エピローグ 夫がよろしくやっていたのは私だった
“地方領から来ましたヤスミンです。奥様のためなら身を粉にして働きますよ!どうか万事、このヤスミンにお任せくださいませ!”
“奥様、絵の具の付いた手で前髪を触られましたね!プッフフ…前髪が一部ピンクになっめますよ”
──ヤスミン、
“悪心があっても食べやすいようにあっさりと、でも栄養たっぷりに作ったスープですからね、ゆっくりと召し上がってください”
──ヤスミン……
彼女と過ごした日々。
あの全てが偽りだったなんて思えないの……。
確かに離婚離婚とやたらと離婚を勧めてくるなぁとは思っていたけど。
──でもだって、彼女から悪意を感じた事は一度もなかったから……。
──だからどうかお願い、フォル……
吐き気と共に目眩がする。
唇に冷たさを感じ、力が入らない。
どうやら悪阻の上に貧血まで起こしてしまったらしい。
私は夫のフォルカーにより、ベッドに寝かしつけられた。
ふわりふわりとする意識の中、フォルカーとヤスミン二人の会話が聞こえてくる。
「……奥様……体調不良がまさか悪阻だったなんて……」
私の体調を気遣うヤスミンにフォルカーが言った。
「ヤスミン・ドゥラ。一つだけ訊く。依頼内容が俺の妻であるシュリナの排除だったなら、こんな時間をかけずに最初からどこかへ拐かす事が出来たはずだ。時間が経てば経つほどリスクが上がる、それなのにお前は強行には踏み切らなかった……それは何故だ?」
「……最初はプロとしてのやり方だった、と言えばご理解いただけますかしらね?」
「足がつくような犯罪性を持たせたくなかった、という事か」
「当たり前でしょう?いくら仕事といえど、犯罪者にはなりたくないですから。これまでも汚い仕事は数々熟してきましたが、凶悪な犯罪には手を染めない。それがワタシのプロとしての矜恃ですよ」
「詐称、偽証の罪は犯しまくってるだろ」
「まぁ。それは必要な手段の一つですから……お縄につく覚悟は出来ておりますよ。奥様に陥落したと自分自身で認めた時からね」
「シュリナに惚れたか。まぁ当然だな……憑き物が落ちたような顔をしてる」
「ええ。実際に清々してるんですよ、これで奥様を……この純真な人を騙さなくて済むんですから」
「……」
「フ、フフ……疑ってかからなくてもこれが本心ですよ。この期に及んで人心掌握で逃げ果せるなんて思ってません」
「俺はあんたを知らないからな。無条件に信じられるわけが無い」
「そりゃそうだ。当然ですね」
二人の会話が私の耳に届いてくる。
私は幾分かマシになった体を少し起こし、すぐ側に居るフォルカーの手を握った。
「フォル……お願い……どうかヤスミンを許してあげて……」
私のその言葉に、ヤスミンが小さく息を呑んだのがわかった。
フォルカーは起き上がろうとする私の体を支えてくれ、眉を顰めて答えた。
「……シュリ。この魔術師はお前を騙し、俺たちの仲を引き裂こうとした張本人だぞ?」
「あら、張本人は領主のご令嬢でしょう?ヤスミンはプロとして依頼を受けただけだわ」
「そりゃそうだけど、こいつは自分がした事への償いをしなくてはならない」
彼が言っている事は正しい。
王国騎士として見逃せないという事もわかっている。
だけど私は言わずにはいられなかった。
「これまで騙してきた人への罪は償わなくてはならない事はわかっているわ。それを無かった事にして欲しいとは私も言えない……でも、だけど……私への罪の不問、もしくは減刑は願えるはずよ」
「シュリ……」
眉尻を下げて困り顔をするフォルカーの向こうから、ヤスミンの小さな声が聞こえる。
「奥様……あなたって人は……」
彼女はフォルカー以上に眉尻を下げて情けない困り顔をしていた。
ヤスミンのそんな顔を見ながら私は言う。
「私に優しくしてくれたヤスミンの全てが偽りだったなんてどうしても思えないの。もちろん最初はそうだったんだろうけど……この半年間の私たちの日々が、交わした言葉が、優しくて温かいあなたの眼差しが、全てが偽りではなかったと信じさせてくれるの……私ったら甘いのかしら?でも、そう思ってしまうのだから仕方ないわよね?」
「奥様っ……グゥッ……」
ヤスミンはくしゃりと表情を歪ませて私から顔を背けた。
フォルカーはそんな私たちを見てやれやれと肩を竦める。
「俺の妻は本当に人間としての器がデカくて情に篤いな……。ヤスミン・ドゥラ、全くのお咎めなしという訳にはいかないが情状酌量の余地があるとして減刑を願う報告は上層部に上げる事はできる。全てはお前次第だ、俺と取引をするか?」
フォルカーがそう言うと、表情筋を駆使して決して泣くまいと百面相をしていたヤスミンが驚いた声を発してフォルカーを見た。
「っえ?」
