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推しを救いたいだけなんです!  作者: 江藤樹里
ペインフォード編
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8 庭掃除の日


 庭に出て落ち葉を掻き集め、私はバケツへちりとりで取った葉を入れていく。冷たい風が吹く外は冬が近いのか、長くいると体が凍えそうだった。首筋を撫でていく風の冷たさに身震いし、それでも私はせっせと手を動かす。動いていれば多少の寒さは誤魔化せる気がした。


 さく、と落ち葉を踏む音がして私は振り返る。いつも窓の外から手を振ってくれる見習い庭師の少年が後ろに立っていた。外にいることが多いからかそばかすの浮いた顔に、泥のついた作業着を着たブラウンの髪をした少年だ。チョコレート色の目は私を探るように見ている。


「こんにちは」


 私は話しかけた。にっこり笑えば少年はぱっと頬を染める。色白の頬にすっと差した朱が可愛らしくて私は益々微笑んだ。


「あの、いつも窓から見てる」


「エマです。あなたはいつも手を振ってくれるわね。良ければ名前を教えてくれるかしら」


「おれ、スタンリー。兄ちゃんの仕事にくっついてきて見習いしてるんだ。此処は色んな植物があるし、楽しい」


「植物が好きなの?」


 まだ声変わり前の少年らしい声だった。私はスタンリーと名乗った少年と視線の高さを合わせて少し屈む。少年は頬を紅潮させて頷いた。


「見たことないやつがいっぱいだ。全部に毒があるからまだ触らせてもらえないけど、水やりとか、手伝ってるんだぞ。いつかおれも兄ちゃんみたいな立派な庭師になるんだ」


 兄を誇らしく思っていることが伝わってきて私は頷いた。


「頑張ってるんだね。スタンリー、あなたならきっとなれるよ。お兄さんに習っていっぱい勉強してね」


 うん、とスタンリーは歯を見せて笑う。遠くでスタンリーを呼ぶ声がする。兄の声なのだろう、すぐにスタンリーは反応して今行くと答えていた。マスク代わりなのか首元に下げていた布を鼻まで持ち上げてスタンリーは私を一瞥すると兄ちゃんが呼んでるから行く、と律儀に別れを告げた。


「うん、またね」


「! うん、また!」


 嬉しそうに笑ってスタンリーは駆けていく。途中で振り返って窓の下でしてくれたように大きく手を振ってくれるから、私も手を振り返した。庭園がある方へ駆けて行ったスタンリーの背が夕陽に紛れて見えなくなるまで見送って、私は掃き掃除を再開する。またさく、と落ち葉を踏む音がして私はバケツに向けていた視線を上げてぎょっとした。


 推しが立っていたからだ。


 私は慌ててメイド服の裾を持って習った通りにお辞儀をした。頭を下げて推しの通り道を塞いでいないことを確認すると推しの靴の爪先あたりをじっと見る。推しは立ち止まったまま動かない。はらりと葉を落とす木を見上げているようだ。丁度私が簪代わりに拾った枝もこの木の物だ。後ろ姿を見られたはずだから勝手に拾った枝を頭に挿しているのを咎められるだろうか。落ちていても木は推しの敷地内に植っている。それとも木の枝なんか頭に挿すなと言われるだろうか。


「きみ、何だっけ、エマ?」


 名前を訊かれているのだと思って、はい、と答えた。何だっけってなるくらいなのに一発で当ててくるんだから凄いと思うし、数日ぶりに聞いた大好きな女性声優さんの声だから耳が幸せだ。また大好きな声で大好きな推しに名前を呼んでもらってしまった、と思って高揚した気分でいたから、推しが近づいていたことに気づかなかった。気付いた時には推しの靴が目の前にあって私は目を見開く。


「これ」


 衣擦れの音さえ聞こえる距離で推しが手を伸ばしたのを気配で察した。ぐ、と頭に感触を覚えて簪代わりの枝を引き抜かれたのを知る。途端に解けた黒髪が私の横にカーテンみたいに流れて、冷たい風が数本を揺らした。思わず顔を上げると紫の目も驚いたように丸くなっていた。


