第18話 こんな感情、持つくらいならば
アデラールが魔力酔いを起こしてから、早くも数日が経った。
彼の体調は徐々に回復に向かいつつある。でも、油断は出来ない。油断したら、またぶり返してしまうのが魔力酔いなのだ。
「……今日は」
冷蔵庫の中を見つめつつ、私は自分の昼食と病人食を作るために食材を出す。
本当はシチューかなにか作りたいけれど、病人にそれは重いかも。だったら、シンプルに芋のスープにしようか。ミルクと組み合わせたら、病人でもある程度食べられるはず。お腹にも溜まるし、私はそれにパンを追加すれば十分かな。
そう思い、私が食材を出して切っていく。鍋の準備をしつつ、火をつける。
(パンはこの間焼いたのがあるし、それでいいよね)
この間暇を持て余して焼いたパンを食べよう。……正直、一人だと食べきれない量なので、アデラールが回復したら食べてもらおうかな……と思ったら、手が止まった。
(私だって、アデラールとずっと一緒にいられないことくらい、わかっているのに……)
アデラールは元の伯爵様という立場に戻らなくちゃならない。それが、領民のためだから。
でも、何だろうか。ずっと、ずっと一緒に居たいって。思ってしまう。
(それは、贅沢なことなのに)
ずっとこのまま二人で、同居人として過ごしていたら。楽しいんじゃないか。心の奥底が、そう囁いてくる。それを、必死に振り払う。
「わた、しは」
そこまで呟くと、不意に近くから「フルール」と声をかけられた。そちらに視線を向ければ、そこにはベリンダがいる。
ベリンダは白い子竜の姿で、その目に心配の色を宿していた。
「……フルール、最近おかしいよね」
ベリンダが、少し戸惑いがちにそう声をかけてくる。そのため、私は誤魔化すように笑って、食材を切る手を再開する。
けれど、すぐに指を軽く切ってしまう。……血が、あふれ出てくる。
「大丈夫!?」
慌てたようなベリンダに、笑いかけて私は「大丈夫」と伝える。
「ちょっと、ドジをしただけよ。……こんなの、舐めておいたら治るわ」
「……そ、っか」
ベリンダの視線が下に向く。……多分、ベリンダはわかっているのだ。私が、アデラールによからぬ感情を抱き始めているということを。
そう思っていると、ふと頬に冷たいものが触れた。驚いてそちらに視線を向ければ、フルールが鱗に包まれた尻尾を私の頬に押し当てていた。……その頬を、涙が伝う。
「あのね、フルール」
静かな声。なのに、やたらと迫力のある声。
ベリンダのそんな声に耳を傾けていると、ベリンダは「もう、無理しなくていいんじゃない?」と言ってきた。
……無理、なんて。
「無理なんて、してない……」
自分の声が、驚くほどに震えている。ベリンダは、それに関して指摘してくることはなかった。
「嘘。……ずっと、師匠がいなくなってから気丈に振る舞ってたじゃん」
「……それ、は」
「ずっと、寂しかったんだよね」
ベリンダがまるで私の心を読んだかのような言葉を、かけてくる。なにも、反応できなかった。
「……使い魔じゃ、フルールの心の溝を埋めてあげられなかった」
「ち、がう」
「違わないよ。……人間と人外じゃ、全然違うよ。時間の感じ方も、他者との関わり方も。感情だって、違うんだ」
……なにも、言えなかった。
ただ、唇をかみしめて、ぎゅっと涙をこらえる。
泣いちゃダメだ。泣いちゃダメだ。その気持ちで、頭の中がいっぱいで。もう、自分が何を思っているのかもわからなくて。
感情がぐちゃぐちゃで、めちゃくちゃで。視界が潤んで、もう何も考えたくないと思った。
「……本当は、師匠だってわかっていたんだよ」
「な、にを」
「フルールが、ずっとここに居たらダメだっていうこと」
私の腕にぎゅっとしがみついて、ベリンダがそんなことを言う。……そんなこと、言わないでほしかった。
「フルールは人だから。こんな辺鄙な森の中にいるよりも、人里に出してあげて、結婚して子供を設けて。そんな幸せを、与えてあげなくちゃ……って、ずっと言ってた」
……初めて聞いた。師匠が、そんなことを考えていたなんて。
「でも、時が来るまでは、そう言っていたよ。……なのに、時が来る前に死んじゃった。フルールは、孤独になった」
ベリンダの言葉の一つ一つが、私の胸に突き刺さる。師匠のこと、ベリンダのこと。じゃあ、じゃあ――。
「私は、どうすればよかったの……?」
どの選択肢が正解で、どの選択肢が間違いで。答えなんて出てこないのに、そう問いかけて。
「……フルール」
「わた、しは。アデラールと、出逢わなきゃ、よかった……」
あのとき見捨てていたら。こんな未知数の感情は抱かずに済んで、ずっとずっと平和に生きていくことが出来ただろう。
「こんな感情を抱くんだったら、アデラールと、出逢わなきゃよかった……!」
その場に崩れ落ちて、私がそう吐露してしまう。
瞬間、遠くから何かが落ちるような物音。……恐る恐る、そちらに視線を向けた。
「あで、らーる」
そこには、ぼんやりとするアデラールがいた。




