26.リ・ボーン
「本編」の最終回です。
翌日は金曜日の平日。だっっっるい学校。
そんな中、文月先生は平然としておられた。孤高の美であらせられた。おとなのじょせいはひとあじちがう。
吉田は……修行が足りないのか、スケベ文言はなくなったものの、チラチラと俺の顔と腰を伺い見る。
なんか、特別な関係感を出したそうにしているが、そこはそれ、おれもおとなのじょせいだ。しれっと無視しておく。ナオは笑いを堪えていたが。
そんでもって、朝一番に翠と会っていた。明日、出来るならお泊まりして帰りたいと。無理なら夕方まででもお邪魔したいと。
翠は、俺の態度から何かを感じ取っていたようで「うん」と一言いった後、その件に関して何も突っ込んでこなかった。お昼もいつもと同じだった。
優しい子だ。良く気がまわる子だ。
放課後。
明日香に残ってもらった。
「何かあったの碧? 教えて欲しいことがあるって?」
「うん。私ね、いよいよ本格的に裁判? みたな? のを起こして、如月姓から葉月姓に変える予定なんだ。明日香は、その、姓を母方に変えたって言ってたけど、時間はかかったのかな? あと、違和感はなかった?」
「無かった。私の場合は虐待が立証されたから、すぐに変えた。……えっとね、もっと詳しく言うと、変えるまでの僅かな間も水無月姓を名乗っていたわ。だって一瞬でも吉沢姓なんか名乗りたくなかったし、あーあ、今思い返しても気持ち悪い!」
「嫌なこと思い出させてごめんよ!」
明日香は両肩を抱いてブルルと震えた。よっぽど嫌だったんだろう……そりゃそうだわな。あんな事されたんだし。
「いいのよ、済んだことだし。少しずつ気持ち悪さも減ってきてるし。それと、名字を変えた事による違和感はなかったよ。それは吉沢姓が嫌いだったからだろうね。……いきなり無月って呼ばれても、すぐに返事できてたし」
吉沢って何処かで聞いたような気がするが? まいっか、明日香が笑ってるし。俺も笑っておいた。
「私は、良くも悪くも如月姓に確執はないかな? 名字を変えるのは決別のため。今までの自分にケリを付けるため、楽になるためなんだと思ってる」
「でもちょっと残念。だって、碧は如月ってイメージだもん。王子様っぽい語感だしね」
「王子様かぁー」
いつまで王子様を演じていられるかなー?
「葉月碧も良い感じ。でも、ちょっと女の子っぽいかな?」
「あー、うー、女の子かぁ」
そんな頭の悪い言葉しか口から出なかった。
そして、土曜日。
昼前に葉月家を訪れた。
普通にお昼ゴハンを食べ、お茶を飲んでまったりとした時間が訪れた。
おっと、このままではいけない!
「折り入って2人に相談があります」
俺は、そう切り出した。
俺は話した。
文月先生のことは隠した。
新しく俺が悩んでいること。新しく俺が恐れていること。そして、本質的に俺が欲いもの。それは――
「改めて言うけど俺は、翠が好きだ。愛している」
「わたしもよ、お姉ちゃん」
何事かと固唾を飲んでいた翠が破顔一笑した。でも安心するのはまだ早い。
「でも、妹であって欲しい。えーっと、解るかな? ややこしいんだけど……聞いて欲しい」
俺の雰囲気にただならぬものを感じたのか、お母さんと翠が居住まいを正した。
「お母さんも好きだ」
「え?!」
お母さんが驚く。
「お母さんは、お母さんとして好きだ。もうどこへも行ってもらいたくない!」
「どうしたの碧、いきなり? お母さんはどこへも行かないわよ? 碧!?」
「お、お母さん!」
俺はお母さんに抱きついた。
「俺、もう一人で生きていくのは嫌なんだ」
あの親父と一緒に暮らしていて孤独だった。2人で暮らしていて、より孤独を噛みしめていた。誰も俺を思ってくれる家族はいなかった。
ナオ達は違うんだ。よくしてくれているけど、家族じゃない。
「俺、翠が好きだ。恋人でいたい。でも『妹』も失いたくない。家族を失いたくないんだ!」
俺は贅沢を言っている。我が儘を言っている!
