18.喧嘩
感動の母子、と妹との再会は涙のうちに終わった。お母さん、腰は大丈夫ですか?
翠ちゃんは最後に抱きついてきた。ほっぺをグリグリ当ててきたので、(性的に)昂ぶった俺は、頭を撫で撫でするだけで我慢した。でもその感触はしっかりと身体に叩き込んで覚えた。
帰りにナオと待ち合わせ。
ナオと映画に行ったことになっているからな。ノリ子おばさんとはそこでお別れだ。先に帰ってもらう。時間差で俺たちが帰るという寸法だ。親父には秘密だからな。
ナオと並んで歩きながら――。
「で、どうだった? その顔は成功した顔だな?」
「おうよ! お母さんは優しい人だった。翠ちゃんは、妹ちゃんね、可愛い子だった」
「美人さんですか?」
「俺とそっくりだ」
「なら絶対可愛いな! いいな! 僕も会いたい!」
「会えるよ。同じ校区だから同じ学校だ。ナオも顔を見てると思う」
「ええ? だれ? 名字が違うだろ? アオイにそっくりな子だろ? 同学年で? いたか、そんなの?」
ナオも知らないと見える。
「眼鏡っこだ。髪も長くて綺麗で実に女の子らしい」
「眼鏡? だれだ? うーん?」
「名字は葉月」
「え?」
ナオに思い当たる子がいたらしい。
「まさか! 4組の委員長! あの可愛い子かッ!?」
食いつきが激しい。
「そうだよ、壁ドンで文句言いに来て列に並んだ葉月翠ちゃん、その人だぁッ!」
意味もなく拳を突き上げる。翠ちゃんはそれほどまでに可愛いのだ。
「隣のクラスの子じゃん! でもだって、あっ! 眼鏡とサラサラロングヘアーで変装していたか! そうきたかー」
どうやらナオの頭の中で2つが結びついたようだ。……いや、変装ってなんだよ?
「俺が女になったらああなる。恐れ入ったか!」
「うっわぁあ。育ちが違うとこうも違ってくるのかぁ。怖いよね、環境の違いって」
「うむ、翠ちゃんが島の環境で育ったら……想像したくないけど、生きて島を出られたかなぁ?」
「無理だろう。そう意味でもアオイがおじさんの元に残ってよかったと思う」
「俺は大変だったが? 現在進行形で大変なんだが?」
それってどうよ。失礼な言い方じゃないか? 腹立ってきた!
「翠ちゃんに経験させるつもりか? 逆に考えろよ、これは人助けだって」
「はっ! 言われてみれば!」
俺、良い事したんだ! 島で生活した年月は無駄じゃなかったんだ。
翠ちゃんじゃなくてよかった! あの子は俺が守ったんだ。
「ふぅ!」
安心した。……いやいやいや、まずいぞ! 俺、翠ちゃんに入れ込んでないか?
そんな時はナオに相談だ。
「あのさナオ、俺、翠ちゃんに一目惚れしたみたいなんだ。気をつけてくれ」
「……どう気をつける? 何かワードを一つか二つ飛ばしただろう? それと、なに? 妹ちゃんに惚れた? 馬鹿かテメェ! 同じ顔だぞ!」
「だから惚れた。俺は俺の顔に惚れてるんだ。でも血の繋がった姉妹だ。モラルハザードを回避したい」
「うん、可愛いもんな。手を出しそうになったら殴れば良いんだな?」
「できれば穏和に止めてくれ。俺の体のどこを触っても良いから、合図してくれるか、捕まえて引き戻してくれ」
「わかった。なるべくいやらしくないところを掴むように心がける」
「胸や股でも大丈夫だけど?」
「僕が世間的に大丈夫じゃなくなるから。お前、美少女、わかる?」
「あ、あ、そうだった!」
ナオに迷惑を掛けるところだった。
「ただいまー」
喉が渇いたので台所へ寄った。……親父が暗い顔をしてテーブルについてた。
なんだこいつ?
「碧、おまえ、なんか親に隠してないか?」
あーこれは……馬鹿な頭なりに勘づきやがったな。こいつ、そういうところ「だけ」鋭いんだ。
「ああ、会ってきたよ。お母さんと妹に」
俺は開き直った。めんどくさくなった。無性に腹が立った。
「親に黙って何ってことするんだ!」
「なんて事ってなんだ! 言えば反対するだろう? だから言わなかった。はい、お終い!」
「お前、親をなんだと思ってるんだ! 親の言うことを聞け!」
カッッチィイィーンときた。心臓が激しく動き出し、全身を大量の血液が巡りはじめる。首の血管が膨らんだのが分かるほどに。
俺は落ち着こうとして、マグカップを取り出し、冷蔵庫から麦茶を出した。俺が作った麦茶だ。親父はこういう事をしようとしない人だ。
カップに注いでいる間、親父は目をひん剥きながらブツブツと文句を呟き続けている。
親父のいつもの手だ。目を剥いて睨んで、それが脅しのボディランゲージ。昔は怖かったけど、ノリ子さんに教えてもらってからは怖くなくなった。
落ち着くための麦茶をゴクゴク。ふー、少しはマシになったかな?
