69 二度目のダチュラ協力の日
「やつれたな。何かあった?」
翌日、約束通り推しの研究室を訪れた私は開口一番にそう言われ、はぁ、と間の抜けた返事をした。
「実はあの後、結構経ってから凄く吐きました。そのせいでしょうかね」
「目の下の隈は? そのせいで眠れなかった?」
「……いえ、これは単に考え事をして眠れなかっただけなのでダチュラは関係ないです」
正確なデータを残すために私は正直に答える。ふぅん、と推しはどうでも良さそうに返すと私を研究室へ招き入れた。また続き部屋の扉を開けてカウチに腰を下ろした私を推しはまじまじと観察する。私はその間中、何処を見て良いか分からなくて視線を逸らしたままでいた。
「寝不足だとどうなるか。量を増やすのはやめて前回と同量で試してみよう」
「はい」
推しは知的好奇心が刺激された様子で、今日の私の状態から決めると研究室へ戻った。私はその隙に水差しからコップに水を注いで飲み下すための準備をする。
続き部屋へ入る前に昨日オリヴィアが持ってきた薬が見当たらないかとサッと視線を走らせてみたけれど、デスクの上にそれらしいものはなかった。調査を引き受けなかったのだろうか。あの推しが。
推しがダチュラの根を粉末にしたものを持って戻ってきた。畳まれた薬包を受け取って私は膝の上で広げる。茶色っぽいそれは一昨日と同じくらいの量に見えた。
「いただきます」
何となくそう言葉にして私は薬包を持ち上げて顔を上げると口の中にサラサラと入れる。コップの水で喉の奥へ流し込めば粉末は胃へと流れていった。
「……ふぅ」
「この前と違うことがあればすぐに教えて」
推しはまた丸テーブルの上に広げた用紙に羽ペンを走らせながら私に言う。はい、と答えた後に今のところ味は前と一緒ですねと付け加えた。
「私は味の品評をしているわけではないんだが」
「いえいえ、飲みやすさは大切ですよ。舐めただけでとんでもなく苦かったら飲み込むのが大変ですから。苦いもの、酸っぱいもの、変に甘ったるいもの、そういうのって本能的に吐き出しちゃいませんか? 逆に言えば、そういうのがなければきっと気付かずに抵抗なく迎え入れてしまいます」
「へぇ。つまり?」
結論を知りながら求められた気がしたけれど、私は話し出した手前、最後まで言葉を結ぶために息を吸う。
「つまり、味でそうと分からない毒を盛られても、すぐには気づけないってことです」
「これは毒殺に使えると思うか?」
問われて、そうですねぇ、と私は考える。根は取り敢えず変な味がするわけではないから、粉末が料理や飲み物に混ぜられていても分からないだろう。根菜に紛れられるなら野菜スープに入っていても気づかないかもしれない。
「私では死なないので毒殺に用いれるかはわかりませんし、死ぬほどの量を入れたら味が変わってしまう可能性も否定できませんが、取り敢えず眠りには落ちるみたいなのでその間に自然死に見えるようなことをされたら他の人には何が理由で死んだか分からないんじゃないかなとは思いますね。でも意識が戻ったら多分ですけど凄く吐くので、毒を盛られたとは気づくかもしれません」
ふむ、と推しは考える素振りを見せた。私は推しが女王からの依頼を受けて解毒薬を調合して納品していることを思い出す。もしかしてダチュラで毒殺を目論まれた時のために解毒薬を用意しようとしているのだろうか。
「エリオット様はダチュラの毒の成分を解析されたんですか?」
「何故?」
推しは考え事を続けた目をしながら私へ問い返した。えっと、と私は言葉を探す。
「解毒のお薬を女王陛下に献上していると、聞いたことがあるので。解毒ってつまり、その毒の成分を中和するってことだと思います。でも毒には色んな種類があるだろうから、別の毒を中和する解毒薬じゃ意味がないかなって思った、ので……」