「今回の件、シュリの口からお前さんの名が出て、仲間の手を借りて三日間で凡その調べはついた。だがまだ今の段階では証拠や証人が揃ってはいない。地方領主令嬢が首謀者であるという証拠や証言をするならば、お前の減刑を上に掛け合おう」
フォルカーのその言葉を聞き、私は嬉しくて重ねて確認をしてしまう。
「フォル、本当なの?本当にヤスミンの罪が軽くなる?」
「この件に関わっていたそこの魔術師が協力すると言うのならな」
「もちろんするわよ、そうよねヤスミン?」
ヤ・「あなた達は……クッ、なんというお人好しなんですか!夫婦揃ってそんなお人好しじゃ、この先悪い人間に騙されやしないかと心配になりますよ!」
フォ・「お前が言うなよ」
「あら、それならヤスミンが側で目を光らせてくれればいいじゃない」
ヤ・「それもやぶさかではないですけどね!将来有望な騎士サマのお宅に咎人が居たらご近所で何を言われるかわかりませんよ!」
「ちゃんと罪償い終えた人の事をいつまでも咎人とは呼ばないのよ?別に問題ないわ」
フォ・「確かにそれはそうだな。……どうする?魔術師ヤスミン・ドゥラ、捜査に協力するか?」
ヤ・「しますよ!しまくりますよ!でもそれは自分のためじゃないです!奥様の恩に報いるためにするんです!」
フォ・「わかっているならそれは重畳。シュリのために尽くせよ?」
「罪を償ったらすぐに戻ってきてね!ヤスミン」
ヤ・「尽くしますよ!償って禊をして身を清めてからギルドも辞めて奥様だけに生涯尽くしましりますよ!マッタクモウ!!」
「やだヤスミン泣かないで」
ヤ・「泣いてません!これは顔から出る排泄物です!」
フォ・「もうちょっとマシな誤魔化し方があるだろ」
「ふふふ……オエッ……!」
「シュリ!」
「奥様っ!せ、洗面器っ……!」
再び悪阻による吐き気に襲われた私のために、フォルカーとヤスミンは右往左往のてんやわんやとなった。
私は悪阻が重いタイプらしい。
その後、事件の処理などでまだまだ帰れないフォルカーが心配して、私を産院に臨時入院させた。
要するに私は産院に預けられたのだ。
そしてひと月が過ぎてようやく重い悪阻から解放された頃に、任務を終えて戻ってきたフォルカーと共に家に帰った。
「シュリ、大丈夫か?疲れてないか?少し横になれ、夕食は俺が作るからな。何がいい?何が食いたい?俺に作れないものは近くの食堂で作ってもらってテイクアウトしてくるから何でも言ってくれ」
甲斐甲斐しくお世話しようとしてくれるフォルカーを見て、私は思わず吹き出してしまう。
「ふふ。もう悪阻は収まったから大丈夫よ。今は逆に空腹になると悪心を感じるの。だから慌てないで買ってきた林檎を剥いてくれると嬉しいわ」
「林檎か!任せろ!刃物を扱うのは得意なんだ」
「さすがは騎士様ね」
私がそういうとフォルカーは少しドヤっとした表情を浮かべて林檎を剥き始めた。
ふふ、可愛い。
そうして私は騎士様に剥いて貰った林檎を食べながら今回の事件の顛末を聞いた。
「ヤスミン・ドゥラは自分の保険のために魔術で令嬢とギルド側のやり取りを記録していたんだ。依頼内容を告げる令嬢の肉声がバッチリ録音されていたよ。その他のやり取りも全て記録していて、それを証拠品として逮捕に至った。腐っても貴族令嬢だからな、下手は打てない。だが証拠品さえしっかりしていれば話は早かったよ」
「そう、良かった……それでそのご令嬢はどうなるの?」
「誘拐と人身売買の教唆だからな。修道院送りなんてそんな生易しいもんじゃ済まねえし、済まさねえ。南の国営の大農園での強制労働の刑だ。扇子より重い物を持った事のないお嬢様が荒くれ者の庶民たちと一緒に過酷な労働という刑に服すんだ、生き残れればいいけどな」
「まぁ……大変そうね……。いずれは釈放されるの?」
「本人次第だな。真に反省して真面目に勤めれば10年ほどで故郷に帰れるんじゃないか?まぁ婚期を逃して、その後は後で大変だろうが」
「悪い事はするものではないわね。……それで、ヤスミンはどうなるの?」
私は祈る思いでフォルカーに訊ねた。
ヤスミンもそんな重い刑に処されていたら辛くて悲しいから。
そんな私の頭を、フォルカーは優しく撫でてくれた。
「あの魔術師は……もう魔術師じゃなくなるな。魔術師資格を剥奪され、半年間の労役刑に服すことになったよ。魔術関連の労役だから、魔術師資格を失うのは釈放されてからだな。その後は生活魔術しか使用できなくなる」
「その労役は辛いものなの……?」
「いや?公共施設の修繕や自然災害での損害の環境修復だ。まぁ労働力と魔力を半年間国に搾り取られる事になる」
「ヤスミンは……大丈夫かしら……?」
「大丈夫だろ。アレはそう簡単にくたばるタイプじゃねぇ。シュリと生まれてくる赤ん坊の世話をする役目は何人たりとも譲らねぇ!ってほざいていたからな」
