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84 侯爵とのダンスの日


「どうした、ちょっと見なかっただけなのに随分とげっそりして」


 貴族令嬢たちと踊る先約をこなしてきたらしいヘンリーが私たちを探し出し、私の顔を見てぎょっとした。


「そんなに慣れない場所は苦手か?」


「はぁ、まぁ……知らない人ばかりですし緊張しますしもう限界ってところではあります」


 泣くのを堪えても表情までは取り繕えなくて私は愛想笑いで何とか誤魔化そうとはした。でも百戦錬磨のヘンリーにはすぐ見抜かれてしまう。


 バルコニーからはもう戻ってきていた。あのまま推しを見ていたらどうにかなってしまいそうだったし、そういう展開になっていくと解っていたつもりだったのにひとつも解っていなかった自分にも驚愕した。不毛な恋に身を(やつ)す必要はない。ただ変わらず推しを推せば良いだけだ、と思っているのに胸は痛んだ。


「お前には気分転換が必要そうに見えるが、俺と踊る体力は残ってるか?」


「足を踏んじゃうかもしれません」


 私の答えにヘンリーは楽しそうに笑う。はは、と笑い飛ばすような声は少しわざとらしい。気遣ってくれているようだ、と私は気付く。


「踏ませないさ。俺と踊ってくれるか、エマ嬢」


 手を差し出されて私は頷いた。ヘンリーに此処までさせて断るなんてできない。行ってらっしゃいというミラの目配せを受けて私は今夜のラストダンスをヘンリーと踊る。


 フロアの真ん中へヘンリーは私を踊りながら連れて行った。壁際に立つ人々の目から私を守ってくれているらしい。くるくると踊り回る人たちが目隠しになって却って見られにくくなる場所をヘンリーは知っているのだ。この女たらし。


「なぁ、エマ。今度は親しい人だけを呼んでうちでパーティーを開くんだがな、お前も出席してもらえないか」


「私なんかが呼ばれて良いものなんでしょうか」


 初めてのパーティーに疲弊している人間を目の前にしてよく誘えるもんだと思うけどその意図に気づいた気がして私はありがたさと諦めとを同時に覚えた。意外と世話焼きなのか、それとも自分が後ろ盾になったものだからきちんと教育してやらねばという親心のようなものかもしれない。


「私を社交の場に慣れさせようとしてくださってるんですね。それは参加しないわけには参りませんね」


 なんだ、とヘンリーはニヤリと口角を上げた。


「やっぱりお前、頭は悪くないな。解ってるじゃねぇか」


 其処でアドリブでひとつ、くるりとターンをさせられる。私は驚いて目を回しかけた。よろめいたところをヘンリーに支えてもらう。そのまま何事もなかったように通常のステップに戻るヘンリーの技術に舌を巻いた。推しはこれ以上だと言うのだから底が知れない。


「急務でお前を危険から遠ざけるために先生の養女にはしたが、お前の人生それで順風満帆とはいかないからな。先生も俺も、ずっと守ってやれるわけじゃない。お前はお前でこの上流階級の荒波を進んでいく術を身につける必要がある。他の後ろ盾も見つけておいた方が良い。嫁入り先も探せ。誰もいなきゃ俺がもらってやるよ」


「ヘンリー様の愛人枠なんて嫌ですよぅ。知らない人に刺されそうですもん」


「そんなヘマしないさ。俺は目の前の女だけ見ることにしてるんだ」


「目の前に二人いたらどうするんですか、それ」


 思わず問い返したらヘンリーはまたニヤリと笑った。


「お前、人間にはどうして目が二つついてると思う?」


「え。まさかそんな、いやでもヘンリー様ならあるいは……」


「はは。あるいはって何だよ。俺のこと何だと思ってるんだ」


「ふふ、冗談です」


 私が笑って答えると、そうじゃなきゃ困る、とヘンリーは返した。カメレオンみたいに好きなところへ視線を向けられるヘンリーを想像すると何だかおかしくて笑ってしまう。仕方ないとでも言いたげに息を零すヘンリーは頼りになる大学の先輩みたいだった。


「そのパーティーにはダニエルも呼ぶつもりだ。あいつもお前に会いたがってるし、自分の屋敷にも呼ぶつもりでいるぞ、あれは。お前に話を聞いてもらいたいらしい。あぁ、輿入れ先はダニエルのところでも良いかもな」


 ダニエルは気さくで話しやすいけれど従者のシェイマスが良い顔をしないだろうと思って私は苦笑する。私が使用人だったからシェイマスは怖い顔をしたわけじゃないだろう。彼は彼で入れ替わって主人を演じるダニエルを大切に思っている。友達でさえあるだろうから、何処の馬の骨とも知らない私と関わるのに良い顔をしなかったのは頷ける。


