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75 子爵と話し合った日


「初めまして、エマ。久しいな、ミリー」


 窓の外を眺めていたリルッズ子爵が言葉を発して私は思わず背筋を伸ばした。よく通るバリトンだった。初めまして、と急いで返す私の後にミリーがお久し振りですとゆったりと答える。余裕の差が露わになって私は内心で羞恥に頬を染めた。


「ヘンリーの坊主にどう聞いているか知らんが、エマ、お前さんにわしが興味を持っているのは事実だ。ミリー、わしのことを信じてエマと二人にしてもらえるか。外でじじいの散歩に付き合ってくれると嬉しいんだが、エマ」


「どうぞ行ってらっしゃいませ」


 ミリーが頭を下げる。喜んで、と私は頷いた。話通りに矍鑠(かくしゃく)としているリルッズ子爵はくるりと体の向きを変えると応接間から出ていく。私はミリーを一度振り返る。行きなさい、と身振りで示されて私は頷くと子爵の後を追いかけた。白銀の髪に黒のビロードリボンが揺れるのを見ながら私は彼の後ろについていく。さっき通ったばかりのエントランスを抜けて私たちは正面玄関から外へ出て庭へ向かった。


 今日の王都は良い天気で、日差しは暖かいし庭の緑は濃くて綺麗だった。推しの毒草庭園とは違って一般的な花が多く咲くヘンリーの管理する庭園は妖精でも出てきそうなくらい美しい。


「良い天気だな」


「そうですね。お洗濯物がよく乾きそうですしお花が育つにも良いと思います」


 前職で高齢の方とも関わる機会が多かったせいか、何となく私は彼の少し後ろを歩く。矍鑠としていて元気そうだからないとは思うけれど、いつ転んでも手を差し出せる距離。車椅子を押すことはあったけれど一緒にお散歩をする機会は施設研修の時くらいしかなかったなぁと思い出した。同僚とのつらい思い出の方が多いのに、患者さんと過ごした時間は楽しかったから前職を思い出す時の感情がチグハグになって気温差に風邪でも引いてしまいそうだった。


「お前さん、今回の話はどう受け止めている」


 こちらも見ずに子爵に問われ、そうですねぇ、と私は考えた。


「正直に言って実感がありません。リルッズ子爵様がヘンリー様からどんな風に私のことを聞いて興味を持ってくださったのか見当もつきませんし。どんな方なのかも浅学で存じませんし。功績とかは聞けましたけど、誰に訊いてもどんな方なのか人柄は自分で確かめろって言われてしまって」


「恵まれたな」


「そう思います」


 私は苦笑した。人の噂ではその人の全ては判らない。実際に会って話したって判らないけれど、噂では他人から見たその人の姿しか見えない。だから先入観を与えないようにとしてくれたヘンリーたちは優しいのだろうと思う。


「だからそれだけ周りはこの話が真剣なものであると捉えていることが判ります。実感がわかないなんて言っている場合ではないことも。私がどんな人間なのか知って頂いて、肯定的に捉えて頂かなくてはいけないだろうことも解ります。私には過ぎた幸運で、これを逃してはいけないと言われるものであるだろうことも」


「幸運だと思うか」


 子爵は私に視線を向ける。陽の下で見ると胡桃色の目がオレンジ色に見えた。笑い方がヘンリーに似ている。逆か、と私は思い直した。ヘンリーが子爵のように笑うのだ。自信満々に、余裕を持って。悪戯を仕掛けた子どものようにも見える笑い方。私は微笑んだ。


「少なくともヘンリー様が打算だけで進めたお話ではないことは判ります。信頼しているリルッズ子爵様に対して悪どいことを考えることはないでしょうし、そんな方に怪しい娘を勧めることもしないでしょうから私のこともそれなりに信用してくださっていることになります。エリオット様のお手を煩わせないで済むなら、外国に売られる可能性もあるみたいな私を守ってくださるために講じた手段であるなら、それは私にとって過ぎた幸運だと言えます」


 ほぅ、と子爵は目を細めた。楽しそうに唇が弧を描く。木陰で少し休まんか、と誘われて私は庭園の隅に置かれたベンチに子爵と一緒に腰掛けた。大きな木がわさわさと葉を揺らして木漏れ日が綺麗だ。首が痛くなるほど見上げて眺める私に子爵はまた口を開く。


「名前もないような村から出てきたと聞いた。毒が効きにくい体質であることも。其処で村の者のために毒見役を買って出ていたそうだな。寒波で人は散り散りになり、それでお前さんもペインフォードの街まで出たとか。エリオットの坊主の役に立てると言って使用人として雇われたそうじゃないか」


「そうです」


 調べ尽くされていると感じて私は内心どきりとした。私の負わせた設定ではあるけれど名前のない村なんて何処にも存在しない。荒野が続くずっと向こうにはそういう場所くらいあるだろうと勝手に思ってつけた設定だ。推しといえど全てを管理できるわけではあるまい。適宜、役所のようなものを設けてもそれが全て機能できている保証もない。届け出ないで数人が身を寄せ合って集落を形成することはあるだろうと踏んだ。出自を調べられたらどうしても確証は出てこない面はある。


