13.信じたいこと
「はい、碧です。……はい、はい……はい↑ 分かりました。すぐ走ります」
スマホを切る。切れたのを確かめる。まえに切ったつもりで繋がったママという失態を犯した事がある。それは恥ずかしいので生涯の秘密だ。確認作業は大事だと身をもって知った。
「なんだ? 出かけるのか?」
「うん、葉月家に来いって」
「もつれたのか?」
「来てから話すって。ノリ子さん、声は明るかったから、良い方に転んだんだと思う。ちょっくら行ってくるわ」
そうは言ったが、居ても立ってもいられない。大急ぎで飛び出した。
本土復帰と同時に買ってもらったマウンテンバイクに跨り、颯爽と走る。ちなみに、ナオと色違いでお揃いだ。俺が青でナオが赤。
町ですれ違う男の目がサドル付近に突き刺さる。黒のミニスカートのままだからな。内股で漕ぐのって面倒くさいし効率が悪い。――立って漕ぐッ! 後ろから視線。今度はケツか!
葉月家の呼び鈴を押す。
だだだだっ! と足音。翠だ。スカートだ。しゃがんだ。
「お姉ちゃん!」
翠は明るい表情だ。悪い話ににはならなさそうで一安心。
あの時、翠は戦闘態勢に入ったネコの目をしてたからな。
「先に上がって!」
言われるまでもなく、焦る俺は階段を駆け上がる。ふと振り向くと、翠がスゴイ速度で首を横に向けた。
「覗いていたな!」
「くふっ」
顔が赤いぞ。
「それは後で」
ブンブンと激しく首を上下させる翠。……女の子にも、おパンツの神通力が通用するようだ。
「茜さんの悪戯が過ぎただけなのよ」
ノリ子さんが呆れた顔をしている。
狭いリビングテーブルに4人が腰掛けていた。ノリ子さんの解析報告会だ。
「だって、碧ってすごく頼りになるんだもの。『母親』としてドキドキしちゃった!」
お母さんが笑っている。おとなのよゆうってやつだ。
「まさかよ。翠があんなに嫉妬深いなんて知らなかったわ」
「もぅ!」
翠がプクッと頬を膨らませて、横を向く。
「その顔、むっちゃ可愛い」
翠は、満更でもない表情でプクッを続けた。
「あなた達をからかうつもりで『お嫁さん』を持ち出したんだけど、あそこまでウケルとは、お母さん、思いもしませんでした」
お母さんはコロコロと笑う。くっそ、まいったね。
「俺としても、お母さんはお母さんであって欲しいしね。そんなのごめん被るよ。俺は、恋愛とかじゃなくて、子として母に甘えたいの!」
「キャー! 可愛い! 甘えて! 甘えて!」
「ぶわっ!」
向かいに座っていたお母さん。立ち上がって腕を俺に頭に回し、胸元で抱きしめられた。
そうなんだ、お母さん。俺はこうやって親に甘えたかったんだ。
俺もそっと腕をお母さんの背中に回し、緩ーく抱きしめた。
「お母さん。大好きだよ、お母さん」
お母さん。その言葉の響き。お母さんだ。……当たり前だけど……今はそれがいい。
「あー、いいないいな! お母さんいいなー! 翠もうにゃうにゃうなうな!」
翠が赤ちゃん化してしまった。
「ははは、こっちおいで翠」
お母さんと離れ、俺は膝をポンポンした。
「もっらいっ!」
翠が俺の膝にオッチョンする。柔らかい感触。暖かい感触。そして――、
「うん、重い」
「えぇーっ! 重くないよー!」
翠は腰を浮かした。浮いた腰を腕力で戻す。
「翠は軽いよ。現実を感じさせる重さだって意味。こうやって、重みを感じるから現実なんだって思えるのさ」
「ふーん」
横座りの翠は、腕を俺の首に回し、胸に引き寄せた。俺のおでこに自分の顔を擦りつけてくる。ネコのマーキングか? もっとしてください。
「それでは、一旦落ち着いたことだし、わたしは帰るよ!」
ノリ子さんが腰を上げた。バッグを持って帰ろうとする。
「あ、俺も帰る」
「もうちょっといようよお姉ちゃん!」
「そうよ、どうせなんだから……って、もう薄暗くなりかけてるわね」
翠とお母さんが引きとめかけたけど、外が薄暗くなりかけている。お母さんは引き留めるのを止めた。
こういうところ、母親してくれて、嬉しい。俺を思いやってくれる人がいる。嬉しい。
「じゃあ、翠、明日学校で」
「うん!」
「お母さん、またね。土曜日泊まりに来るわ」
名前を呼ぶ順番を間違えてはいけないのだ。翠を後にすると、焼き餅が始まる。
「ええ、土曜日、楽しみにしてるわ。碧……」
お母さんはスッと眼を細め、にっこり笑う。お母さんは笑顔で何でも誤魔化せるからいいな!
で、睦月家にて。
ナオに事情を説明し、苦笑いされた。おパンツを見せて謝っておいた。
その後、ノリ子さんと2人で復習のため話し合いの場を持った。
「碧ちゃんはどう思う?」
「お母さんを信じたい。態度も、笑顔も、お母さんだ」
お母さん、俺に恋している説全否定。
「お母さんの目。覗いた?」
「……俺を見る目が色っぽい時がある。そんな気がする。気にしすぎてるからかもしれないけど……子供が愛しくてあんな目をするのかも、だけど。俺、まだその辺のこと解らないや」
俺、大人っぽいこと言ったり考えたりしている自覚有るし、それは自然に出てくる言葉や考えなんだけど、まだ12歳と11ヶ月なんだ。知らないことが多すぎる。
「ノリ子さん。逆にノリ子さんは、どう見ましたか? 同じ大人の女性として解るでしょう?」
「わたしもねぇ……。10年という田舎暮らしだったからねぇ。女の間で揉まれてないのよ。初心なおばちゃんなのよ。うーん……」
10年、あの島に閉じこもっていたからか。……ちなみに、ノリ子さんだけはひっきりなしに本土と往復してたから、俺らよりは世情に詳しい。
船は月一だけど、自衛隊の水上飛行艇が、練習で良く来るんだ。そこに乗せて貰っていた。
……なんでマメに自衛隊機が来るんだろう?
「うーん。半信半疑ね」
「ちょっと待ってくださいよ。振り出しに戻る、ってだけは嫌ですからね」
「でもね、これだけは言えるの。どちらにしても、茜さんは碧ちゃんのお母さんなんだし、茜さんは、碧ちゃんのお母さんで良かったと思ってる、って事」
「どういう?」
「仮にお母さんが、碧ちゃんを男として好きになっていたとしても、『女』としての行動には出ない。ずっと、お母さんのままでいてくれるわ。だって、碧ちゃんは、お母さんである茜さんが好きなのだから。茜さんも『お母さん』として、応えてくれる。イヤァンな出来事があっても、冗談の範疇で収まるわよ。きっと。メイビー」
そんなものかなぁ?
「要は、碧ちゃんの気持ち一つよ」
「うーん……」
どうしましょう?
ってか、俺、まだ12歳と11ヶ月しか生きてないのに、……ここまででも、ずいぶんとハードな人生だぞ。




