3.ブラックコーヒー
中間テスト月曜開始を控えた土曜日の昼過ぎことだ。
朝からずっと雨だった。
テスト前なので、翠ン家でのお泊まりは無し。テスト勉強に専念するためである。
……お母さんから「碧と翠が顔を合わすと勉強しないだろうから、今週はパスしなさい」とお達しがあった。母親してくれていて嬉しい反面、翠とイチャコラできなくて残念なのが半分。……いや、母親してくれて嬉しいのが7割かな? 6割? 5割?
でもって、夜の追い込み用お菓子の補充と気分転換を兼ね、駅前のケーキ屋さんへやってきた。温かくなってきたので雨もまた楽し。傘をさしながらブラブラとお散歩気分だ。
いつぞやロリコン詐欺師を騙すときにコーデしたパーカー+超ミニスカ+ごついスニーカー姿でぶらつく。
最寄りの駅は小さい。改札が出入り口を兼ねている。
その改札口に、見慣れた人物が……吉田だ。アノヤロウ、性懲りもなく!
俺は傘に隠れて近づいていく。
「もういいかなって思うから白状するけどさ、俺たち付き合ってんだ」
「え?」
吉田が驚いている。虚を突かれたようだ。
話し相手は、同年齢の男女2人。
改札を挟んでホームとこっち側。男の子と女の子の2人組はホーム側、吉田は一人で外側だ。遊びに来たお友達2人組を見送りに来たのかな?
男の子はヒョロっとした真面目タイプ。女の子はストンとした体型の髪の毛ロングの子。顔もストンとしている。
「吉田君の気持ちも嬉しいけど、やっぱりスケベな子は嫌。近くにいる人がいい」
女の子は笑顔で吉田に酷なことを告げている。
吉田ってば小学生の頃からスケベだったんだ。スケベは身を助けることもあるが、扱いを間違えると身を滅ぼす。
……見ず知らずの男の子は、吉田の近くにいるミニスカの女の子の足をチラチラ見ているんだが。これは浮気に入るのかな? この年頃の男の子の目は、女性の足を自動追尾するシステムになってるから仕方ないね。
「お、俺はもうスケベじゃない! 紳士になった!」
「なあ吉田、彼女の一人でも出来たか? こっちは都会だから、すぐにでも彼女を作るって言ってたよな?」
「う、うん、それは……」
斜め下を向く吉田。コイツに彼女いないし。俺にフラレたばかりだし。スケベだし。
「吉田みたいなヤツを好きになる女の子がいたら、顔を見てみたいものだな。はははは!」
突然フラッシュバックが起こった。親父が俺に言った言葉。「お前なんか信用するヤツがいるか!」。憎々しげな親父の表情。ひん剥かれた目。愛想笑いをする惨めったらしい俺……。
男の子は女の子の腕に腕を絡めた。
女の子も笑っている。嘲笑というヤツだ。なるほど、この2人、吉田を馬鹿にしに来たのか。
腹立つなぁー、もうー!
「お喋りはもういいかな吉田君? ずいぶん早いね? なんで?」
声をかけた。意味ありげな台詞はわざとだ。
俺はすぐ側まで来ていた。傘で上半身をすっぽり隠していたから、気づかなかったのだろう。それ以前に吉田は俯いていたから気づくはずもないか。
お友達がチラチラ見ていたスカートの女の子。残念! それは俺だ!