「ふふ。頼もしいわ」
「………」
「フォル?どうしたの?」
急に黙って私の顔を見つめるフォルカーに、訊ねる。
「……シュリ、ごめんな。交際を申し込んだ時もプロポーズの時も結婚式でもお前を守ると誓ったのに、この体たらくだ。俺は自分が情けないよ。今回、ヤスミン・ドゥラが強行を良しとしない主義だったから難を逃れたが、もし手段を選ばないような奴が依頼されていたかと思うと……俺は怖くて堪らない……」
「あら、フォルはちゃんと守ってくれたじゃない。魔獣からもこの国を救ってくれたし。それに“でも”とか“もし”の話ばかりしていても仕方ないわ」
「……もちろん、もう二度と同じ轍は踏まないように対策はするが、……シュリの口からヤスミンの名が出なかったら気付けなかったんだ」
「それも仕方ないわよ。フォルは夜遅くしかこちらに帰って来られなかったし、短い時間で私たちはほら……ポッ♡」
ヤスミンからの暗示が完全に解け、転移魔道具で帰ってきてくれていたフォルカーとの時間を完全に思い出した私は彼にそう言った。
遠征先でよろしくやっている言われた夫が本当によろしくやっていたのは実は私だったという事を暗示が解けてすぐに理解したのだ。
だけど自分で言っておいて恥ずかしくて、私は思わず顔を隠してしまう。
それを見たフォルカーが分かりやすいほどに狼狽えた。
「シュリっ……やばい!爆発的に可愛いっ!やめてくれっ妊娠中だというのに抑えが利かなくなる!凄まじい破壊力だっ……!」
フォルカーはそう言ってテーブルに突っ伏した。
そして一頻り悶絶した後で私に告げる。
「俺が騎士である限り、今後も遠征があり今後もこんな事がないとは絶対に言いきれない……」
「ヤスミンがウチに来てくれるならもう心配ないと思うけど」
「それはそれ、これはこれでのそれでだ!今回の遠征の更なる褒賞と事件解決のダブル褒賞として、“とある魔術”を賜ったぞっ!」
「とある魔術?」
「その魔術の術式にすでに魔力が込められて与えられたものだがら、登録使用者である俺が詠唱すればたちまちにその術が発動される代物だ」
「まぁすごいのね、それでどんな魔術なの?」
「とある国のとある高名な魔術師が、自分の妻を守るために開発した術式でな?“妻アラート”というものなんだそうだ」
「妻アラート?」
「そう。その術が掛けられている妻は、ほんの少しの恐怖や身の危険を感じただけで夫の元へとその知らせが走るらしい。そして同時に夫を妻の元へと転移させる素晴らしい魔術なんだよ!」
「す、素晴らしいの?」
「素晴らしいだろ!これでどんな些細な事でもシュリに起こった事は俺にわかるようになる!」
「些細な事って……苦手な蜘蛛が出ただけで呼び出してしまうかもしれないわよ?」
「すぐに飛んで来て蜘蛛を家の外に追い出してやれる!」
「怖いお話を読んでしまって呼び出してしまうかもしれないわよ?」
「怖がるシュリを抱きしめてやれるじゃないか!あぁ…なんて素晴らしい術なんだ!」
「そ、そう。フォルがいいならいいのだけれど……いいのかしら?」
「いいんだよっ!」
こうして私は、フォルカーに“妻アラート”なる術を掛けられた。
その後当然、事ある毎に夫を呼び寄せてしまい、この術も良し悪しだなと私は思う事になる。
そしてその時、超安産の末に生まれた長男と私のお世話に奮闘するヤスミンに、
「旦那さま、超ウザい!」
とフォルカーが言われるのも、これから少し後のお話。
おしまい
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補足です。
男爵令嬢の父親である地方領主は、娘の監督不行き届きの積を負って、多額の賠償金をフォルカーと騎士団に支払ったそうです。
そして家督を長男に譲り、隠居したそうな。
その賠償金ですが、騎士団は負傷者の見舞金に当て、フォルカーは犯罪被害者を救済する活動をしている修道院に全額を寄付したそうです。
自分の妻に危害を加えようとした女の家からのお金なんて、フォルカーは使いたくなかったらしいですよ。
それからヤスミンが在籍していたギルドは取り潰しに。
色々と犯罪に関わっていたらしく、何人か逮捕者が出たそうです。
そしてヤスミンは生涯、クライブ家のメイドとして元気に楽しく幸せそうに勤めてくれたそうですよ。
めでたしめでたし。
これにて完結です。
久しぶりのショートショートにお付き合い頂きありがとうございました!
さて次回作ですが、ただいま二つのお話のどちらにしようか迷い中。
決まり次第投稿を始めたいと思います。
その際は、Xや著者近況で告知しますね。
よろしくお願いいたします!
(❁ᴗ͈ˬᴗ͈)ペコリ♡...*゜