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92 モルモットとしての呼び出しの日


「お嬢様、ペインフォード伯爵様がお嬢様をお呼びのようです」


「エリオット様が?」


 昨日のパーティーでの振る舞いを先生と振り返りながら授業を受けていた私は飛び上がらんばかりに驚いた。客間を訪れたミリーからの言伝(ことづて)をミラが私と先生に告げたからだ。


 ヘンリーにお呼ばれされたパーティーが終わったのは翌日の深夜だった。基本的にパーティーというのは日付を超えて午前様になるものらしい。ははぁ、だからシンデレラは十二時の鐘が鳴るまで踊っていたわけだ、と幼心に疑問だった謎が解けて私は膝を打っていたところだった。


「わしが許可した。エリオットの坊主からそろそろ研究助手としての役目を果たしてほしいと打診があったからな。お前さんの体に危険はないことを保証させた上で今夜なら良いだろうと答えておいたぞ」


「聞いてないです」


「なら、今言った」


「……もっと早めに教えてほしかったですぅ」


 唇を尖らせる私に先生は微塵も悪いと思っていない様子で悪かったと謝る。令嬢らしからぬ態度だから先生もきっと紳士らしからぬ態度で返してくるのだろう。いや、先生はいつもこんな感じだけど。それってつまり私にはまだまだ令嬢らしさなんてないってことで。


「何時にお伺いすれば良いのかしら」


 気を取り直してミラにそう尋ねれば、夜の八時に研究室へとのことでした、とミラが答える。夜の八時、と心のスケジュール帳に刻み込んで私は頷いた。汚しても良いようなドレスはないから初日にミラに剥がされたメイド服を持っていっても良いだろうか。あぁでももう使用人でもないのにそれに袖を通そうとするなんてやはりどうかしているかもしれない。白衣がほしい。


「ミラ、お前さんもついていきなさい」


「はい」


 先生の指示に頷くミラを見て私はそうかと思い至る。もう使用人ではない私が推しと二人きりになることはないし、あってはならない。月下の夜にワルツを踊ったのはミラに見逃してもらったのだ。私が文字通り毒見役をしていると知ったらミラはどうするだろう。先生は研究助手のする仕事の中身を知っているのだろうか。


 推しに会いたいような会いたくないような。そういえば昨晩はあからさまに避けてしまったわけだし何となく気まずい。でも推しは避けられたなんて気づいていない可能性があるし今回の呼び出しだって純粋に仕事だ。そもそも私の振る舞いには興味がない。そういう人だ。自意識過剰だ。気にしなくて良い。


 其処まで考えて私ははたと気付いた。だめ、と思わず口を開く。先生とミラが私に視線を向けた。私は小さくかぶりを振ってミラがついてくるのを止めた。


「駄目です。エリオット様のあの研究室はそれこそ毒を含んだ薬草がいっぱいで、今はどうか分からないですけど其処にいるだけで毒を吸い込んでしまうかも。エリオット様は慣れていらっしゃるし私も耐性がありますけど、ミラは体調を崩すかもしれない。こんな風には言いたくないけど、そんな場所にミラを連れて行けないわ」


 研究室の中までは使用人に掃除の権限がなかった。推しが自分で掃除しているのか、ミリーやエドワードなどの世話係がしているのだろうと思う。何となく推しはあの部屋を他人に掃除されるのは嫌いそうな気がした。幼い推しを守った、けれどそのために全てから隔絶した諸刃の剣。今も其処に籠るのは父親の研究を完成させるためだけではきっとないと、私は思う。


 そうだ、と思い至る。オリヴィアもきっとあの研究室の中までは入っていないだろう。推しが遠ざけるに決まっている。私がミラを遠ざけるように。推しがミリーやエドワードを遠ざけるように。その中に入っても良いと、モルモットとしての入室を許可されたのは私だけだ。体質だけは認められている。其処まで推しの傍に行けるのは今のところ、私だけだ。其処に行くことで(いばら)の痛みを伴うならその役目は私が負うべきだ。その痛みを癒すのがきっと、オリヴィアの役目だから。


「お部屋の前までは行っても許されますか?」


 ミラが食い下がる。彼女の立場も考えて、それなら、と私は頷いた。推しの屋敷で不届き者はいないけれど、使用人はともかく令嬢と伯爵が同室で二人きりとなれば世間は穿って見るものだ。傍に侍女がいたかどうかというのは重要な分かれ目になるかもしれない。私がというより、私が足枷になって推しがありもしない責任を取らされるような事態になるのは避けなければならないと思う。


「私もミラがついてきてくれたら嬉しい」


「はい。お供させてください」


「お供って。此処から一階分上がってエリオット様の研究室へ行くだけよ」


 思わず笑ってしまう私にミラも微笑を零した。先生はひとつ頷き、それならと立ち上がる。何処かへ行くのかと驚く私に交渉してくるのさと先生はニヤリと笑った。


「侍女をひとり部屋の前で待たせるのも悪評がつくぞ。ミリーから学ぶことも多いだろう。わしが了承を取り付けてこよう」


「え」


 先生が行ったらそれはもう了承を取り付ける以外の結果はないだろうけど、私とミラはお互いに顔を見合わせてそれから慌てた。だってそれってつまり、推しとミリーに先生がお願いに行ってくれるということになる。ははは、と先生は声をあげて笑った。


「これはな、エマ。可愛い娘のために親ができることを探した結果だ。お前さんは父の意向を汲んで頼む立場になる」


「……お願いします」


「それで良い」


 先生は満足そうに頷くと部屋を出て行った。本当に推しとミリーに承諾を得てくるのだろうと思う。


 今までなら私が自分で行って頼んだだろうことも、貴族の世界に入ると私が自分の意志でできることは限られていてほとんど必ず誰かを立てる必要があった。大抵は先生を。結婚すれば恐らく夫を。この時代はまだそういう時代だと思うけれど、中々慣れない。つい誰かの手を煩わせないように、下っ端の自分が動かなくてはという気になってしまう。早く慣れた方が良いのだろうと思いつつ、今だって先生のメンツを立てるというよりは頼みに行かせたと思ってしまって罪悪感が強い。


 はぁ、と息を吐いた私にミラがお嬢様、と声をかける。令嬢らしくないと言われるかと思って私は咄嗟にごめんなさいと謝った。ミラは不思議そうに首を傾げる。私と同じ黒い前髪がさらりと揺れた。


「お礼を申し上げようとしたんですが」


「お礼?」


 どうして、と今度は私が首を傾げればミラは微笑んだ。使用人の服を纏っているけれどミラは美人だ。同じドレスを着れば私よりよほど令嬢らしく見えるだろう。きっとそういう教育を受けてきた。


「私の身を案じてくださいました。ありがとうございます」


「え。や、そんな。当然のことにお礼を言われても」


 お礼を言われると思っていなかった私は逆に恐縮してかぶりを振る。でもミラはそれを否定するように首を振った。


「私が嬉しかったんです。お礼を言わせてください」


「私こそありがとう。ついてきてくれようとして。私まだまだ令嬢の自覚がないからミラがいてくれると助かるわ」


 ミラがいるから令嬢として多少は見えるだろうし私も意識が生まれる。案じてもらうというか、心配をかけていると思うけどミラがいてくれて心強いのは確かだ。


「あのね、ミラ。エリオット様の研究のお手伝いがどんなことなのか、先に教えておくわ。ミリーも知っているし、先生は、どうかな。知ってると思うけど。あなたにも教えておく。驚かないでね。途中であなたが呼ばれて私がどんな風になっていても」


 ミラは息を呑んだまま私の話を聞いた。



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