第21話 アデラールの気持ちと本音(2)
でも、気を持ち直す。
アデラールのことを見つめれば、彼は水面に視線を向けている。私には、ちらりとも視線を向けない。
「……それに気が付けただけでも、上々なのかな」
彼のその言葉が、私の胸に激しい痛みを与える。ぎゅっと締め付けられるような、初めての感覚。
手のひらを握りしめて、足で石を蹴った。ころころと転がる石が、ポチャリと音を立てて池に沈む。
「ごめんね。……こんなこと、言って迷惑だったよね」
アデラールが私を見つめて、そう言ってくる。
「すぐに、出ていくから。……もう、迷惑なんてかけないから」
それだけを言ったアデラールが、立ち上がる。ふらりとふらついたのは、まだ彼が本調子じゃないからだろう。
迷惑じゃない。ただ、自分の気持ちに戸惑っているだけだ。
そう言えたらよかったのに、口が動かない。はくはくと動かすことしか出来なくて。ただ、咄嗟に彼の手首をつかんだ。
「フルール……?」
彼が、きょとんとしたような、動揺したような目で私を見つめる。
「……あ、のね」
自分でも驚くほどに小さな声だった。
視線を彷徨わせて、どういう風に切り出そうかと悩む。
(切り出し方なんて、悩んでいる場合じゃない。自分の気持ちを、はっきりと伝えなくちゃ)
ぎゅっと彼の手首を握って、私は立ち上がる。
そして、一歩を踏み出そうとしたときだった。
――苔に、足を取られて、足を滑らせる。
「フルール!」
咄嗟に、アデラールが私の身体を抱き寄せた。だけど、勢い余って地面に倒れこんでしまう。
「あ、アデラール! 大丈夫……!?」
私の下敷きになったアデラールに、慌ててそう声をかける。すると、彼は顔を上げた。
……口づけできそうなほど、近い距離にアデラールの顔がある。……柄にもなく、心臓がどきどきと高鳴る。
「……だ、いじょ、うぶ」
彼が静かに返事をくれた。
「待ってて、すぐに、起き上がるから……!」
私はそう言って、アデラールの身体の上から退こうとする。けど、出来なかった。
……アデラールが、私の腰を抱き寄せたから。その所為で、私は彼の身体の上から退くことが出来なかった。
(心臓が、うるさい……)
この心臓の音は、私のものなのか。はたまた、アデラールのものなのか。
それははっきりとはしない。ただ、心臓の鳴らすどくんという音が、やたらと生々しく、大きく感じる。
「……フルール」
アデラールが、私の名前を呼ぶ。背中に回された彼の手が、ぎゅっと私の身体を抱きしめる。
至近距離にあるアデラールの顔を見ていられなくて、私は地面に視線を向ける。
「こっち、見て」
なのに、アデラールが鋭い声でそう告げてくる。
だから、私は恐る恐る彼に視線を向けた。……彼の目が、私を射貫く。
「……ねぇ、フルール」
ぎゅっと抱きしめてくるアデラールの腕。ううん、この場合は縋っているというほうが、正しいのかもしれない。
「俺、フルールのこと、好きだよ……」
今にも消え入りそうな声だった。小さな声、震えた声。
自分の耳を、疑った。
「……あで、らーる?」
「好き。……フルール、好きだよ」
意味がわからない。
咄嗟に、そう口にしようとした。……できなかった。
「生まれて初めて、人を好きになったんだ。……これが、恋愛感情なのか、友情なのか、はたまた親愛なのか。それは、わからないけれど……」
自信なさげに、彼がそう言う。
……対する私は、ごくりと息を呑む。
「好きなんだよっ! 迷惑だって、わかってる。だけど……好き、大好き。俺のこと、捨てないでほしい」
「……そ、れは」
捨てるとか、捨てないとか。
そういう問題じゃない。だって、私はアデラールの側にいちゃいけない。
……そう、思うのに。
「俺、役に立てるよ。……俺と、一緒にいてよ」
私の身体を抱きしめる彼の腕に、力がこもる。
……なんだか思ったよりもたくましい腕に、私の心臓がどきどきとする。顔に熱が溜まるとは、こういう感覚なのかもしれない。
「フルール……」
これは、一体どういう状況で、どういうことなのだろうか?
私の頭は理解することを拒んでいて、もうどうにでもなってしまえと思った。
(……アデラール)
恐る恐る、彼の頭に手を伸ばす。そのまま、彼の髪の毛を撫でた。少し硬い。だけど、心地いい。
その感触に、身をゆだねる。そっと目を瞑って、アデラールの額にこつんと自分の額を合わせた。
瞬間、アデラールが息を呑むのがわかった。
「私も、本当は、好き、なの」
自然と、そんな言葉が口から零れた。
「私も、恋愛感情なのか友情なのか、親愛なのか。何一つとして、わからない」
「フルール」
「師匠以外の人間と、深くかかわってこなかった。だから、私は感情に疎いの」
だから、何もわからなくて。感情がめちゃくちゃで、知らない感情を覚えるのが怖かった。
まるで、自分が自分じゃなくなるような。そんな感触に、怯えていた。
「こんな私が、アデラールの側にいちゃいけない。そう、思ったの」
「そ、んなの……」
「だって、アデラールは領主さまに戻らなくちゃならない。……私が側に居られるわけじゃ、ない」