#13 ノルバート様が卑怯だとしたらヒルデは鬼畜
ホルガーお兄様に雇われることが正式に決まった後、食後にノルバート様に報告すると、いつもは凛々しく引き締められている唇が間抜けに開いた。
「……君が使用人として働くというのか?」
「だそうです。具体的な仕事の内容はまったくうかがっていませんが、こう見えて掃除もできますよ」
「そうではない。……しかし、そうか、あの城で働くのか……」
まるで私が働くことに不都合でもあるかのような口ぶりだ。
「ノルバート様は……日中は城内にはいらっしゃいませんよね? 先日お話しされていたように、町や村へ行くことが多いのでしょうか」
「そうだな、とはいえ辺境伯を訪ねることは多いが……。その意味では君が辺境伯の屋敷で働く場合、道中の不便はない。しかし、辺境伯も妙な対応をするものだな。君を使用人として招き入れることが可能なのであれば、最初から私と同居などさせなければよかったものを……」
ノルバート様の疑問はもっともで、最初にホルガーお兄様に挨拶に行ったときに私も口にしてしまいそうになったことだった。そもそも、この城に私一人住まわせるくらいの部屋はあるのでは、と。
「その点に関しては、おそらく私の素性の問題ですね」
「ということは、君は辺境伯との血のつながりは隠して働くのか」
「そのとおりです」
それができないのは、辺境伯がわざわざ部屋を用意して丁重に扱うほどの“要人”だと強調したくなかったからだろう。あくまで私は「血のつながりを理由に辺境伯を頼ってきただけで、それ以上の意味のある関係ではない」、その建前で通すつもりなのだ。
帝都のN派とO派の対立に鑑みれば、そう慎重になる理由は分かる。しかしむしろ、そろそろホルガーお兄様はどちらかに肩入れしてくれてもいい頃合いではないだろうか。その意味では、ホルガーお兄様はO派なのか……?
じっと考え込んでいたところ、咳払いで我に返った。
「あ、すみません、何かお話されていました?」
「……いや。あまりそう悩むことはないと、そう言いたかっただけだ。辺境伯も、君をそうこき使うつもりはないのだろう。慣れない土地であるし、あまり無理はしないでおくといい」
「はは、大丈夫です。私、見た目のとおり丈夫なんですよ。多少掃除に精を出したところで疲れを感じるような可愛げなんてありません」
「と君は言うだろうから、あまり無理はしないでおくといいと言ったのだ」
どういうことだ? 頭上に「?」を3つくらい浮かべながら首を傾げると「そのままの意味だ」と返ってきた。
「ドナート伯爵令息の件といい、その夫人の件といい、君は素知らぬ顔で自ら対応していたが、あの手のものは近場の兵士にでも引き渡して終えてそれでいいものだ。あまり多くのことを自らの責任として処理しなくていい。勝手な想像だが、カッツェ地方に来ることも君が発案したんじゃないか」
「……そのとおりです」
「君に非がないことは明らかであるのに、父君の政治的立場を考慮して口を噤み、挙句に北国でも立場を顧みず仕事を探すなど、そう物分かりのいいことばかりしなくていい。一人で頑張らず、たまには他人に甘えてもいいだろう」
一人で頑張る……? 他人に甘えてもいい……? やはり何を言われているのか分からなかった。
私の気の強さは幼い頃から変わらず、そのせいか他人は甘える相手ではなく甘えてくる相手だった。その筆頭がまさしくあのオトマールとヒルデである。
オトマールは何を頼んでも「うーん、ちょっと僕には……」と口籠るだけだったので、そのうちオトマールに何かを頼む十秒が時間の無駄だと気付いてやめた。逆にオトマールは何かをしてほしいときには「困ったなあー」と私の隣でぼやき続けるので、「どうしたの?」と訊いてはなにか手伝わなければならなかった。
ヒルデなんて、昔々まだ十歳にもならない頃、ことあるごとに「お願い、エレーナ」とその眉尻を下げて見上げてきた。
『エレーナ、あちらのご令息と仲良しよね。私もお近づきになりたいから、取り次いでもらえない? お願い、エレーナ』
『次の夜会に着るドレスの手配が間に合わなかったの。エレーナが着ていた総レースのオレンジ色のものを貸してくれない? お願い、エレーナ』
『今度、オーム伯爵のお屋敷で詩を詠むことになったの。でも私、詩作は苦手だから、あらかじめいくつか作っておいてくれない? お願い、エレーナ』
お前の口癖は「お願い、エレーナ」なのか? 思い返してみると、そう訊き返したくなってしまうような会話ばかりである。もちろん私も、最初は「自分で話しかけなさいな」「あれはお母様が作ってくださったものだから貸せないわ」「自分で作らなきゃ意味がないでしょ、頑張っていればそのうち作れるようになるわよ」と断っていた。しかし、お願いお願いを連呼された挙句、最終的に「エレーナは私を見捨てるんだわ!」とみんなの前で泣き出されては、仕方ない……と折れていた。
結局なんでも手を貸してやるから依存されるんだ、お前にも責任の一端があるぞと言われたことがあって反省しているが、そんなことはさておき、ノルバート様の口上に打ち震えた。この世の中には、他人に甘えさせてもらって当然の人間がいるというのに、他人に甘えてもいいと言える人がいるのか……!
「……レディ・エレーナ?」
「……失礼しました、ノルバート様があまりにご立派な方だと再確認してしまい、つい」
うう、と口を手で覆いながら感服した。本当に、この人はなんてできた方なのだ。自分は幼い頃に道端に行き倒れ、拾ってくれた私の祖母もほんの一、二年で他界し、以後は独力で生計を立てねばならず、ゆえにホルガーお兄様なんかにいいように使われてしまわざるを得なくなったに違いないのに……!
「ノルバート様……ノルバート様は、ご自身が大変苦労なさっているのに、他人を妬んだり僻んだりすることもなく、それどころか優しく慮ることができるなんて……私が見つけるべき仕事はノルバート様の爪の垢を煎じた酒をカッツェ地方の特産品として売り出し、主にオトマールに飲ませることかもしれません」
「……君は私を買い被りすぎた。私はそう大した人間ではない。……小心者で卑怯なところもあるからな」
「ノルバート様が卑怯だとしたらヒルデは鬼畜ですよ?」
「……君からの評価が落ちないよう気を付けるとしよう」
ノルバート様は眉間に皺を寄せながら、食後の紅茶を口に運び……、ふとその目を怪訝なものに変えた。
「話は変わるが……例のドナート伯爵令息とその夫人と、君はいまでも親しくしているのか?」
「まさか! 私、お人好しじゃありませんので。二人とは婚約破棄以来一切連絡を取っておりませんでしたよ。なぜでしょう?」
「……いや、なぜ二人は君の居住地を知っていたのだろうと、ふと疑問に思ってな」
……確かに? 言われてみれば、ヒルデはもちろん、オトマールも私の祖母の家なんて知る由もない。カッツェ地方に旅立ったことは噂で聞いたかもしれないが、母方の祖母の屋敷に住むなんて家族以外は知らないことだし……オトマールがここらの人に聞いて回ったとも思えない。
なぜ……? 私は考え込んでしまったが、ノルバート様は「いや、すまない、余計なことを口にしてしまった」と手を横に振った。
「令息はともかく、夫人は令息の行き先を知り、ここを探し当てたのかもしれん。依然として疑問は残るが、そう気にすることはないだろう」
「……そうですね」
いや、一体どこから情報が漏れたのか気にはなるが……。はて、はて、といくら考えても、その心当たりは頭に浮かばないままであった。