#14 誤魔化すの下手か
ホルガーお兄様から命じられたのは、海峡貿易の保険金支払いに関する事務だった。
「……使用人ではなかったのですか?」
「使用人だとも。うちの使用人は皆こちらの書簡をあちらへあちらの決済をこちらへと忙しなく屋敷内を動き回っている」
「それは使用人とは言いません」
出た、変狂伯……。内心毒づいてしまった。どこに使用人を臣下のように扱う伯爵がいるというのだ。しかし納得がいった、出自不明とおりこして怪しいノルバート様を臣下にするわけだ。
「しかし、仕事をさせてくださいと言って内容で断るのは私の信条に反します。その仕事、しっかりさせていただきましょう」
「お前ならそう言うと思った」
執務机に横柄な態度で座っていたホルガーお兄様は、そう言うや否や少し体をかがめた。
「で、これがいま溜まっている未済の支払請求書になる」
そして――ドカッと、山ほどの書簡やら木箱やらを執務机の上に置いた。その量、執務机が揺れ、私もたじろぐほどだった。
「な……なんでこんなに溜まっているんですか!? もしかしてもともと仕事をする人がいなかったんですか!?」
「そのとおりだ」
「そのとおりだ、ではありません! お兄様いいですか、よそから来た私が言うのも差し出がましいかもしれませんが、采配も立派な仕事のひとつですよ! そしてこの書簡の山を見れば保険金の支払いが滞っていることは明らかです。これでは海商も困りますし、経済が回りません。優先度は高く、他の仕事が停滞してでも人を連れてくるべきでしょう!」
「まったくもってそのとおりだ、エレーナ。思いがけずお前がやってきてくれてよかった」
「誤魔化さないでください!」
「まあエレーナ、お前にとっても悪い話じゃない。先日伝えただろう、お前は例の不貞相手の件を探ってみてはどうだと」
つまり、ヒルデのゲイラー伯爵ないしはO派筆頭オーム伯爵が海商に関連しているということだろうか? 見透かしたように、ホルガーお兄様は頷いた。
「オーム伯爵のほうだな。ご丁寧にその名を冠しているからすぐ分かる」
「……このオーム海商ですか」
適当に手にとった書簡には、そう署名がしてあった。山積みの書簡から無作為に手に取ってその名が見つかるということは、よほど大きな海商に違いない。
「ところで、ドナート伯爵令息夫人はヒルデ・ゲイラーといったか。ゲイラー伯爵といえば、数年前は反王国派に与していたはずだが、なぜいまそれが親王国派の、しかもO派にいる?」
「それは私も存じ上げません。ヒルデが帝都に戻ってきて数ヶ月後には、オトマールとの婚姻が決まり、私はまったく関わりをなくしてしまいましたので」
木箱の上にせっせと書簡を積み上げ、運ぶ準備をする。ホルガーお兄様は立ち上がる気配を見せないので、一人で運べということだろう。構わないといえば構わないのだが、おそらくホルガーお兄様が男にしか好かれない理由はこれだ。
「ただ、オーム伯爵に目をかけてもらったお陰で帝都に戻ってくることができたと聞きましたよ。なぜオーム伯爵がゲイラー家に声かけしたのかは例によって知りませんけどね」
「……そうか。オーム伯爵がか……」
「オーム伯爵と面識がおありで?」
「もちろん。政治家向きだがそろそろ引退してほしいジジイだったな。というわけで、その処理を進めてくれ、適当に溜まったらそこに置いてくれれば確認する」
「……分かりました」
よっこいせと木箱をふたつと書簡を重ねて背を向ける頃、ホルガーお兄様はもう私を見ていなかった。お陰で執務室の扉は蹴って開ける羽目になった。
「まったく、だからホルガーお兄様は結婚できないんだわ。懸想してくるのは見た目に騙されてる方ばっかりだもの」
おっと、喋ると顎が動いてバランスが崩れてしまう。よいしょと書簡の上に顎を載せ直し、プンプンと憤慨しながら指定された部屋の前まで行く。そうよねやっぱり扉は閉まってるわよね!