「聞いてるんかコラ!」
「親だったら親らしいことしろよ!」
一度堰を切ると止まらない。これも血か?
「ここまで育ててやった恩を忘れたか!」
「百の恩は受けたけど、1万の恨みがある!」
手が、腕が震えてきた。顎までも震えてくる。アドレナリンを感じる。
「理屈ばかり捏ねやがって! えっらそうに!」
「じゃあ俺を説得してみろ! なんで男に育っちまった!」
「お前が悪い! 親の言うことをちゃんと聞かなかったお前が悪い!」
ダーン!
俺はマグカプをテーブルに叩き付けた。割れなかったのは俺の中に残っていた理性のなせる技だ。
「……本気でそう思ってるのか? てめぇ!」
「親に向かっててめぇとはなんだ! 先ずは謝れ!」
「お前が先に謝れ!」
「お前って……親に向かってなんて口のききき方している!」
はっ、話になんねぇ!
「親だから、あんたが父親だから待ってたんだ。『悪りぃ』って軽い一言を。父親だから、そんなんで良いんだ。だのに、あんたは一言も詫びようとしない」
「どうして親が子供に謝らなきゃならん!」
「悪い事しても親だったら謝らなくていいのかよ! 子供になら何して許されるのかよ!」
「あたりまえだ! 子供はな、親に殴られようが蹴られようが黙って耐えるもんだ! そんな事より、さっきから親に対してなんて口をきく! それでも子供か!」
だめだこいつ。だめだわ。
心臓の鼓動が激しく、胸の皮膚を突き上げる。
怒りという名に染まった心臓が口から飛び出しそうになっている。
俺はこの男に背中を向けて台所を出た。俺の最後の思いやりだ。
このまま争えば、俺はこの男を刺す!
「おいこら! 飯作っていけ!」
「……自分で作れよ」
「親に飯作らせる気か!」
こいつは、飯を作ったことがない。カップラーメンですらだ。湯すら沸かしたことがない。
「もう金輪際、俺はあんたの飯を作らん!」
「おまえぇ……情けないヤツだなぁ。お前のようなヤツを女の腐ったようなヤツって言うんだ!」
――すまん、俺は嘘をついていた。――
親父との喧嘩はギャグの流れで表現していた。
だけど、これが現実なんだ。いつもこんな不毛なやりとりに終始している。ノリ子さんが乱入して、投げ飛ばすのは本当だけど。
でもって親父は、いつまでもいつまでもグチグチと喧嘩のことを口にする。目を剥き出しにして、俺を憎む顔をして。
ノリ子さんが言ってた。
「理屈ばっかり言う」それは、理論立てて人を説得する能力がない人の台詞だ。
人の上に立つために、他者を説得する能力がない。だから、安直に暴言を使う。暴力を使うことでしか人とコミュニケーションをはかれない。履かれないから暴力暴言に頼る。
親父の原点は「人の上に立つ」ことなんだってさ。
昔に何かがあったのか、生まれ持った性質なのかしらないが、自分が弱いから、どうにかしてでも自分より弱い者の上に立とうとする。
親父の中では、俺が弱者認定らしい。
だから、子供みたいな理論で論されても言い返す事が出来ない。だから「理屈を言うな」と返す。悲しいかな、「力ある言葉」でしか反論できないのだ。
それに親父は湯を沸かすことぐらい出来る。現に仕事場で、仕事に使う湯をやかんで沸かしている。
家では何もしない。ひとえに、俺に作らせる行為を強制することで優位に立っていると思い込んでいるだけだ。
もう一つの親父のキーワード。「女の腐ったようなヤツ」
ノリ子さんが言うに、親父が意識下で認識している自分の性格「女々しい」の裏返し。
いつまでも同じ事をグチグチと言い続ける湿った性格。
急に過去における俺の失敗を思いだし「あの時は――」と怒り出す。人を許すことが出来ない性格。いつまでも恨みを抱き続けなければ自分が保てない人格。アドレナリン酔いを好む性質。
それを女々しいという。
自分の女々しい性格が嫌で、ついつい「女の腐ったようなヤツ」と言い返してしまう。
親父が女という性を見下しているという証拠にもなる。俺が女だから、わざとか無意識にか、男として育ててしまった。それが証拠だとノリ子さんが言ってた。でなきゃ、俺の現実が説明できないと。
いちいち、ノリ子さんの推測がピンと来る。悲しいかな、欠けたピースが埋まっていく。
俺は……あれでも親父だ。血の繋がった肉親だ。少しでも俺が思う理想の父親を求め、良い様に解釈してきた。それは逃げでしかなかったというのに。
父親は、明るく楽しい父親であって欲しい。強い父であって欲しい。優しい父であって欲しい。
現実はどうだ? 暗くて怖い父だ。弱い父だ。冷たくて自分のことしか考えない父だ。
俺の、女である俺の背中にむけ、小さい声で、恨みを込めた目で、グチグチと小さな事を呟いている。せめて男らしく大声で怒鳴れよ。
……アレは人の心を持ってない。
ふと、そんな言葉が頭をよぎる。
俺はそのまま家を出た。




