15.心
「うちの姉がご迷惑をお掛けしました」
「ごめんなさい。なんかわかんないけど、私が悪いことしていたようで」
翠に後頭部を押さえつけられ、謝ってる最中。
相手は島田さんと川村さんだ。ホント、俺、なんか悪いことした?
「ごめんなさい。自覚の無い姉がご免なさい」
「い、いえ、いいのよ! なんとも思ってないし!」
「むしろわたし達が、誤解を招くようなことしたみたいだし!」
島田さんと川村さんの教室に乗り込んで……もとい、お邪魔してのお詫び大会である。
見覚えがあるお姉様方も、チラホラと俺の醜態を見ながらヒソヒソ話をしている。
「そ、それにしても、如月さん、何かすごく強そうなんだけど、空手とか格闘技でも習ってたの、かな?」
川村さんの頬が引きつっているように見える。
「えっと、島に鹿がいてまして、害獣なんですよ鹿って。そいつらを定期的に間引いてましてぇ……。罠が主流ですけど、大型のナイフとかも使ってました。あいつら百㎏はあるしね、結構なケースで格闘戦になるんスよ。その経験かな? あそこじゃナイフと鉈は常備品なんスよ」
あと、一人歩きも基本ダメなのな。
「えーっと、その際、鹿さんは最後どうなるんでしょうか?」
島田さんの笑顔は作り笑顔みたいだけど、綺麗です。
「鹿の最期ですか?」
「最期って漢字を使わないで!」
「いやっ! 言わないで! 聞きたくない!」
よくわっかんないけどぉ、俺は島田さんと川村さんにフラレたらしい。しょぼーん。
「姉に何かされたら、わたしの所へ来てください。責任を取らせますので」
「妹ちゃん、責任を取らせられる実力なのね?」
「では!」
「いててて、痛いって!」
翠は、俺の耳を引っ張りながら歩き出した。かっこわるいからやめてくれよ! わかったから! もう一生浮気しないから!
「いい、お姉ちゃん。わたしは『浮気』で怒ってるんじゃないの。『イジメ』で怒ってるの!」
「はい」
ナオと同じことを言う。
俺、虐めてないんだけどなぁ。
「1から説明します」
翠のお説教は短かった。でも、言ってる意味が理解できた。
言われてみれば、ああなるほど! と得心がいった。ここんとこ、親父の説教と雲泥の差がある。親父が泥水で翠が雲上人だ。
相手が、今どんな思いでいるのかを考えながら行動しなさい、ってことだ。
そんなの言われなくとも解ってる、つもりだったけど、どうも認識にズレがあったようだ。今後気をつけながら行動しよう。
人の心が解らない人間は……
「……」
「お姉ちゃん、今何か考えてる?」
「……うん。ちょっとね」
俺にとって、最も恐れること……かもね。
帰ったらナオに――
「翠に相談して!」
俺は違う。俺には、俺のことを真剣に考えてくれる人がいる。
「帰りに付き合ってくれ」
「うん!」
翠は間髪を入れずに頷いてくれた。
嬉しい。
で、放課後。
吉田とかと寄ったことのある駅前のジャズ喫茶で、お茶を嗜んでいる美少女が2人。
俺はアイスコーヒー。翠はミックスジュース。噛まずに言えた。
俺も翠も、真っ直ぐな白いストローで、グラスの中身をかき回す。氷が綺麗だ。
「それで、お姉ちゃんのお悩みはなにかな?」
翠が口を開いたのは、2人とも一口ずつ飲み物を口にしてからだ。俺から話しかけないからだ。気を遣わせてしまった。
「甘えていいのよ」
その言葉に俺は弱いようだ。
でも「それ」を言葉にする勇気が足りないようだ。俺はまだ口を開くことが出来ない。
店内を流れる音楽のボリュームが上がった。
店長は、カウンターの奥へ引っ込んで、ギターをつま弾きだした。
……俺は、ああいう大人になりたい……。
俺の中でスイッチが入った。
「翠から見て、俺は人の心を蔑ろにする様に見えるかな?」
「さっきのこと? ……父親の事ね?」
そうだ。
「俺は、なんだかんだ言っても親父に育てられた。親父の価値観を受け入れたつもりはないけど、影響を受けてないはずがない。そして、血が繋がっている。俺にそんなつもりはない。だけど、アイツに似てしまっていたらどうしよう? 俺、一人前に人の心を持ってるかな?」
翠の目を覗き込む。自然と上目遣いになっていた。
「うん、お姉ちゃんは全然違うよ!」
返ってきた答えは、とても元気な声だった。
「お姉ちゃんは高望みしすぎなんだよ。……わたしを見てみて! 13歳に見える?」
「……うん、13歳に見える。けど?」
何を言ってるのか解らん。俺やっぱ人の心が解らない人間なのかな? 親父の子だからかな?