「お、俺は友達を見送りに……如月さん! なんで?」
恥ずかしいところを見られたと思ったのか、吉田は悲しそうな程顔を真っ赤にする。
「なんでって、私は初めての場所だから下見を兼ねて早く来ただけさ。それよりも――」
俺は、お友達の男の子の顔を間近でじっと見つめる。それはもう情熱的に。頬を赤らめる少年。美少女に見つめられて照れている模様。
そして、目を逸らし、横の女の子の顔を見る。目は半眼に。
「フッ」
視線を逸らし、小馬鹿にして笑う。最近膨らんできたお胸を強調して。
素朴な顔の子を笑う美少女の図。女の子は差を見せつけられて怒ってる。
ごめんね、女の子。
「吉田君のお友達かな?」
お友達の男の子に笑いかける。ナニする時用のとびきりな笑顔で。
「え? はい! 俺……僕は吉田君の小学生の頃の友達で――」
「吉田君!」
話しかけているお友達を無視して、吉田の方に向き合う。
「ちょっと早かったけど、こうして顔を合わせたことだし、行こうか?」
「行こうって?――」
俺は、吉田が二の句を継ぐ前に腰を腕で引き寄せ、自分の腰にぶつけた。身体半身どうしがくっついている図である。
それを改札向こうの素朴なカップルに見せつける。さっきからの意味深な台詞もあって、2人の関係は誤解されるだろう。
「吉田君のお友達君。申し訳ないが、今日は記念すべき10回目のデートなんだ。彼をいただいていくよ。じゃ!」
軽く傘を上げる。手を振り返してくれるお友達。怒りの目を俺とお友達2人交互に向ける女の子。
俺は吉田の腰を抱き、一つの傘で、相合い傘? しながら引っ張っていった。
「あ、あの、如月さん……何であんな事を?」
駅から離れたら、すぐに吉田を傘から蹴り出した。
吉田は濡れたまま、俺と並んで歩いている。傘持ってるのに。
「見かねてね。勘違いするなよ。お金は持ってるかな? 持ってる。よろしい。お礼はそこの喫茶店でいいや」
「も、もちろん。でも千円以内に抑えて欲しい」
入ったはいいが……ずいぶん古い喫茶店だ。
紫色のコールテン生地の椅子。ガラストップのテーブルにはビニールのクロス。
100円入れると占ってくれる、小さい地球儀の、なんか可愛いのが置いてある。
店内に流れる音楽はジャズ。
注文を取りに来たマスターは、モジャロン毛のモジャ髭の黒丸眼鏡にジャラジャラネックレスだ。指には指輪がいっぱい。格好いい!
「えーっと、私はコーヒー。ホットで。吉田は? ホットミルクで良いか?」
「俺もコーヒーだ!」
無理しなくても良いのに。コーヒーは苦いんだぞ。
「あの、改めて、あの、如月さん、さっきはどうもありがとう。お陰で恥をかかなくてすんだ」
ずいぶんと殊勝な吉田。おしぼりで濡れた身体を拭いている。
「私は、ああいう手合いが嫌いなだけだ。吉田も何か言い返せよ。普段なら10倍は言い返していたはずだよ」
「俺、ショックで頭ン中が混乱していて……仲良かったんだよ。田中も、細川も……」
おしぼりを握りしめている。
「俺、細川が好きだったんだ。それ、田中にだけこっそり打ち明けてから引っ越ししてきたんだ。だのに……なんでだろうね?」
「さてね。友達と言いながら、吉田のことがなんか気に入らなかったのか? それとも吉田の何らかが羨ましくて見返してやりたいと必死で考えた結果なのか? どうせなら羨ましい説をとろうよ!」
「羨ましい?」
「そう、あの子達は吉田を羨ましいと思って、浅はかな行動に出た。同窓会へ行く前にそれが判ってラッキー!」
コーヒーがやってきた。純白のコーヒーカップに銀のスプーン。
俺の前に一つ。指で引っかけるところを俺の右手側に回してから、吉田にもコーヒーを。マスターは、同じ事をして、何も言わずカウンターの中へ入っていった。
そして、音楽のボリュームが少し大きくなった。
俺たちの声がマスターに聞こえない程度に大きくなった。
マスターはギターを取り出してひき始める。俺たちの会話に興味ないから存分に喋ってねって、メッセージかな?