「何故エリオットの坊主に近づいたのか尋ねると、人を助けることができるから、とヘンリーの坊主にお前さんは啖呵を切ったそうだな」


「啖呵って」


 そんなに激しく意見を主張したつもりはなかったから私は驚いてしまった。目を丸くする私を見て子爵は喉の奥でくつくつと笑う。


「エリオットの坊主は人を助けることができる。それは事実だ。日陰ばかりに目が行って気付かれにくいがな。決して日向が並んであるわけではない。だが日陰ができるのはその上から太陽の光が降り注いでいるからだ、ということは誰も気付いておらん。だがお前さんはそのことに気付いている」


 子爵は木漏れ日を仰いだ。私は反対に足元にできている私たちを包んでいる影に視線を落とした。日陰の中にいたら日向があることには気付かない。日陰が大きければ大きいほど、手の届く範囲に日向のできる場所はなくなるからだ。でも日陰ができるということは、最初からその上が明るいことに他ならない。誰もが推しの毒を扱う面ばかり見て黒伯爵の印象を強めてしまうけれど、光はちゃんと差している。忘れてしまいがちになるけれど。


「薬を扱えるということは、毒を扱えるということで、逆もそうで。私はエリオット様の誰かを助けるそんなところが凄いと思うし尊敬します。エリオット様は誰かを助けるための薬は使っても誰かを傷つけるために毒を渡すことはありません。ご自分で摂ることはあるみたいですけど」


 私が言葉を零すと、そうだな、と子爵は同意してくれた。


「わしらがお前さんのその言葉にどれだけ救われたと思う。坊主と共にあれば気付いていくそのことに、だが坊主と過ごす時間のある者がどれだけいる。わしらが解っていれば充分だとは思わない。最初からいるミリーたちでは同情に受け取られ届かないだろう。坊主は事情があって人格形成の時期に難があった。今は何とか人らしさを知識として学び保っている状態だ。それ故に簡単に人の道を踏み外すことだってあるだろうよ。

 お前さんに頼みがある。エリオットの坊主を人にしてくれんか。そのためにわしのところへ養子に来てほしい。だからといってわしと共に過ごす必要はない。伯爵邸に研究の助手として、学者の見習いとして学びに出している名目で今まで通り過ごして良い。概要は解っているようだがお前さんも相当に危険な状況だ。今日馬車をやったのだってガーディクラン侯爵が動いていると知らしめるためだ。お前さんにとっても悪い話ではあるまいよ。

 わしにとってはヘンリーの坊主もエリオットの坊主も出来の悪い、けれど頭は良い可愛い孫みたいなものだ」


 わしは独身だがな、と子爵は言葉を続けた。


「育てた若者は多い。皆が皆、真っ直ぐに育ちはしないがどの子も可愛い生徒だ。若者の未来は明るくあるべきだろう。老いぼれにできることには限りがある。若者を引っ張り上げるのは同じ若者でなければならんこともある」


 だから頼むのさ、と子爵は私を見つめて笑った。


「お前さん、エリオットの坊主に気があるならこの話は受けて損はないはずだからな」


「き、気!」


 私は仰天して飛び上がった。瞬間的に真っ赤になってしまった頬を隠すように両手で覆う私を見て子爵は遂にはっはと声をあげて笑った。全然腹筋も衰えていない笑い方だった。


「何だ、知られていないと思っていたのか。それも含めてお前さんに興味を持ったんだ。エリオットの坊主に懸想する稀有な娘を見てやろうと思ってな。中々どうして見所がある。あの見目に惹かれただけではなさそうで安心した」


「私そんなに分かりやすいですか……」


「どうかな。紛れもなく愛情ではある。それが色恋になるのか親しさとなるのか敬愛となるのかの判断はつかんさ。それはお前さんが育てていくものだからな」


「うううう……」


 私は顔を両手で隠して目を閉じる。


「エリオット様にも知られてますかね……」


「あれは気付いていないさ。飢えているのに求め方を判っていない。恐れてもいる。あれを振り向かせるのは骨が折れるぞ」


「いえ振り向かせたいわけではないので……」


 私はもにょもにょと語尾を消した。推しはオリヴィアを愛するようになる。その方面で私の出番はない。ただ推しが処刑されないように手助けをするだけだ。推しに生きていてほしいから。でもそのためには私だって外国に売り飛ばされるわけにはいかない。


「子爵様も、エリオット様をとても大切にしてくださっていることはよく解りました。エリオット様は愛されてますね。人にする、なんて大それたこと私にできるか自信もないし約束もできませんけど、それがエリオット様のためになることなら私やります」


 私は両手を膝の上に揃えて置くと子爵を向いた。子爵は私を穏やかに見つめている。


「養子のお話、謹んでお受けいたします。よろしくお願いします」




王都編、これにて終わりです!

次からは貴族令嬢編になります!

長編は簡単なプロット立てる派なんですけど予定になかった方向へ行きました!笑

でも大筋は変わらないので、生温く見守って頂けますと幸いです!


皆さまからの反応、本当に本当にありがたいです。

先行公開しているのべぷら様はここ1ヶ月近く30度を超える日々で何も考えられなかったので止まってたのですが、今日からいきなり20度下がって寒いくらいに過ごしやすくなったのでまた着手できたらなぁと思っています。

長くなってきましたがどうぞ今後もエマとエマの推しのエリオットたちにお付き合い頂けますと嬉しいです。

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