44 勤務態度評価の日
植物園がある街で取ったホテルは、まさかまさかの貸切だった。たった七人しかいない伯爵一行なのに。私とスカーレットさんは唖然としていたけれど、毎年選抜されているらしい他のメンバーは平然としている。アイリスが自分も去年は驚いたと私を慰めてくれた。
「ダニエル様やヘンリー様を見ているとあまりそうは感じなかったかもしれませんけれど、爵位ある方々がお泊まりになる際は他の賊が入り込むといけませんし、その方々だけが泊まることも多々あります。エリオット様も同様です。あまり市井に出ない方ですから街の人がどう接するか見ていなかったと思いますが、王都に近づくにつれこういったことは増えますからね」
ミリーが教えてくれることに、私はこくこくと頷いた。
スカーレットさんが、アタシとんでもないこと引き受けたんじゃないかしらと不安そうに呟くのを聞いてしまった。スカーレットさんは推しと一緒にパーティー会場へ一緒に行くこともある契約だから大変だなと私はこっそり不憫に思う。でもまぁ、スカーレットさんなら持ち前の度胸とお店で培ってきたコミュニケーション能力もあるしきっと大丈夫だろうとは思うけど。
「エマ」
荷物を皆で手分けしてよいせよいせと運び込む仕事がようやく終わった頃、エドワードに呼び止められた。はい、と近寄っていけば声を落としたエドワードに仕事を命じられる。
「エリオット様の食事の毒見役を、やってくれるな」
「……あぁそっか、ホテルの人が出してくれるんですもんね。分かりました」
普段は信頼関係のある料理長が食事を作るし、そんな必要はない。でも此処は出先だし、よく利用する場所でも完全な信頼は難しいのだろう。普段から毒を摂って多少の耐性があるとはいえ、一服盛られて平気な保証はない。それなら半日あれば解毒してしまう贈り物がある私に頼むのは道理だ。
と思って頷いたのだけれど。
合理的だと思ったし、納得もしていた。でも想像力が足りなかった。
紫の目が私を見ている。ねぇ、推しの目の前で毒見するなんて思ってなかった。それに、ねぇ、よく考えたら私が口をつけたこのお皿、その後この目の前にいる推しに行くんじゃない?
もちろんカトラリーは一口ごとに変えるし間接キスなんてことにはならない。でも、でも、あぁ神様こんなことってありますか。
「食べる順番は私が指示する。違和感があればすぐに吐き出せ」
推しの目は真剣そのものだった。内心であわあわしている自分を恥じた。外へ出ればこうやって命の危険に敏感にならざるを得ない推しのため、仕事だと頭を切り替える。
自信のないテーブルマナーで一口ずつ、毒がないことを確かめる。僅かな苦味や痛みがないかゆっくりと味わった。全ての皿から少しずつ頂いて、遅効性の毒の判定を待つ。十分から十五分、部屋に留まるように言われた。折角出来立てを持ってきてもらったのに、どんどんと目の前で冷めていく料理を見ているのはつらかった。
「どうした、腹でも痛いか?」
つらさが顔に出ていたらしい。私の変化をつぶさに観察していた推しが訝るのは当然だ。私は慌てて、いえ、と否定した。
「何処も悪くないです。痛いとかお腹がぐるぐるするとかもないですし。ただ、外出先だとエリオット様は温かいお食事を楽しめないんだなと思って……」
素直に思ったことを言えば、何だそんなことかと推しには返された。そんなこと、なのだなぁ。彼にとってそれはきっと日常で、当たり前で、そんなことと言えるくらい些末なことなのだろう。
「シーズンの間だけだ。それに料理長も連れてきている。タウンハウスでなら今まで通りだ。何も変わらない」
はい、と頷いた私に推しは視線を向けた。そんな顔をするな、と眉根を寄せられて言われてしまった。すみません、と謝る。推しが気にしていないことを私が気にしても仕方ないのかもしれない。でも、出来立てがやっぱり一番美味しいと思うから勿体無いと思ってしまう。
「……料理長が」
推しが口を開く。はい、と私は視線を上げて推しを見た。彼は私を見てはいない。窓の外へ目をやっている。
