16.お母さん
今日は早く帰ってノリ子さんのカウンセリングを受けている。
「お母さん? 俺にお母さんがいたの? 死んだんじゃなくて?」
「こないだ、親子だとか双子だとかの話が出た時点で、何か変だと思ってたのよ。おほほほ、あなたのお父さん、そろそろ死んだ方がいいのかもね」
ノリ子さんの体から黒い煙のような何か得体の知れない物が涌き上がっていた。
「じゃあ、碧ちゃん、……これから話すことは、あなたが知っておかねばならないことね。たぶん精神的なショックが大きいけれど、……碧ちゃんなら大丈夫な気がするから、少しずつ話していくね」
「大体のことなら大丈夫です。自分でもそっち系は驚くほどタフなんで。あれ以上のことがあると思えないんで――」
アレとは男だったはずの俺が、女だったって事だ。
「俺が双子で、もう片方はお母さんに引き取られてたって言われても大丈夫なんで――あれ?」
ノリ子さんの表情が石を彫って作った彫刻のように固まっている。そして顔の色が紙みたいに白い。
「まさか?」
「……碧ちゃんは双子の姉で、妹さんがお母さんと暮らしているわ」
「当たった。ってか、妹居るの? すげぇー! 俺に妹? なんかすげぇ!」
妹だぜ! 弟じゃなくて妹だぜ!
にっこにこでノリ子さんに話の続きを促した。
「やっぱり聞いてなかった。普通なら……いえ、何でもないわ。……あなたのメンタルが鋼鉄製で助かるわ」
「俺のメンタルは見かけより強くない。弟だったら凹んでるところです」
「不幸中の幸いね。あなた達は一卵性双生児よ」
全てが親父起因だ。憎まれっ子世に憚ると言うが、あいつ、長生きするだろうなぁ。
「おそらく聞かされてないでしょうから……、あなたのお母さんの名前はアカネさん」
ノリ子さんはメモに「茜」と書いた。
「妹さんの名前はミドリちゃん」
同じく、メモに「翠」と書いた。
「ここまでは、まだ話して大丈夫だと思うの」
「母さんが茜……聞いた気がする。ずっと小さい頃にかな? 翠! へぇ! 茜と碧と翠! へぇ! ……からの、『ここまでは』とは?」
まだ何かあるの?
苦虫を噛みつぶしたという表現が多用されるが、初めて見た。苦虫って実在するんだ。ノリ子さんが噛んでる。
「翠ちゃんは、あなたと同じ中学に通ってる」
……。
ノリ子さんの口から出た音を言葉として認識するのに1秒。意味を理解するのに1秒。同じ中学が同じ中学であることに思い当たるのに1秒
都合3秒後――
「えっえぇぇぇぇ!」
ズゴゴゴー。
蹴った椅子が音を立てて後ろへスライドしていった。
「やっぱり言ってない。殺すだけでは済まないわねあの男」
「俺、ノリ子さんの養子になって良いですか?」
「否定はしません。ですが、養子は茜さんに対して角が立つから、児童相談所経由の身柄引き取り系で話を進めてみましょう。真摯に」
親父の立場は無視だ。
「碧ちゃん……」
ノリ子さんの目が正面から俺をとらえた。
「お母さんに会ってみる?」
俺は二つ返事でOKした。
会えたのはすぐだった。
次の土曜日に、とある和食ファミレスの個室を借りて、母と面会する段取りが付いた。すぐに。
もともと、母は俺に会いたがっていたそうだ。親父という名の暴力装置が無視し続けていたため、俺と会えないでいたそうだ。
ノリ子さんが、もし親父から暴力で訴えられたりしたら、俺は親父による性被害の偽届けを出す準備があると伝えたら、何故か親父にキレられた。
母と会うのは秘密にしておいた方が良いだろう。親父にはナオとお出かけということにしてある。
ナオ、お前が居てくれてずいぶん助かってるよ。明日、お前用のおパンティ、お前のお小遣いで買いに行こうな。
ノリ子さんに、和風ファミレスへ車で送ってもらっている。ノリ子さんは付き添いだ。
「碧ちゃん、そんな格好でよかったの?」
「いいよ。ついでだから全部話すつもりだ」
俺は薄ピンクの襟付き男物シャツに、チャコールのジャケットを羽織っている。スラックスもチャコールだ。
中身が男って事を示すためにも、シンボリックな服装がよいと思ったんだ。
母と妹が一緒になって、父の責めに参加して欲しい、ってのもワンチャン考えている。
……母親と妹との関係が上手くいくとは思えないが、ダメになるなら最初からにしてほしかったんだ。
……お母さん……。
「ハンカチ、持ってる?」
「あるよ」
お尻のポケットから、丸めたタオル地ハンカチを取り出した。
ノリ子さんはため息をついた。
して――、
和風ファミレスに入ってスタッフさんに名前を告げると、
「中でお待ちです」
と笑顔で案内された。
割と早く来たつもりなんだけど、お母さん達は、俺たちより早く来てくれていた。
期待は半分だけ。いや、3割ほどかな? 残りは塩対応されることに備えている。
「お母さんは会いたがっていた」その一言に賭けている。
部屋は和室。靴を脱いで縁側?に上がる。
「睦月です。入りますよ」
「どうぞ」
つっかえ気味な女性の声がした。緊張して硬くなってるようだ。
障子戸をノリ子さんが開けて入り、続いて俺が入る。
中に座卓。左側に中年とは思えないほど若くて綺麗な女性(母だな)と、俺と同年代の眼鏡の美人さん(妹だな)。
二対四つの視線が俺に向けられた。母の目は罪悪感と哀れみが。妹の目は緊張と敵視と――。
妹の視線が持つ意味が変化した。敵視からの迷い。そして驚きに見開かれつつ……。
それは単純な反射神経の差だった。
「4組の美人クラス委員長!?」
眼鏡の壁ドンの!