「優しいね、如月さん……」
優しくしたのはマスターか、コーヒーの香りか。俺じゃない。
「俺、やっぱり如月さんのことが――」
「ストーップ! それ以上言うな。答えは決まってるだろ? それ以上の言葉を繋ぐと、空しくなるよ」
吉田は俯いて黙ってる。いつものように頬を赤くはしていない。
しかたねぇな。
「今の私は、男女の恋愛に興味がないんだ。友達同士で遊んでるのが楽しくてね。島育ちだからかな。賑やかな今が気に入ってるんだ」
本当の理由はアレだけど、半分くらいは本当のこと。
島じゃ、ナオしかいなかったからね。仲が良くて楽しかったけど、寂しさはあった。
「だから、あと4年かな? 4年ばかり勉強に友情に青春ってのを謳歌したら、色恋にも目を向ける『かも』しれない。4年後だったら可能性が僅かに有るはずだから、その時にもう一度声をかけてくれるかな? いい人が横にいてなければ、ワンチャン?」
最大限の譲歩と希望を見せてやったのに、吉田は落胆している。うん、俺が男と好いたのなんだのな仲には絶対ならないから、吉田の可能性は0なんだけど、落ち込んだ男心には微量でも希望が必要だ。と、思う。
吉田は、なぜか前より落ち込んでいる。なんかマズったかな?
話が途切れたので、コーヒーを啜る。ン苦ぁい!
「コーヒー飲めよ。冷めると香りがなくなるよ」
吉田と苦いのを分け合おう。
「うん」
吉田は飲もうとしない。さては苦いのを知ってるな!
「如月は……睦月のことが好きなんだろう? それを誤魔化してるんだろう?」
あー、そう来たか。
「うーん……」
唸りながら、眉根に皺を寄せながら、大人の香りと苦みを味わう。
「教室でも一緒に勉強したり、どう見ても恋人だよ」
「うーん」
俺は唸ってばかりだ。どれほど言葉を尽くしても、俺とナオの関係は、第三者にとってそのようにしか映らないのだろうか。
「誰にも言わないか?」
「あ、ああ」
吉田の顔は落胆を通り越して絶望の色に染まっている。ぶっちゃけ、土気色になってる。
「ナオは好きだ」
吉田の口が開いた。おそらく無意識に。
「でも、恋愛とかじゃない。友達としてでもない。一言で言うと、私はナオに兄姉の情を持っている。それも双子の情だ。近親者で愛だとか恋だとか、ましてや吉田の好きなスケベな感情は全く湧いてこない」
「いや、俺は、スケベを止めたし!」
「まあまあ」
俺はニヤニヤ笑って、吉田の真剣さをはぐらかす。悪い女だ。
「大人になって、ナオが家庭を持つ。可愛い子供もいるだろう。でもって、その頃は私も家庭を持っているだろう」
ナオの相手は可愛い女の子だ。子供も生まれている。俺の連れ合いも女の子だ。子供はいない。ナオの選ぶ連れ合いなら、俺のことも理解してくれるだろう。
そこに偏見の入る余地はない。
「2つの家庭が一緒にキャンプへ行ったり、温泉旅行したり、……子供の運動会を見に行って応援したり。ずっとずっと、そんな関係でいたい」
そんな関係でいられるかな。いられると良いな。
俺は、苦いコーヒーに口を付ける。だいぶ温くなっていた。
「私、建築系の仕事をしたいんだよね。でも私、数学苦手だから。だから数学の得意なナオに聞いているんだ。私ね、建築系の大学へ行くつもりなんだよ」
そして、社会人になって、ノリ子さん達に借りたお金を返して、お母さんと翠を呼んで一つの家に住む。
「大学で2級建築士の資格とって、大きな建築系企業へ入って、仕事しながら1級建築士の資格とったらさ、会社辞めて、市役所の土木課に勤めるつもりなんだ」
あかん! 一気に将来の夢を語ってしまった!
吉田は、おこちゃまの頭で理解してくれるだろうか?
吉田は、はじめてコーヒーの取っ手に指を入れた。
「如月さんって、大人なんだね……」
そしてコーヒーを飲む。温くなってるだろうに。
意識を何処かにやった目をしたまま、コーヒーを一口飲んだ。そして、角砂糖の入った小瓶の蓋を取った。やっぱり苦かったんだ。
「如月さんの前じゃ、俺なんて子供だね。大人の女の人にとって、子供な俺は恋愛対象外なんだよね」
「……そうとも言う。少年、早く大人になりたまえ」
ノリ子さんが言ってた。こういうとき、ヘタな慰めをしてはいけないって。
吉田は、角砂糖の容器から手を離した。
残りのコーヒーを一気に飲み干す。
苦みに酷い顔をしている。
俺は窓に顔を向けて、吉田を見ない様にした。
外はまだ雨が降っている。