推しの目を見ていられなくて私は段々と俯き加減になった。素人のくせに恥ずかしい。推しが教えてくれるからつい訊いてしまったけれど、私から話しかけるなんて無礼なのでは。
「きみの理論でいくと解毒薬はかなりの種類が必要になるな」
「え、あ、そういえばそうですね」
「だが、まぁ、概ね正解だ。ひとつの効果を打ち消すためにはそれを中和、相殺しなくてはならない。きみ、研究者に向いているんじゃないか」
推しは悪い顔で笑ったのだけど、それを見る前に私は本当ですか、と食い気味に尋ねてしまっていた。推しは目を細める。
「私は嘘は言わない。研究者になりたかった?」
「そういうわけではないんです。ただ、あの、そうすればもっとエリオット様のお役に立てることもあるかなって、思ってしまっただけで」
私はまた俯いた。専門的に勉強したわけでもないのに向いているなんて言われて舞い上がってしまった自分を自覚して恥ずかしくなった。向いていないと言われた前職、向いていると言ってくれた先生、人の評価なんてアテにならなくて、私には資質がなかった。その道を歩くだけの準備が足りなかった。振り回して、振り回されて。そして逃げたのだ。此処での私は精々がモルモットにしかなれないことを自覚しているからこそ選んだ贈り物。
「きみはどうして私の役に立とうとするんだ」
「主人の役に立ちたいと思うのは使用人なら当然では……?」
訊かれたことの意味が判らないながらに問い返したらそうじゃない、と顔を顰められた。
「きみは最初から私の役に立てると言ってやってきただろう。自分を好きに使って良い、だから雇えと言った」
いや、好きに使って良いとは言っていない。役に立てると思うとは言ったけれど。私は内心で反論したけれど別に話の主旨には関係ないから黙っていた。
普通は仕えてから主人に対して役に立ちたいと思うものなのかもしれない。私はそれを誤ったのだろうか。最初から役に立ちたいとやってくるなんて。いや、名前の知られた人になら多かれ少なかれある。ただ彼はそう、悪評の方が高いからそう言ってくる人がいなかっただけだ。私は自分に言い聞かせる。
「きみは順序が逆なんだ。ずっと引っかかっていた。何故、此処へ来た?」
詰問されるように真っ直ぐ見つめられて私は息を呑んだ。あなたを救いたいからだ、なんてとてもじゃないけど言えない。あなたが好きだからだ、とも言えない。でも言えることはある。私があなたを推す理由。
「それは」
口を開いて声が引っかかった。慌てて水を飲む。何度か咳払いをして、私も推しを見つめ返した。緊張する。推し本人を前にして推す理由を話す機会に恵まれるオタクなんてどれだけいるだろう。私は幸運だ。それともこれは、不運なのか。
「エリオット様が、誰かを助けられる方だからです」
推しは答えない。表情ひとつ動かさなかった。
「難しいお薬を調合して、その人に合わせて効果が出るように作ることのできる人だからです。誰かを助けることって凄く難しいことだと知っているからこそ、それができるエリオット様を私はとても尊敬します。色々言う人はいるんでしょうけど、それに耳を傾けないで、自分のしたいこと、正しいと思うことに集中できるのも凄いなって思います。私は人の言葉に過敏に反応してしまう方だから。
自分が尊敬する方のお役に立ちたいと思うことは、自然なことだと思いませんか」
見た目も、声も、そういう面も勿論好きだけれど、私は推しの不器用な生き方も好きだった。誰に陰口を叩かれても気にかけず、黒伯爵なんて呼ばれても、毒を扱うと遠巻きにされても。推し自身が周りに興味を持っていないことも要因のひとつだと思っていたけど、でも興味を持っていないなんて、そんなことはない。少なくとも彼は使用人を人間として見ているし、子どもを庇護すべき存在として捉えていることは間違いないと思う。研究の副産物として新薬ができたり調合したりと薬師をついでにやっているような人ではあるけれど、それが誰かを助けていることは事実なのだ。毒のイメージが強いからひとり歩きしてしまって、認識されにくいけれど。