「これで髪を纏めていたの?」


「は、はい。あの、ごめんなさい、丁度良い長さだったので、落ちてたからとはいえ拾ってしまって」


 慌てて謝ってまた頭を下げた私に推しは何も返さない。おずおずと顔を上げた私の目に映ったのは簪代わりにしていた枝を白い手袋の指先でくるくると弄ぶ推しの姿だった。何をしても様になる推し、素晴らしい。


「この木、何の木かきみは知ってる?」


 赤褐色の樹皮をした幹から、冬が近づいても緑色をした細い葉を推しは見上げる。私も見上げ、先ほどからずっと格闘している針葉樹らしい細い葉を眺めた。


「いえ」


 消え入りそうな声で答えれば、イチイ、と教えてくれた。今まで聞いたどの声よりも優しくて私は思わず推しへ視線を戻す。推しは木を見上げたままだけれど、その紫の目には愛しさが滲んでいるように見えた。優しい顔だ、と私は思う。植物毒を主に扱う推しは自分で世話をし、育てるのだから愛着を持っているのだろう。


「夏の終わりに赤い実をつけるんだけど、その種子に毒がある。あと、枯れた葉にも。今きみが掃除している葉には多少の毒性が含まれる。でも枝の部分は加工がしやすいから楽器になることが多い」


「楽器。素敵ですね」


「……そう思う?」


 不意に向けられた視線には相変わらず温度がなくて私は少し息を呑んだ。でも悟られなかったのではないかと思う。フラットな状態でいることは訓練を積んだから慣れている。内心の動揺をなるべく表に出さないように、と前職では言われていた。推しの前でフラットでいられる自信はないのだけど、何とか取り繕えたのではないかと思う。


「はい。人の生活に一緒に寄り添ってくれる木なんだなって思います」


「……そうだね。はい、返すよ。ごめん、まさかこれ一本で髪を纏められるなんて思っていなくて」


 推しの手ずから簪代わりにしていた木を受け取って私はフラットでいようと思ったことなど意識の彼方へ吹き飛ばしてしまった。あわあわ言いながら受け取り、ほんのり推しの体温を感じられるようなそうでもないような思いで大切に握った。


「大丈夫です、慣れてるのですぐできます」


 私は箒を地面に置くと両手で受け取ったばかりの簪代わりの枝で髪を纏め直す。推しはそれを眺めていて少し手が震えた。推しに髪を纏めるところをじっと見られることがあるなんて考えたことがあっただろうか? いや、ない。


 ポニーテールにする時のように手櫛で簡単に髪を集める。ぐるぐると捻った髪の頭皮に近いところへ枝を挿し、捻った毛先をお団子を作る時のように巻きつけた。ある程度のところで髪の毛をぐるりとひっくり返すように挿した枝を持って動かす。ぐっと髪の毛を巻き込むように再度枝を挿せば引っ掛けない限りは外れずに纏まる一本挿しの出来上がりだ。


「ふぅん。見事なものだね。お詫びに今夜、一緒に食事でもどうかな」


「食事」


 もう何も考えられなくなっていた私は聞こえた単語を繰り返す。どう、と推しに小首を傾げて誘われて拒否するオタクなどいるだろうか? いるはずがない。


「喜んで」


 私の返答に満足したように推しは口角を上げた。原作でよく見た、悪いことを考えている時の笑顔だった。私だって思い上がってはいない。推しがいよいよ私に毒を試そうとしているのだと察した。自分の特殊設定を信用しているとは言っても毒を服用するのは怖かった。でも私はあの日覚悟を決めた。推しをひとりにしてはいけないと思ったから、割と無理を言って置いてもらっているのだ。その最初の段階で尻尾を巻いて逃げるなんてできない。


「料理長には言っておくから、夜、七時に食堂で」


 表面上ばかりは綺麗に微笑んで推しは言う。そろそろ目覚めの時は近いのかなと思いながら私は返事をし、邸内へ戻っていく推しの後ろ姿を綺麗だと見惚れて見送った。傾いた日が沈みかけて暗くなってきた庭を慌てて掃いてミリーに報告するために戻った私は血相を変えたミリーにすぐバスルームへぶち込まれたのだった。


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