「きみは美味しそうに料理を食べると、喜んでいたことがある」
はい、と答えてから、え、と驚きの声が出た。反射で返事をしたけどいつの間にそんな話をしたのかと思ったし、私の話題が出ていたことにも驚いた。
「アイリスが来た時も作り甲斐があると喜んでいたけど、美味しそうに食べるという話を聞いたのは、きみが初めてだ。素直に顔に出るから好き嫌いも分かりやすいとか。でも残さずに食べるから苦手そうなものも栄養を考えてよそうんだそうだ」
「料理長が、そんな風に……?」
私が掠れる声で問うと推しは頷いた。
「ジャックは、きみが植物を生き物と捉えていることを喜んでいた。外仕事はどうしても汚れるしきみが来た時期は寒い。嫌がる者も多いが、きみはいつも率先して外仕事をしているそうだな。スタンリーもきみを褒めていた」
私は目を丸くして推しを見つめていた。推しはその後も屋敷の使用人たちの名前を挙げて、私をどう話していたかを教えてくれる。そのどれもが肯定的で、みんなの優しさを感じた。
「ミリーが、きみは王都へ行きたがっていると言っていた。私の役に立てると、私の役に立ちたいと思っていると。文句も泣き言もひとつも言わずに此処へ来てから掃除ばかりしているきみを、彼女も信頼している」
「そう、言って頂けるのは、嬉しい、です。頑張ってきたことが報われる気がして」
私はすっかり恐縮していた。目の前のことを、できることをただやってきただけなのだけど。そんな風に思ってもらえているなら、それはとても嬉しいことだ。身にあまる光栄だとさえ思う。そして仕事でそうやって評価してもらえた経験があまり多くないから、自分に都合の良い展開だと思っても胸に広がる温かさは変わらなかった。
「エリオット様はそうやって、働く人たちの話を聞くんですか? ご自身で?」
「そうだね。時々」
「素敵ですね」
推しがゆっくりと私を見た。聞こえた単語が信じられなかったみたいに目を丸くして。だから私はもう一度言った。
「素敵です。そうやって働く人の声に耳を傾けて。だからみんなの手が荒れないように塗り薬を出してくださるんですよね。私が粗相をしていないか、長く働く人たちに迷惑をかけていないか、確認してらっしゃるんですよね。其処に入っていく私が上手くできなければただ摘み出せば良いんです。
エリオット様のそういう優しさにみんなちゃんと気付いています。だからあまり辞めていかないし、良いところだって言っているの、聞きます。私も良いところだって思います」
入ってみれば良いところ。どんな環境であれ食らいついていくつもりでいたけれど、思いやりが感じられるから本当に良い職場だと思う。
「……この数ヶ月どう、でしたか。私、お役に立てていますか。まだ、伯爵家の使用人として置いて頂けますか」
真っ直ぐに推しを見て尋ねた。正直言って此処で追い出されたら困る。私は有用だと、推しにとってメリットがあると思わせられて来ただろうか。贈り物でメリットはだいぶ稼いでいると思うのだけど、普段の様子は私の勤務態度次第だろうからそれを評価されると思うと緊張した。
「問題があるようには聞こえなかったな。きみこそ、此処にいて良いのか? ダニエルやヘンリーが言ったように、他所へ行きたいとは思わない?」
思いません、と首を振れば、推しはまた驚いたような表情を浮かべた。それから悪い顔で笑う。でもそれに少し困惑が混じっているのを私は見て取った。
「即答だ」
「私、此処にいたいです。だから、摘み出さなくても良いって思って頂ける限りは、いさせてください」
軽く頭を下げた私に、うん、と推しは頷いた。
「私としてもきみに試したい毒はまだいくつかあるんだ。いてもらえると助かる」
「はい、よろしくお願いします!」
毒を盛られるのによろしくなんて変かもしれないと自分でも思うけれど、それ以外の言葉は思いつかなくて口にした。推しは案の定、微妙そうな表情を浮かべる。
けれどまだ此処に置いてもらえそうで、私は安心したのだった。