「お母さんが好きだ! お母さんから翠を奪ってしまわないだろうか? 俺は、お母さんに何も失ってほしくない!」
顔を母さんの胸に埋めた。体が勝手に動いた。心が勝手に体を動かした。
「嫌なんだ! 俺はこうしてお母さんに甘えたいんだ! 離してほしくない!」
「は、離さないわよ。もう碧を離さない。ごめんね碧、お母さんは一度碧を離してしまった。それで苦労をかけて……こんなになっちゃって……」
「お母さんが欲しい! 翠も欲しい! 妹も欲しい!」
「お姉ちゃぁん!」
翠が背中に抱きついてきた。
「俺は家族が欲しい! 離したくない! お母さんを離したくない! 妹を離したくない! お母さんも翠も妹も、みんなみんな離したくない。みんな欲しい! 全部欲しい!」
あ、ああああ、ああ、何かが壊れていく。崩れていく……。
「あ、あああああ! うわあああ! 俺、もう、どうにかなりそうなんだ! 嫌なんだ! 親父が嫌だ! 親父と過ごした時間が嫌だ! こんな俺が嫌だ! なんでこんななんだよ! 俺は! なんで男じゃないんだよ! なんで女じゃないんだよ! うわぁぁぁ!」
泣いた。俺は泣きじゃくった。お母さんの胸に顔を擦りつけて……お母さんが両手で抱きしめてくれた。
「もっと強く抱いて! 俺を強く抱いて! お母さん!」
「お姉ちゃん! 翠もいるよ! 翠は、今のお姉ちゃんが好きだよ!」
「翠ッ! 翠も抱いてくれよ! 翠に甘えたい! お母さんに甘えたい! 甘えたい! 甘え足りない! もっともっと!」
「お姉ちゃん!」「碧!」
翠とおお母さんが、力一杯俺を抱きしめてくれる。でも足りない。俺はもっと欲しい。もっともっと……。
「ふぅえぇぇーん!」
俺の泣き声が変になった。なんか赤ん坊のような声で鳴いている。
「ふえーん、ふえーん!」
頭が、考える力を無くした……
どうやら、いつの間にか眠ってしまったようだ。
俺は晩ご飯を食べている。
涙で腫らした目で。
お母さんの膝に抱っこされて。
「はい、あーん」
口にスプーンで運んでくれるのは翠だ。妹だ。
もぐもぐと口を動かしては、お母さんの胸に顔を擦りつけ、汚し、またアーンする。だって美味しいから。
「いっぱい食べるのよ碧」
お母さんは俺の汚れた口を拭いてくれる。優しくされて、甘えたくなって、またスリスリする。
「甘えたさんね、碧は」
「お姉ちゃん、むっちゃカワイイ!」
頭を撫でられ、それがなんか嫌でまた泣いた。
また眠たくなってきた。
お風呂に入っていた。またいつの間にか眠っていたようだ。
素っ裸で、お母さんにくっついていた。
「はい、ちゃんと洗ってもらいましょうね」
お母さんのお膝におっちょんして、見上げると翠がタオルを手にしている。
お母さんも裸だ。翠も裸だ。
かくいう自分は……おそらく碧の記憶であろう。傍観者のように成り行きを見つめているだけの存在。
泡立てたタオルを持った翠が、俺の体を洗ってくれる。
「は-い、耳の後ろも洗おうね! 良い子だから、むずがらないの!」
首を胸を、各所が洗われていく。
「はーい、こっちいらっしゃーい!」
「んー」
俺は翠に抱っこしてもらう。
「背中は母さんが洗ってあげましょうねー」
ヤワヤワと背中が擦られる。
こんな感じで、俺は翠とお母さんに体を洗われていくのだった。
「はい、湯船に浸かって」
お母さんのお膝に座って、湯に浸かる。
「わたしもー!」
翠が入ってきた。ざぶざぶと湯が溢れる。
俺は手を伸ばし、翠の頬に触る。柔らかい。
にこにこ顔の翠。
首を捻ってお母さんの顔を見る。
「ここにいるわよ、碧」
お母さんの嬉しそうな顔。笑顔だ。
俺はお母さんの胸に首筋を当てて甘えた。
湯が熱くて、それが気に入らなくてまた泣いた。
風呂から出て、またぐずった。
パジャマを着るのが嫌みたいで、ぐずった。パジャマに締め付けられそうで嫌だった。
泣いて……
目が醒めると、寝ていた。
ベッドの上で。
部屋は明るい。
お母さんのにおいがする。
お母さんが横で寝ていた。俺を見ている
反対側には翠が寝ている。俺を見ていた。
おかあさん、おかあさん。
俺はお母さんの乳房を求めた。
お母さんは、それに気づいてくれたようだ。
俺は一生懸命貪り付いた。ムグムグと口を動かし、おっぱいを吸い上げた。
んぐんぐ、んぐんぐ……
いつの間にか眠ってしまっていたようだ。
目を開けると、部屋は暗くなっていた。
お母さんと触れていない。
俺はお母さんにしがみついた。ギュッとしがみついた。
お母さんも抱きかかえてくれた。
目を覚ましたのだろう、翠も後ろから抱きしめてくれた。
「もっと!」
俺は声に出してせがんだ。
もっと、もっと、もっと強く……。
明るさに、目が醒めた。
朝になっていた。
むくりと起きあがった。
「あれ?」
どうやら俺は裸で眠っていたらしい。
お母さんは……胸元を乱して眠っている。
なんか、俺、お母さんのオッパイを吸ってたような……?
無性に恥ずかしくなって、お母さんの胸元を整える。
「あら、碧」
お母さんを起こしてしまったようだ。
「おはようお母さん。俺、なんだか、長い夢を見ていたようだ。あふぁ……あーあっ!」
ぐっと背伸びをする。大きな欠伸が出た。
「ポッチみーっけ!」
「うひゃい!」
後ろから手が伸びて触られた。翠の悪戯だ。
ってか、俺、なんで裸?
翠がいざり寄ってきた。両腕を広げて俺を抱きしめてくれた。
歪な愛だと知っている。でも俺は翠を離したくない。俺も翠の細い腰に腕を回す。頬を翠の髪に擦りつける。
お母さんが後ろから抱いてくれた。俺たち兄妹を包み込むように、優しくそっと。
俺はこれから、家族と話し合わなければならない。恋人として翠と話し合わねばならない。
いや、話をするんだ。
そして、家族と翠に想いを伝え、家族と翠の思いを聞く。
結果、どうなるかまだ判らない。
これからだ。
俺はこれから家族を作るんだ。
いつか、家族は崩壊する。
そして、家族は再生される。
いろんな問題が残ってる。勘違いもするだろう。そもそもが歪な関係なのだ。不安定なことこの上ない。
でも、確かなことがある。
翠は、俺の恋人であること。
俺は、翠の恋人であること。
翠は、俺の妹であること。
俺は、翠の兄であること。
お母さんは、俺を大事にしてくれるお母さんだってこと。
そして……
俺は男だってこと!
―― 第2章 迷走編 お終い ――




