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65 明るい未来を想像した日


「ところでその、買わないかって持ちかけられた薬ってどんなものなのか訊いても良いですか?」


 推しの笑顔──勿論これは一般的に見れば笑ったなんて言えないようなもので、私でなければ見逃していたに違いない笑顔だ──の破壊力から立ち直った私は興味半分で尋ねる。その薬を手に入れたくて推しは身を滅ぼす。何と言われて買おうとしたのか今後のためにも知っておきたいと思った。


 推しは私に目を留め、それからランプに視線を移す。燃えカスとなったメモの詳細を思い出そうとしているようだった。


「東の方に珍しい魚がいるんだそうだ。その魚は全身が猛毒。特殊な調理法でやっと食べることができるようになる。全身を猛毒で守るくらいだからさぞ美味いんだろうな。そうして食べては幾人もが命を落とす。そういう魚がいるとダニエルに聞いたことがあるし、文献でも触れられていたことがある。今回の興味深い文献と同じ辺りだな、その辺には毒の扱いに長けた者がいるのかもしれない」


 フグみたいな魚だろうか、と私は思う。確かに言われてみれば全身を猛毒で守ろうとするのは狙われているからに他ならなくて、狙われるくらい美味しいんだろうと考えるのは道理だった。フグなら高級食材だし解らなくもない。そして世界中を旅しているダニエルならきっとそういう話も仕入れられるだろう。推しの好きそうな話、として紹介する可能性は十分に有り得た。


「その毒の現れ方がより興味深い。段階を経て動けなくなっていくのに意識は明瞭な可能性がある」


「……」


 それの何処が興味深いのか私は永遠に理解できなさそうだけど、推しの口調がノってきたことが感じられて私は表情だけで先を促した。


「動けない、という状態は、仮死状態に見える可能性がある。その毒はよく知られている毒なのか? ドリンクランスがそうと知って創作に用いたと考えられるか? 検証事項は山ほどある。が、いずれにしても情報が足りない。現物もない。そんな時に『東の珍しい魚を買わないか』と持ちかけられた」


 現物が手に入る機会なら逃してしまうと次にいつ手に入れられるか判らない。そもそもが珍しい魚でこちらで食べられるようなものでもないなら取引を持ちかけられることも少ないだろう。限定販売のグッズが高いからとかその時はまだジャンル自体に出会ってなかったとか、そんな理由で機会を失って後から沼に落ちたら後悔する。再販はいつかと通知が来るのを心待ちにする悲しきオタクの嘆きを私は沢山見てきた。私も多分同じ状況になったら買うだろう。解る。痛いほど解る、推し。でも今回は駄目だ。だってそれ、違法だもの。例えて言うなら転売屋から不正ルートで購入するのと相違ない。それは罰せられる。万死に値する。


「エリオット様、私その魚に心当たりがあります」


「は?」


 推しは言葉を失ったようだった。何を言ってるんだこいつ、という目をしている気がする。いやまぁ、そりゃそうだと思う。方々の文献を漁ってやっと得たような情報なのだから。それを目の前の何処から来たかも判らないような小娘がアテがあると言い出したら言葉も失うだろう。


「これが同じ魚だという保証はないので知っているとは言えませんけど。でも、そうですね、お庭の植物全部試してそれでも何だか違うんじゃないかって思うようでしたら、一緒に行きませんか。東の国へ。ダニエル様に訊いたり船を貸して頂いたりして。この国で怪しい人から買うより、現地で直接、新鮮なやつ、捌いてもらいましょう。私なら毒にあたっても死にませんし、美味しいお魚なら興味あります」


「……は……?」


 推しは目を丸くしている。こんなに驚いている表情を見るのは初めてな気がする。私の言葉がスムーズに理解できないでいるような、情報処理に遅れが出ているような、そんな様子に見えた。推しは頭が痛むかのように顔を顰めて項垂れた。片手を額に当てている。


「エリオット様……?」


 フグが食べたいなどとやはり図々しかっただろうかと思って私が恐る恐る声をかけると、推しは口を開いた。


「きみは随分と活動的だな。東の国だなんて、極東だ。船でどれだけかかると思う。その間ずっとダニエルと一緒? 逃げ場のない海の上で? 想像しただけで五月蝿い」


「あー……ダニエル様は喜びそうですけど……」


 絶対に嫌だ、と推しは言う。そんなに嫌わないであげてほしいと思いつつ、推しとダニエルの普段のテンションは相容れないなぁとは私も思う。屋敷に彼が来た時だって推しはほとんど関わらなかった。ほとんど私が相手をしていた……もとい、相手をしてもらっていた。何か月も同じ船で彼らが共同生活を共にできるかというと、うん、まぁ、確かに、ちょっと、いやかなり、難しいかもしれない。


「でも現地に調達へ行くのは悪くないかもしれないな。植物の世話は優秀な庭師がいるから任せても良いだろう」


「わ、本当ですか!」


「きみを連れて行くかは別問題だけど」


「えー。絶対連れて行った方が良いです。その魚に心当たりがあるのは私ですし、何たって私、毒では死なないんですよ」


 推しが処刑されない未来なら、そういうことだってきっとできる。一年後、二年後、十年後だって。推しが行きたいなら何処へだって行ける。生きていてさえくれれば。


「皆で行きましょう。エドワードは勿論、ミリーも、アイリスも、料理長も、スカーレットさんも! 王都へ来た皆で一緒に、今度は遠い海を越えましょう。知らない場所でも皆がいればきっと、楽しいですよ」


 私の言葉に推しは息を吐く。夢物語のようだと私は思うけど、推しが行くと決めれば行ける。それだけは伝われば良いと思う。今無理をして手に入れなくても、推しなら行く選択肢もあると思うから。


「……きみ、まだダチュラが残ってるんじゃないのか」


「残ってないですよ! たぶん!」


 半日経ったなら解毒済みのはずで、驚いて言い返してしまったけれど気分の高揚がもしダチュラのもたらす症状なら然もありなんとは思う。でもこれは、推しの処刑ルートを回避した可能性が高いことからの高揚だ。ダチュラのせいではない。けれどそう言うことはできないから私は曖昧に笑って誤魔化すことにした。


「美味しいものの話してたら空腹が限界を迎えそうです。他にご用事がなければエリオット様もお疲れでしょうし、失礼させて頂きますけど」


 あぁ、と推しは出入り口の方へ視線を向けた。


「下がって良い。明後日また同じ時間に」


「かしこまりました。失礼致します」


 カウチから立ち上がってお辞儀をする。そのまま研究室へ戻って、続き扉のところで推しを振り返ってもう一度お辞儀をした。推しは私を見てはいない。手元の紙に何かを綴っていた。いつものことなので気にせず私は研究室を出る。


 階段のところまで行って誰も周りにいないことを確認してから、私は両拳を握って小声でやった、と喜びを噛み締めた。



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