2.葉月翠
「……というような事があった」
お母さんに会いに行った夜だ。
ゴハンも済んで、風呂上がり。ナオの部屋に上がり込んだ俺は、今日の出来事を全部、ナオに話した。翠が話しても良いと言ってたし。
俺は、ベッドに腰掛け、丸まってこわばったティッシュがいっぱい詰まったゴミ箱を引き寄せ、足の爪を切っている。あと、爪の間に挟まった垢みたいなもホジる。これ匂うと臭い。癖になる匂いだ。
「……あのなアオイ……いや、それはそれでアリなのかも?」
ナオは、目と目の間を摘んで揉んでいた。
そして、すぐに口を開こうとして、口をつぐんで、考えているような悩んでいるような、変顔をしてから口を開いた。
「2人がそれで良いのなら俺は応援しよう。それにしても、この年代の女子はませてるって言うけど、目の辺りにすると改めてスゴイなと思うよ」
ナオはおおむね賛成してくれるようだ。
「アオイは妹ちゃんのこと、どうなんだ? 本当に好きなのか? 可愛いから入って、勢いで流されて、好きになった気になってるだけじゃないのか?」
「う、うーん……」
それは……改めて言われると……。どうなんだろう?
翠の外観だけで好きになってるんじゃないと思いたい。おっぱいを擦りつけられて好きになってるんじゃないと信じたい。翠は俺のことを知ってくれている。その上で一緒に背負ってくれると言っている。
それにほだされた……とは、いえない? って事をナオは言ってるんだよな?
翠の顔を思い出すと、こう、なんてのか、笑顔にしろ、困った顔にしろ、真面目な顔にしろ、こう……愛しくて堪らない。
翠は妹なのだが、これまで一度も顔を合わせたことのない女の子だ。
俺に妹がいるなんて、夢にも思わなかった。妹という感覚は乏しいというか、全然無い。他人と同じだ。
だいたいからして、兄弟というものは、ある程度の年数、一緒に育ってこそ、絆とか情が湧くものではなかろうか?
俺とナオの関係が正にそれだ。
血のつながりはないが、兄弟と言っても差し障りはない。感覚としても、もはや兄弟なのだ。
「なあアオイ。妹ちゃんはまだ13歳。これからいろんな経験をして――スケベじゃないよ――大人になっていく。その過程で、アオイ以外の男を好きになることもある、かもしれない。その時、アオイはどうする? 傷つかないか? しんどい思いをしやしないか?」
それは、まあ、考えられることだよね……。
翠が他の男と付き合う。手を繋いでデートする。さっきみたいに、息が聞こえるほど顔を近づける。そして……。
「あ、嫌だ。なんか、嫌だ。どうしよう?」
急に胸が締め付けられてきた。下半身から力が抜けて、変な感じになる。
「アオイは……少なくとも、現時点で、妹ちゃんが好きなんだ。そんな風に見える。でも僕はどうして良いのかわからない。助言なんか思いつかない。たぶん禁忌の領域だろうし。母さんに相談したりするのは嫌だろう?」
「うん……嫌だというか、反対されるのが目に見えている」
「案外だけど、母さんは、子供の精神学的な学者の目でアオイを見るかもよ」
翠も言ってたな、そんなふうに。
どうしよう? 悩む、というか揺れる。どうしよう?
――と悶々としていたら――
バンとドアが開いた。
「あなた達! 何回言わせるの! 服を着なさい!」
ノリ子さんだ。
ナオは縞々のボクサーパンツ一枚。上半身裸。
俺はスポーツブラと、ピンクのおパンツ一枚の姿。しかも、足の爪を切るために大股開き中。
やばい、怒られる! 2時間コースだ!
