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「信じる者は、救われるということか?」
「そうですね……少し違う力があるだけで、私の姉は、幼い頃から悩まされてきました。でも、沖縄の南部で、ある人に出会った時、自分と向きあうことの大切さに気付かされたんです。神様が授けてくれた読みとる力には、きっと意味があるから。だから私達は、信じて未来を歩み続けているんです」
彼女は外まで二人を案内し、律儀に見送った。妻が窓から顔を出し、手を振って応えた。彼女は小さな店が遠くなるまで見送り、風で波打つやや白髪交じりの髪を右手で押さえていた。
車を再び北へと走らせながら、仲村渠は左手にはめたブレスレットに柄もなく祈った。
お前が守りの石だというのなら、どうか妻を守ってください、と――。
(今の無力な俺の代わりに、どうか妻を助けてください)
誰か、と仲村渠はすがる思いでハンドルを掴む手に力を込める。
三
名護にある二十一世紀未来公園をすぎてすぐ、美味しいミニパイを売っている店があったので寄り道した。
そこは美味しいステーキが食べられる専門店で、セットでついてくる珈琲もとてもうまい店だったが、そこで販売されているミニパイも有名だった。
仲村渠はその店で数種類のミニパイと、イルカ形のクッキーを十枚購入した。
到着したのは正午近くだ。ステーキが美味いと人気の飲食店だったので、すでに仲村渠が来た時間は、待ち人がたくさん並んでいるほど混雑していた。観光客も多く、日本人、そして中国人も一部いた。
彼は、店頭に並んでいる菓子を購入しながら、美味そうな珈琲と肉を焼く匂いを嗅いだ。
「ふふ、機会があれば、今度来た時にでも食べましょ」
妻はそう言って、笑っていた。
二人は菓子だけを購入すると、休憩がてら店の裏手にある海を眺めながら菓子を食った。
正午前、まだ午前中の海は、ひどく澄んでいた。淡いサファイヤやエメラルドグリーンが目に眩しい。
潮風の心地よさに髪や衣服をはためかせながら、仲村渠は娘のように「綺麗ねぇ」とはしゃぐ妻を見守った。
そして店を後にすると、再び車を走らせた。
仲村渠は名護市街に車を進め、二人のユタと会ったが、期待できるような収穫は何もなかった。アンケート用紙に名前と生年月日を記入したのち、なぜか見当違いのアドバイスを延々と聞かされることになる。
「今の悩みは先祖から来ているから、きちんと先祖供養なさい。希望があればお祓いをするし、儀式で寺を回る費用はかかるが――」
一人目のユタには、よくある『先祖供養をしないと』と言われた。
二人目も――まぁ、同じだ。
「過去の亡霊が、あなた達の生活をいつか脅かすかもしれません!」
「はぁ、先祖供養ですね」
「そうです! よく分かっていらっしゃる! 信心深いと見ました! あなたには、今、髪の力が必要なのです!」
「はぁ、妻ではなく、私が……」
「見て分かります、これほど顔色が悪いとは可哀想に!」
「あ?」
「ちなみに過去の亡霊を含め、こちらで毎月、偉大な先生の有り難いお話を聞く機会がありますので、是非会員になっていただいて――」
つまり、すべてアテが外れたのだ。
けれど、せっかくここまで来たのだからと、仲村渠はドライブだと思っている妻に、まさにそうしてやろうと考え、今度は名護の巨大なガジュマルの木を見せることにした。
車を市街に進めると、道路の中央に巨大なガジュマルの木があった。
「まぁっ、すごい! とても大きなガジュマルねぇ」
何度か妻に見せたことはあったはずだが、彼女は初めて見たみたいにとても喜んでくれた。
何百年と生きたガジュマルの木には、神様や精霊や、もしかしたらキジムナーが宿っているのかもしれない。
仲村渠は運転中だったから、道路の真ん中に鎮座するガジュマルを眺めたのは、ほんの数十秒の間だったが、それでも長寿の木には神妙な気持ちを覚えた。ここ一週間で凝り固まっていた疲れが軽くなり、やる気が胸に蘇るような気がした。
しかし同時に、いつまでも二人のいる穏やかな生活を望んではいけないのだろうとは、彼にも分かっていた。
(どうしたら――)
それが、分からない。動きたいのに、どうしていいのか分からないのだ。
インターネットで調べれば、答えが出ることだったらいいのにと、仲村渠はやるせない気持ちに包まれて、思う。
こういうことに答えがあったのなら、きっと誰も彼も苦労しなかっただろう。
先程の双子の占い師もそうだ。
彼女達は信心深かったが『神様教えて』と言っても、その時に答えは得られずに苦労した。
けれどその苦労が彼女達を大きくし、成長させ、まるで自分で選び取ったみたいに彼女達は今の人生を生きている。
(じゃあ俺は? どうしたらいい?)