「如月さん!?」
俺が先に気づいた。眼鏡の奥で目をまん丸に見開いた委員長が遅れて気づいた。
「ああ、もう顔見知りだったの?」
ノリ子さんが笑いながら対面に座った。
うわっ! これは恥ずい! 妹とはつゆ知らず、壁ドンして顎クイッして「もう終電は終わったよ」って言った。この口が!
妹ちゃんは口の両手を当て、声に出ない乙女の叫びを上げている。
俺も口をあんぐり開いて、片足をあげたまま固まってしまっていた。
「じゃあ、あらためて。茜さん、この子が碧ちゃん」
やや狼狽え気味だけど、お母さんが俺をあらためて見る。その目に涙が浮かぶ。
「碧ちゃん。あの人が碧ちゃんのお母さんで茜さん。その子が妹の翠ちゃん」
「ども」
我ながらなんて色気のない返事だろう。立ったままだし。
初めて相まみえるお母さんにぺこりと頭を下げた。同じく、初めて相まみえ、もとい、壁ドン済みの妹、翠ちゃんには、ペコリだけでは愛想がないので、笑顔を添えておいた。
そして場を仕切るのはノリ子さん。
「お互い、色々思うことがあるでしょうけど――」
「キャァーッ! 如月さんッ! うそ! 如月さんがわたしのお姉ちゃん! うそー!」
翠ちゃんの悲鳴で挨拶は中断された。
両手の指をピンと伸ばし、口を見られること隠し、目がまん丸、頬が……赤くないかい? 何か言わなきゃならないのかな?
「ども。その節は」
シュタッっと片手をあげて、対面に座る。
「えーっと、茜さん――」
「えーっ! ちょっとまって! やばーい! すごいー!」
「えーっと、翠ちゃん、ちょっと黙って――」
「如月さんだー! きゅあぁーっ!」
妹ちゃんが興奮して話が出来ない。
なんか出鼻をくじかれた。
「えーっと、碧……碧ちゃん……。お母さんを許して――」
お母さんは泣きそうな顔をしている。
「うそー! うそー! 如月さん」
「――あなたを残してしまった。わたしは悪い母親よ」
「きゃー! キャー! うそー! まじー!」
妹ちゃん、空気読もうね!
さすがにノリ子さんが注意した。
「翠ちゃん、ちょっと静かにしようね。お母さんが話してるから」
「いやー! どうしよー! 如月さんが! わたしのお姉ちゃん! やー!」
うぜぇ。
「静かにしようね」
「はい」
俺が注意をすると一瞬で口を閉じる妹ちゃん。正座に座り直し、背筋をピンと伸ばす。
「はい、茜さん、続きをどうぞ。わたしは悪いお母さんよ、から。はい!」
黙り込むお母さん。顔が赤い。ノリ子さんも空気読んで発言しような。
誰も彼も黙り込む。「ん? ん?」ってノリ子さん一人が不思議がってる。ここにもユキちゃんが居た。
仕方ない。
「お母さん……初めてお母さんって呼べて……なんか嬉しいです。あの父のことは無視してください。お母さんの事は、悪く思ってません、会いたかった……ってか、この口調疲れるから砕けて喋るね」
正座してたけど、胡座に組み替えた。
「あの父だから逃げて正解だったよ。それに残ったのが俺……自分だったから保ったと思う。自分、図太いらしいから。委員長……、もとい、妹ちゃんだったら潰れていただろう。今の気持ちを正直に言うと、妹の代わりになれて、とても嬉しい」
俺は笑った。泣きそうになりながら笑った。母は悪い人じゃない。綺麗だし、胸おっきいし。見れば分かる。綺麗だし。
「碧……」
お母さんは俯いて泣いてしまった。両手を顔に当てて。
「湿っぽいのは苦手だな」
俺は尻ポケットからタオル地ハンカチを引っ張り出して、お母さんに渡した。
ハンカチを手に入れたからなのか知らないが、お母さんはさらに激しく泣きだした。
場が大変湿っぽい。困る。
「でさ、分かってると思うけど、親父は何も言ってくれてない。お母さんの名字も知らないんだ。教えてくれると有り難いんだけどな。ねえ、お母さん」
「あの馬鹿!」
ノリ子さんの罵声が聞こえた。
お母さん……まだ慣れないや。
「葉月……お母さんの旧姓なの」
「葉月……葉月か……いいね。じゃぁ、妹ちゃんは葉月翠。いいね! ぴったりだ!」
葉の月の翠色。日の光にふと見上げると、葉は翠に輝いている。いいね!
「そんなぁー……合ってるかな? わたしも気に入ってるの。葉の月で翠色でしょ」
同じ事かんがえてる! 俺は笑った。
「だね! もし俺、じぶんが旧姓だったら葉月碧。なかなか良いんじゃない?」
「きゃーっ! 合ってる! 可愛いッ! すッごく可愛い!」
可愛いが出た。
「妹ちゃんの事なんて呼んだらいいんだろ? 妹と言っても誕生日が同じだからあからさまにするのもアレだし。オーソドックスに翠ちゃんでいいか?」
「いいです! 決まりました! わたしはお姉様のことお姉様でいいですか?」
「落ち着こうね翠ちゃん。お「キャーッ! お姉様がわたしのことを翠ちゃんって! キャァーッ!」」
だめだこれ。
「お姉ちゃんか、アオイちゃんで頼む」
翠ちゃんがこの世の終わりを見た目をした。
「わたしのために」
翠ちゃんがハゲシク首を上下した。
大丈夫か、この子?




