名高かったが、不幸にも、内乱で命を落としたのだという。
“いまの王国は実は宰相の傀儡政権である”という話を踏まえれば、その意味も見えてくる。内乱の黒幕には現宰相がおり、当時右も左も分からぬ第二王子を擁立するため、聡明ゆえに邪魔な第一王子を殺そうとし、しかし失敗してノルバート様は帝国まで逃れてきたと、そういうことに違いない。
ホルガーお兄様は、この事実を知っているのか? ノルバート様はどんな意図で騎士としてカッツェ地方に留まっているのか? いずれ王国に戻ることを望んでいるのか? それは王子として、それとも元王子として、はたまた王として……。
「レディ・エレーナ、疲れたのだろう。私には構わず、早めに切り上げて構わない。もちろん帰りは少し待たせてしまうが」
「あ、いえ、すみません、大丈夫です、はい」
気にはなるが、仕事は山積みなのだ。気を取り直して次の書簡を取り出し、また必要書類を整えていないのを見て額に青筋が浮かぶのを感じ、その署名を見て「またオーム海商!」と叫びそうになるのをぐっと堪えた……が。
「……海峡の治安、悪いんですか?」
「なぜそう思う?」
「……仕事をする者がいなかったとはいえ、いくらなんでも請求書が多すぎませんか? というか……」
オーム海商からの請求書が、明らかに多すぎやしないか?
※各話のタイトルを修正しました。
週間総合4位、週間恋愛異世界2位、ありがとうございます。