推しは私を見つめている。紫の宝石みたいな綺麗な目。表情を見せなかったその目に少し、感情が見えた気がして私は注視した。何度見ても本当に綺麗だ。もっとよく見たい。
「……近い」
「え、あ、ご、ごめんなさい」
指摘されて私は謝りながら体を引いた。よく見たいと思って推しの方へ前のめりに近づいていたらしい。恥ずかしい。一気に汗が噴き出た気がして私はまた水を飲む。あれ、この感じ、一昨日と同じでは。
「すみません、エリオット様の目がやっぱり綺麗で、よく見たいって思っちゃってってあああああ何で全部言っちゃうの私! 忘れてください!」
考えたことが全部口に出ていることを自分の耳でも捉えながら私は恥ずかしさに両手で顔を覆った。
「また色が鮮やかに見える?」
推しが冷静な口調で尋ねてくれるけど私の動揺は治らなかった。はい、と答えるだけで良いのに余計なことまで口走ってしまう。
「エリオット様の目、本当に綺麗です。宝石みたいで」
言った後にああああとまた私は顔を覆っては謝る。要らんことをごめんなさいと謝罪するために口を開くけれどそれさえ怖い。私、何を口走っているんだろう。言わなくて良いことまで言ってしまっていないだろうか。
「一昨日も饒舌だったけど今日は喧しいな」
「本当ですよね、私もどうしてか判りません。でも私も嘘は言っていないんですよ。前々から思っていたことで」
「ふぅん。前々から私の目が宝石のようだと思っていたということ?」
「あああああ……はい……そういうことですぅ……」
私はもう推しの顔を見られなかった。顔を両手で覆ったまま体をくの字に折り曲げる。小さくなりたい。消えてしまいたい。やり直したい。部屋に入るところから。
「ダチュラ怖い……何ですかこれ……これもダチュラのせいですか……」
「さぁ。次試す時にも同じことを言うならそうなんだろう」
「うううう……恥ずかしい……どうして本人を前にこんな……うぅ……」
「きみがそうしてると何も見えない」
肩を掴まれてぐっと起こされた。ひぃ、と私は息を呑む。推しの顔が近い。観察者の目だ。これは研究だ。そうと分かっているのに推しの顔が目の前にあるって、しかもいつも以上に綺麗に見えるって、やばい。心臓がもたない。
「う、綺麗すぎる」
「近くで見たがっただろ」
「あうううう」
「エマ、手を避けて。症状をよく見たい」
推しは私の扱いを心得ているに違いない。優しい声で私の名前を呼ばないでほしい。大好きな女性声優の声。艶があって格好良い。あまりにも美青年ボイス。そんな声で指示されたら従わずにはいられない。
「真っ赤」
「お願いですから見ないでください……」
そろそろと手を離した私はせめてもの抵抗に目をぎゅっと閉じた。本当はただ恥ずかしすぎて目を開けていられないだけなのだけど。
「エマ、こっち見て」
「……っ」
目元を触られて反射で思わず開けてしまった。近い。近い近い近い。推しの目が凄く近くで私の目を覗き込んでくる。手袋越しに目元を撫でられて私は震えた。
「一昨日と同じくらいの散瞳だな。充血はなし」
推しの冷静な声がする。目も冷静で、観察者のそれだ。目元に触れていた指が降りてきて口元に触れる。開けて、と言われて素直に従う。やっぱり口の中を見られるのは恥ずかしい。早く終わって。
「やっぱり唾液が少ないな。水を飲んで」
「はい」
手が離れて解放された。推しは所見をメモするためか羽ペンを取る。私は水差しの中身を飲み干す勢いで水を沢山注ぎ、一気に飲み込んだのだった。