ただの、一般人だ。こんなことなど何も縁がない、ただの、至ってどこにでもいるガミガミ親父だ。
名護市内のコンビニに立ち寄り、トイレ休憩を挟んだ。
それぞれが欲しい物を店内で購入して車へ戻った。
ブラックコーヒーが一つ、ミルク入りの珈琲が一つ、それからハッカ味の飴玉と、使い捨てカメラが一つ――
「お前、カメラなんて買ったのか?」
珍しい、と目線を上げた仲村渠は、同じ妻の視線とぶつかる。
「あら、あなた、ミルク入り珈琲を買ったんですか?」
珍しい、と妻が口許に手を当てた。
彼は「うっ」と言葉が詰まる。
「俺はだな、その、胃のことを考えて……それよりも、どうしてカメラなんて買ったんだ?」
妻がカメラを買うというのは、仲村渠には予想外のことだった。
すると彼女が「変かしら?」と小首を傾げたので、彼は「いや、いや、いや」と慌てて取り繕った。
「別に変じゃない、変ではないぞ。ただな、写真に残しておきたいことなんて、あったかなと少し思ってしまっただけで。そんなに深い意味はないんだ」
「どうしてあなたが焦っているんです?」
妻は、ふふっと楽しそうに笑った。
「だって、あなたとこうして時間を気にせずにドライブできるなんて、あの頃以来だから、私、本当に嬉しいんですよ。ついつい写真が欲しいと思ったものですから」
彼は悩み、少し考えた。
はたして〝カメラに残るのだろうか〟と――。
そう仲村渠が運転席で悩んでいる間にも、妻は袋を破り、中から使い捨てカメラを取り出して説明書に目を通していた。
「ほら、まずは始めの一枚を撮ってみましょう」
「えっ、今か? ここでかっ?」
「ほらほら、もっとこちらへ寄ってくださいな」
戸惑っている間にも腕を引かれ、気付けばパシャリとフラッシュが光っていた。
妻は外が明るいというのに、どうやら見よう見真似でフラッシュの設定ボタンを押していたらしい。
一瞬、二人の顔に眩い光が差し、仲村渠は「うわッ」と声を上げ、妻が「あらまっ、目を閉じてしまったわ」などと大きめの声を上げ、それから可笑しかったみたいに声を上げて笑った。
「やっぱり、自分で撮るのは難しいわねぇ」
仲村渠は、しばし妻を見つめた。
「お前、ずいぶん明るくなったんだな」
そう感慨深く呟くと、彼女は不思議そうに夫の視線を受けとめた。
「あなたはなんだか、私のお父様に似てきたみたいよ。血は繋がっていないのに、不思議ねぇ。ほら、その眉間の皺、そっくりですよ」
「まぁお互い歳は取るもんだからな。お前がそう言うのなら、俺はお義父さんに似てきているのだろうな。これからもっと似るに違いない。それならお前は、お義母さんに似るんだろうな。あの人も、おっとりとした人だった」
仲村渠は、言葉を噛みしめた。
妻がカメラを鞄にしまいながら「私はまだ若いわよ」と頬を膨らませる。
「あなたったら、ずいぶん後の話しということでおっしゃっているんでしょうね?」
「もちろんだ」
仲村渠慌てて言い、そして機嫌を取ってすぐ溜息をこぼした。
「女は難しいなぁ」
「ふふ、聞こえていますよ。当然です、だって少しでも長く、若くいたいじゃない」
「美のことか」
「違いますよ」
妻はきっぱとり言った。
「あなたと、少しでも長く一緒に過ごしたいからですよ。仕事をされている時は、二人の時間は少なかったですからね」
妻は、可笑しそうに目元を綻ばせていた。
「これからは一緒だと、私、申し上げましたでしょう?」
記憶が、彼が知っている直前の妻と一瞬、ごちゃまぜになっているのを感じた。
お仕事お疲れさまでしたと妻に、最後の出勤の帰りを温かく出迎えられた。その時を思い出した仲村渠は、鼻がツンとしたが、涙なんてものは我慢した。