 というか私の意向は全然訊いてもらえなくて時代を感じた。まぁでもヘンリーなりに私も知っている人物を挙げてくれるんだからこれで気を遣っているのかもしれない。こうして知らないうちに後見人とか親が令嬢の結婚相手を決めていくんだろうななんて何となく思った。恋をしたって全部が全部報われるわけじゃないし、此処での結婚というのは家同士の結びつきが重視されるのだろうから身分だとか財産だとか、そういうのも制約を受けるのだろう。そしてダニエルの名前を出すということは推しが言っていたように先生の治める領地の海辺とダニエルが治めるメニブリンとの交易が盛んになればという思惑を抱えているから、なのかもしれない。


 いやもうホント、貴族の世界って大変。まだその一端さえ見ていないだろうにそう感じてしまう。ずっと気を張って疲れないんだろうか。いつ暗殺されるかも判らないような世界に身を置いて、よく社交場ではニコニコ笑っていられるものだと感心してしまった。こんな表現は変かもしれないけれど、どのグループに属しているかでその場での過ごしやすさが変わってしまう学校に似ている。特にあの、女子特有のグループ行動。グループの中でも序列があって、リーダーに気に入られると地位が上がって、嫌われると仲間外れにされたり追い出されたりする。そんなことを大人の世界でやっているように見えて辟易してしまうのだ。


 漏れ聞こえてくる噂話といったらそんなことばかりで社交界って思っていた以上に面倒そうだなという印象を早くも強めてしまった。こんな中で生きていける自信もない。だからこその後ろ盾なのだろうとも思う。そういうのが得意な人と仲良くなってしまえばやりやすくなるのだろう。勿論、裏切られるリスクも増えるけれど。


「あいつにも言ったがな、お前にも言えることだぜ。味方を作れ。信用できる味方は多いに越したことはない。人脈を広げろ。とは言ってもまぁお前には難しいだろうからな、まずは友人を作れば良い。其処から少しずつ広げていけば良いさ。社交界デビューしたばかりだから、良いやつにも悪いやつにも出会うだろう。自分で話して相手を知れ。お前なら大丈夫だろ、エマ。物事を一面じゃなく多面的に見られるお前だ。期待してるぜ」


 そんな風に評価してもらえているとは思っていなくて目を見開いた。足が思わず止まりそうになった私をヘンリーがぐっと引き寄せるから躓きそうになりながら進む。思わず背を反らした私に合わせるようにヘンリーが屈むから、支えてもらいながら決められたポーズをとったように見えただろう。周囲からほう、と感嘆の声が聞こえてきたのは気のせいじゃないはずだ。目の前いっぱいにヘンリーの顔があって周囲を見ることはできないけど背が高くて顔の良い男がこんな大胆に動いて目立たないわけがない。


 私はヘンリーの顔が近づいて息が止まりそうになった。実際はヒェ、とかいう空気とも悲鳴ともつかない音が口から小さく漏れていた。ヘンリーならよく聞いている声だろう。だってこんなの、他の令嬢に耐えられるとは思えないし、絶対に解ってて揶揄われてる。


 ハシバミ色の目が妖艶に細められた。この曝け出された私の喉、噛み付かれるんじゃないだろうか。そのままバリバリむしゃむしゃ食べられてもおかしくない。そう思わせるに十分な色香だった。


「さ、刺されるのは嫌……」


 思わず漏れた本音にヘンリーが苦笑する。そんなヘマしないって言っただろうと宥めるように囁かれてダダ漏れるフェロモンにあてられるわ注目は集めてるわで私は何だか泣きそうになった。


「悪い悪い。でもこれくらいしとけばお前に手を出す不届き者はいないだろ。俺を敵に回す勇気があるやつは別だろうが。

 後日、招待状を送るから今度は俺の屋敷で会おう」


 ゆっくりと起こされながらそう言われて、私はわけが判らないまま頷いた。先生が人混みから現れて私の手を取る。ミラも先生の傍に控えるように立って私を気遣わしげに見ていた。


「やぁリルッズ子爵。エマ嬢と踊らせてもらった。慣れない舞踏会で疲れたらしい。今夜はもう切り上げた方が良いんじゃないかと思うがな」


「あぁ、ガーディクラン侯爵。娘のダンスの相手をありがとう。ご忠告に従って帰ることとしよう。この老体も夜更けはキツい」


「夜通し踊れそうなくせによく言うぜ」


 ヘンリーが小声で零すのが聞こえた。先生は答えず、それではとひとつお辞儀をするとヘンリーに背を向けて歩き出す。私は先生の腕に掴まりながら会場を後にしたのだった。



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