第26話 さようなら
翌日。私は小屋の前にいた。
目の前にはアデラール。その姿は、普段とは全然違う。
クロードが用意した何処か豪奢な衣装。それに身を包んだ彼は、何処からどう見ても貴族だった。
(……やっぱり、私とは全然違うのね)
心の中でそれを実感して、私は暗い表情を浮かべてしまいそうになる。でも、ダメだ。
(最後くらい、きちんと笑ってお別れしなきゃね)
彼は私に求婚すると言っていた。だけど、一晩考えて。
私はそれは無理なことだと理解した。
だって、アデラールは貴族なのだ。それに、取り戻したばかりの立場は危うい。つまり、名家の女性を妻にしたほうがいい。
領民たちも、それを望むだろうし……。
(と、なれば。やっぱり、私はアデラールの妻にはなれない)
それに、なによりも。私は彼よりもずっと年上だ。……男性は、年下の女性のほうが好きだろうし。
そう思っていれば、隣に誰かが立ったのがわかる。そちらに視線を向ければ、そこにはクロードがいる。
「フルール。……寂しいのか?」
彼がそう問いかけてくる。……誤魔化すようにゆるゆると首を横に振る。ただ、覇気はなかっただろう。
「……もう、アデラールがいるのが日常になっていたから」
ぽつりと言葉を零せば、クロードは「そうか」と言葉をくれた。
そっと視線をずらして、アデラールを見つめる。彼は私ににこっと笑いかけてくれた。
「じゃあ、俺が森の入り口まで送って行こう。……そこからは、一人で頑張るように」
クロードがアデラールの肩をポンっとたたく。アデラールは、クロードの顔を見て力強く頷いていた。
その姿さえ見ていられなくて、私は視線を彷徨わせる。だけど、アデラールに「フルール」と呼ばれて、彼を見るしかなかった。
「俺、頑張る。……今まで、本当にありがとう」
頭を下げてそう言うアデラール。……ぎゅっと締め付けられる胸。
こんな感覚初めてで、どうすればいいかがわからない。……ただ、やっぱり。
「そう。案外、私も快適だったわ」
「……フルール」
「ただ、もう、戻ってこないでね」
最後は笑うべきだろう。
そして、彼の未来が輝きますように。それが私の願い。その隣に、私はいらない。
その一心で笑みを浮かべれば、アデラールの顔がくしゃっと歪んだ。今にも泣きだしそうな顔になって、それでも涙は零すまいと目元を必死に拭う。
「フルール……」
「一晩考えたの。やっぱり、私とあなたは一緒になるべきじゃない。……ごめんなさい、一度出した答えを、覆すようなことになってしまって」
彼に近づいて、その手を握る。……傷だらけだった手は、少しマシになっただろうか。私が出した薬が、聞いていたら嬉しい。
「伯爵領のことを考えると、名家の女性を妻にするほうがいいわ」
「……けど、俺は」
「あなたは辺境伯でしょう? 領民のことを一番に考えなさい」
少し説教じみた感じになってしまった。アデラールが、目を見開く。……が、しばらくして頷いてくれた。
「わか、った。それが、フルールの願いならば」
「ふふっ、いい子」
そこまで言って、アデラールの手を離す。熱が離れるのが、少し寂しい。
「じゃあ、行くぞ。俺の転移魔法で移動してもらう」
「……わかった」
「最後に、なにか言うことがあれば」
クロードの視線が私に向く。……ゆるゆると首を横に振った。もう言うことなんてない。そういう意味を込めた。
私の様子を見たクロードの視線は、次にアデラールに向けられる。
「本当、大好きだった」
「……アデラール」
「好きだし、大好きだし、愛しているってこういう感じなんだろうなって、思った」
胸が痛い。本当に痛い。苦しい。
「――今後なにがあっても、俺はフルールに恋した時期を忘れない。……愛しています」
真摯な言葉。ただまっすぐに、告げられた愛の言葉。
……生まれて初めての経験に、涙が零れてしまいそうになって、鼻をすすって誤魔化した。
「どうか、俺のこと。忘れないで」
「……うん」
笑みを浮かべて、返事をして。アデラールがクロードのほうを向く。
その後数言二人で話すと、二人はその場から消えた。……転移魔法だ。
「本当、なんだろうな」
ぽつりとそう言葉を零した。
「ははっ、アデラールに危険な目に遭ってもらいたくなんて、ないんだけどな……」
空を見上げようとした。ただ、鬱蒼とした木々が阻んで、空なんて見えない。
目を瞑ればアデラールとの思い出が思い浮かんできて、我慢していたはずの涙が零れた。
「さようなら、アデラール。……もう、会えないけれど」
どうか、私のことを忘れないで暮らしてくれたら。……きっと、それが私にとって最高の恩返しになるだろうから。
目を瞑って、私はそれを実感した。