自信がない。
「お姉ちゃんはわたしそっくりよね? わたしが13歳に見えるなら、お姉ちゃんも13歳に見えるはずだよ」
13歳? 中学1年? わかんない。
「わたし達は、まだ子供なの。お姉ちゃんは大人っぽいけど、まだまだ子供っぽいところもあるよ。お姉ちゃんは、自分が思ってるほど大人じゃない。だから、わたしもお姉ちゃんも、まだこれからの人だと思うんだ」
んーん?
「だって、わたしも人の心なんか解んないし。でも、相手を解ろうと思い生きていくつもりだけど? お姉ちゃんは違うの?」
「そんなことはない! 俺だって、人の気持ちを思える人になりたい!」
親父みたいにはなりたくない! 人の心を持たない人間になんかなりたくない!
「あの父親はもう大人。わたし達はまだ子供。未来はたくさんあるから」
「俺、自信がないんだ。俺、あの人を見てきて育ったから。心が足りないんじゃなかろうかって」
「お姉ちゃんに心はあるよ。たくさんあるよ。あの人とは違う。だって、お母さんのために泣いてくれたじゃない。わたしのために悩んでリングを選んでくれたじゃない。あの人は泣いてくれる? あの人は悩んでくれる? どうして、心がないなんて言うの? 思うの? お姉ちゃんの心は、そこに――」
翠の手が伸びてきて、俺の胸を突いた。
「――あるじゃない!」
翠の指先が……胸に……残る感覚。
翠の思いが、この感覚と一緒に伝わる。
翠は、俺のために、一生懸命考えてくれているのが解る。
翠が、俺を励まそうとしてくれているのが解る。
翠の心が解る。俺に優しくしてくれている。心が解る。
「翠の心が解る」
「ほら、解るじゃん! お姉ちゃんは優しい人なんだから。わたしとお母さんは解ってるよ。んー、たぶん、睦月君も解ってると思う。あと、睦月君のご両親も」
翠は――優しさをベースにすれば、その心が解る。
ナオは、スケベをベースにすれば、その心が手に取るように解る。
「うん、なんか、……こう、腰がストンと落ちるところへ落ちた。そんな気がする」
言葉にしにくいけど、……安心? できたのかな?
「そうだ! 良いこと思いついた!」
翠のお顔が輝いている。何を思いついたんだろう?
「マスター! もう一本ストロー頂戴!」
え?
何するの? もしかして!?
マスターは、無言でストローを持ってきてくれた。曲がるストローだ。それも2本! 気が利く!
「ほい!」
これが2本差しかー。いや、裏の意味はないけど。
恋人飲みだー。
憧れの恋人飲みだー。
翠と俺は、ニコニコしながらストローを曲げて、口に含む。
ふと気になって、カウンターの中のマスターを見た。
マスターは、菩薩様のような笑みを口元に浮かべ、ギターのチューニングをしていた。
次話で、一旦区切りとさせて頂きます。