今度は肘をひっかけて扉を開こうとすると、内側から勢いよく開かれて「ぎゃっ」と荷物ごと崩れ落ちそうになり――すんでのところで支えられた。驚いて見上げるまでもなく「レディ・エレーナ?」とよく知る声が降ってくる。
「ノルバート様? ですよね? すみませんいま頭を動かすと書簡が……」
「辺境伯か? 相手がレディ・エレーナであってもお構いなしだな」
ポイポイと、実に見事に的確に、ノルバート様は私の腕から荷物を受け取る。私が体勢を整えて振り返る頃には、その片腕がすべての荷物を抱えていた。騎士の腕力とバランス感覚、おそるべし。
そんなノルバート様は、今朝ともに城まで来たときよりも少し寛いだ格好をしていた。部屋の奥にはノルバート様の外套もかけてあるので、ここで仕事をしていたのだろう。
「この部屋に運ぶよう頼まれたのか?」
「いえ、事務処理をしておくようにと。屋敷どころか執務室まで間借りすることになってしまうようで、申し訳ないです」
「いや、間借りではない」
「え?」
空いている執務机の上に丁寧に荷物を置きながら、ノルバート様は呆れた声を漏らした。
「請求書の事務処理をする者を手配してくれと、日頃から依頼していたのだ。だからといって君を割り当てるとは思っていなかったが……」
「……ということは、ノルバート様が海峡交易を取り仕切っていらっしゃるんですか?」
「そうだな。交易相手の半分は母語がグライフ語でな、もちろん帝国語も通じるのだが、交易開始当初は相手の母語を喋るほうがよかろうと辺境伯が判断したのだ。その後も、齟齬は少ないほうがいいということで私が取り仕切っている」
私の頭上に「?」がふたつくらい浮かんだ。世界共通語は帝国語、ゆえに帝国の人間の大半は帝国語しか喋らない。二ヶ国語以上喋るとすればそれは貴族だし、しかもその言語は帝国に次ぐ大きさを誇る別の王国の言語だ。あえて小国のグライフ王国の言語を喋る者はいない。カッツェ地方はグライフ王国の境にあることもあり、グライフ語を喋ることができる者もいるだろうが……。
「……もしかして、ノルバート様ってグライフ王国の方なんですか?」
「ああ。気付かれなかったということは、私の帝国語もずいぶん上達したらしい」
そうだったのか……! まるで帝国語が下手くそかのような口ぶりだが、まったく気が付かなかった。
「じゃ、母語はグライフ語なんですね」
「そうだな。ただ、私が産まれた頃には帝国語が共通語であったから……」
そこでノルバート様は少し言葉を濁した。帝国語が共通語だったから……なに? ……幼い頃から帝国語は学んだ、とか……?
いくら帝国語が共通語だからといって、それをわざわざ学ぶのは貴族か商人くらいだ。ノルバート様は倒れていたところを祖母に拾われたはずだが、ただの捨て子や孤児ではなかったのかもしれない。
それに、考えてみれば、まったく違和感がないくらい、ノルバート様の帝国語には訛りがない。カッツェ地方育ちだと帝国語とはいえ多少アクセントの違いもあるし、ホルガーお兄様でさえ少し訛りがある。ノルバート様にはそれがない。
帝都育ちでもなければ、帝国育ちでさえないのに、そんなにきれいな帝国語を学べる環境にいたということはかなりの……。
……ノルバート様は何歳だ? ふと、その偶然に気付いてしまった。
「……つかぬことをお訊ねしますが、ノルバート様っておいくつですか?」
「年齢は不詳ということになっている」
誤魔化すの下手か……! いかにも聞かれては困りますと言わんばかりの返事に愛想笑いを浮かべることさえできなかった。いそいそと執務机について「今日中に終わらせたいものが多いのだ」などとぼやく姿まで含めて、まったくもって不器用な嘘吐きそのものだ。いや嘘をついているわけではないのだが。
しかし、ノルバート様が聞かれたくないなら探るわけにもいかない、私も与えられた仕事をしよう――と机についたのだが、一度気になり始めると考えるのをやめられなかった。
グライフ王国で内乱が起こったのが十年前、オスヴィン第二王子が国王として即位したのが五、六年前で、当時七、八歳だったはずだ。幼い国王を擁立した隣国への対応で派閥割れが起きたから、年齢に間違いはない。
ノルバート様はおそらく二十歳は超えているが、せいぜい二十二歳かそこら。祖母と出会って一、二年で一人で暮らすこととなったということは、当時すでに十歳前後ではあっただろう。
グライフ王国の第一王子の名前って、なんだったっけ。じっとノルバート様を見つめたが、気付かぬふりをされていた。