一瞬でナオとアイコンタクトを終える。
「母さん、ちょうどいいところへ」
「聞いてくださいノリ子さん。実は――」
防衛本能が強く働いてしまった。
「うーん……」
ノリ子さんは、目と目の間を摘んで揉んでいた。親子だな。
あ、いちおう、俺はロンTに短パン姿。パジャマ代わりだわな。
「うーん……」
それから腕を組んで、眉間に縦皺を寄せたまま、腕を組み替えて首を捻る。
話が進まないので、とりあえず話しかけてみよう。
「えーっと、翠が言うには、ノリ子さんも協力してくれるはずだと。学術的な見地から」
「妹ちゃん、お姉さんに似て精神年齢が高いわね……」
また黙り込んでしまった。
ノリ子さんの睫が上下する。この人、睫が長いんだ。
「碧ちゃん。あなたは、自分の特性を悩みとしている? それを解決したいと思う?」
うーん……。
「……俺は、もし、自分にゴールがあるなら、それを知りたいだけで、悩んでいるのとかちょっと違う。普通に生きたいとか、世間に認めてほしいとか、そんな難しいことは考えてない。俺は俺で勝手に楽に生きるだけで……普通とか、そんなのいらない。普通でないのが楽しくなってしまっている。ただ、俺にとっての正しい答えを選びたいだけなんです。あと、誰も傷つけたくない」
ノリ子さんの目が……俺を見て、ナオを見て、右を見て、左を見て、上を見て、下を見て、もう見るところが無くなった。
俺の目を正面からとらえた、見据えたと言っても良い。
「腹ァ決まったわ!」
ノリ子さんの目が座った。
「行くところまで行きなさい!」
ダン! と足を踏み鳴らした。
「大失敗したらわたし達が慰めてあげる。ケアしてあげる。法律? 倫理? そんなもの、人類の進化の邪魔なだけよ! こうなったら、論文書いてもう1個博士号もらうくらいのことやってやるわぁ!」
「あれ、お母さん、博士号持ってたの?」
「あ、できれば匿名で」
「任せなさい! 責任を持って誰だか分かんないようにしてあげるから! わたしの論文!」
「あ、あの、おじさんは――」
「それもわたしが良い塩梅に丸め込む」
「良い塩梅って……」
だいじょうぶかな? 別の意味で不安になってきた。マッドサイエンティスト的な意味で。
「レアなケースが複雑に絡み合い、よりレアになった。さりとて、碧ちゃんをこのままにしておけない……ちょっと頭冷やして考えるわ。ビールよビール!」
ノリ子さんは下の階へ降りていった。
「なあ、アオイ」
「なんだい、ナオ」
残されたのは俺たち2人。
「妹ちゃんね、アオイのこと本気で好きなのかな? からかわれてないか? あるいは、アオイが王子様だから、憧れが転じてるからとか、そんなことないか?」
「もしそうだとしたら……」
俺は唇をそっと撫でた。
……我ながら柔らかい唇だ。
ふざけただけなら、女の子同士でおふざけがあったとしても、その先に一歩踏み込む?
「妹ちゃん、どーも遊びじゃないみたいだな」
「うん……」
なあ、アオイ、とナオは切り出した。
「たかが13歳の僕だけど、たった13年しか人生経験無いけど、女の子と付き合ったこともないし、漫画からのショボイ知識だけど」
前振りというか、防御への振りが長い。
「妹ちゃんにとって、アオイは姉だけど、これまで存在してなかった姉だ。ほぼ他人だ。姉として認識する前に男として認識してしまった。だからなのか、姉としての認識がない。欠けているように思える。これは、アオイが妹ちゃんに対しても同じだ。いわば、男の子と女の子の出会い。ボーイミーツガール?」
やや自信が無さそう。
「アオイと妹ちゃんを見れば一目瞭然だ。双子なのに、育った環境が違うと背も違ってくるし、性格も好みも違ってくる。人は生まれじゃなくて、今まで生きてきた経験で形成されると思う。だから、2人は他人と言っていい。そこに血や遺伝子の繋がりは薄い……よって、あり得ると思うんだ。妹ちゃんとアオイの恋愛って」
うーん。うーん……。
「あと、男女でないから、倫理的にセーフ?」
倫理を言い出すと、収拾がつかなくなってしまうんで、それはまた別の機会に。
「それと、どうにかして、2人の間に僕が入れないか?」
「それは7つの大罪のうちの一つだ」




